こんばんは


昨日、残念な訃報が飛び込んできました、
スティーヴ・クロッパー死去、享年84歳、
知名度はそんなにないかもしれませんが
超がつく大物ギタリスト兼ソングライター兼、
プロデューサーでありました、

皆に愛されたアーチストでした、
お顔を拝見はしただけでとてもいい人柄が
滲み出ております、

オイラもそんなに深いとこまでは存じない
んですが、深ーいミュージシャンであることは
間違いなしで、
この名前が出ると、お!と反応
してしまいます、昨日は残念なお!でした、

60年代半ばごろに黒人音楽レーベル、
メンフィスのスタックスレーベルに
珍しく白人として所属、スタックスといえば
黒人R&B音楽で言えば
当時は北のモータウンか南のスタックスか
というぐらいの黄金期を築きました、
スティーヴは所属というよりもその黄金期を
創り上げた1人でもあります、
そして
ブッカー・T&ザ・MG's結成、
演奏バンドです、主にシンガーのバックアップ、
インストゥメンタルの曲を提供、
特に伝説的なソウルシンガー、
オーティス・レディングのバックでの
演奏は有名ですね、
このブッカー・T&ザ・MG'sは
強者揃いでのバンドです、
その写真


まずは、インストの有名な「グリーン・オニオン」

を聴いてください

ブッカーT・ジョーンズの魅力あるオルガンから

はじまり引っ張ってスティーヴのギター、

最高です、これがスタックスの音です!


そしてこちらは演奏陣は違いますけど

オーティス・レディングの大ヒット曲

「ドック・オブ・ザ・ベイ」

全米1位です、

これがスティーヴ・クロッパーとの共作

なんですよ、プロデュースもスティーヴ、

2人の絆は計り知れないものがあったと思います、

オーティスらしいシャウトは封印して

ここでは物悲しいバラードを歌ってます、

オーティスは最近気づいたんですが

元々、どんなにシャウトしようが何か

悲しみを感じるんですよね、

それは、

この曲を録音して何日か後にコンサート移動用の

自家用飛行機の墜落により乗っていた

スタッフとオーティス全員死亡、

があったせいかもしれませんが、

遺作がこの曲とは何という悲しさか、27歳でした、

そのシングルの写真⤵︎



曲です⤵︎


ブッカー・T&ザ・MG's
はこの後解散、再結成を繰り返します、
スティーヴ・クロッパーのソロアルバムは
ゴチャゴチャしててよく把握できませんが
3枚が有名ですね、
69年のアルバム
「ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンド」
そう、あのビートルズの名曲です、
ズバリアルバムタイトルにするとは
ジャケットです⤵︎



ここから2曲

まずは爽快なR&Bでギターも冴える

「クロップ・ダスティン」


そしてタイトル曲、

こちらはビートルズというよりもこの時期に

この曲をカバーしたジョー・コッカーの

カバーバージョンをカバーしたって感じです



81年リリースのアルバム

PLAYIN' MY THANG」から

Give 'Em What They Want

まさに81年の時代を感じるAORぽい、

か、フュージョン界のリー・リトナーとか

ラリー・カールトンがやりそーな曲だと

個人的には思います、下手ウマなスティーヴの

歌声も聴けるいい曲です♪

ジャケットです⤵︎


こんな爽やかなスティーヴ・クロッパー、

見たことないです😰



彼のギタリストの評価もすごく高いですよ、

レコードコレクターズ誌の20世紀のギタリスト部門

100位中23位です、凄いです❣️

その評によると

長年テレキャスターを愛用し、

甘く野太い音色を多用、飾らないメロディアスな

フレージングとグルーヴィで切れ味鋭い

リズム・ワークを信条としています、


彼の人柄、ギターワーク、プロデュースぶり

ソングライティング

が評価されてか、

ロック畑からも誘いが多く、

ボブ・ディランの30周年記念コンサートの

サポートや、

ジョン・レノン、ジェフ・ベック、ロッド・

スチュアート、アート・ガーファンクル、

レオン・ラッセルらのレコーディングにも

参加、

そして何と言っても忌野清志郎

92年作のそのタイトルも「メンフィス」

清志郎がサザンソウルを愛してた事は有名

ですね、彼はどちらかと言うとロックというより

ソウルシンガーではなかったのかと昔から

思うってます、オーティス・レディングの

唱法そっくりだし「オーティスが教えてくれた」

なる曲も歌ってるしそのギターも

スティーヴ・クロッパーでした、

このメンフィスはメンフィスまで出向いて

録音、バックはスティーヴ含む

ブッカー・T&ザ・MG's

、レコーディングで清志郎がメンフィス滞在時、市から名誉市民の称号をもらったそうです。

プロデューサーはやはりスティーヴ・クロッパー

スティーヴと清志郎の写真


アルバム、メンフィスのジャケット⤵︎


曲は

・ボーイズ、これこそメンフィスの音!

・kamonabe  カモナベイビーとかけてると

 思われます、

・世間知らず うんいい曲です!






もうなんか分からない

スティーヴ・クロッパーの追悼文に

なってしまいましたが、

それだけの活躍をしたすごいアーチスト

だという事です、

彼はロック殿堂入りをはじめ、

グラミー賞受賞(ノミネート7度?)

ソングライターズ・ホール・オブ・フェイム

受賞、

裏方ぶりが目立ちますがただの裏方ではなかった、

ただ前に出ない超大物です

90年代だったかな、ブルーズブラザーズ

バンドが来日して福岡ブルーノートで

ライブやったんですけど、見たんですけど、

その後もやってきて見たんですけど、

ブルースブラザーズバンドにも所属してた

はずだけどその時にいたのかなー?

ブルースギタリストの映画にも出てた

マット・マーフィーはいましたね、

ボーカルはエディ・フロイド、

オイラ、ステージにエディから引っ張られて

上がってエディとマイクひとつで

デュエットしてマット・マーフィーとは

抱き合いましたよ、

その後のことは酩酊して覚えてません😰

翌日泊まった友人宅で大目玉喰らいました、

お前は道路を転がってたと、

そーいえば頭がボコボコになってたなー、

初めは怒った友達が殴ったのかと思いました、

ただただ正座して謝るだけでした🙇‍♀️


それでは偉大なスティーヴ・クロッパー

の写真と共に

ご冥福をお祈りいたします🙏


皆さんのとこにはこれから訪問いたします、

夜中になったらすみません、

さよーならスティーヴ・クロッパー、