まずは、インストの有名な「グリーン・オニオン」
を聴いてください
ブッカーT・ジョーンズの魅力あるオルガンから
はじまり引っ張ってスティーヴのギター、
最高です、これがスタックスの音です!
そしてこちらは演奏陣は違いますけど
オーティス・レディングの大ヒット曲
「ドック・オブ・ザ・ベイ」
全米1位です、
これがスティーヴ・クロッパーとの共作
なんですよ、プロデュースもスティーヴ、
2人の絆は計り知れないものがあったと思います、
オーティスらしいシャウトは封印して
ここでは物悲しいバラードを歌ってます、
オーティスは最近気づいたんですが
元々、どんなにシャウトしようが何か
悲しみを感じるんですよね、
それは、
この曲を録音して何日か後にコンサート移動用の
自家用飛行機の墜落により乗っていた
スタッフとオーティス全員死亡、
があったせいかもしれませんが、
遺作がこの曲とは何という悲しさか、27歳でした、
そのシングルの写真⤵︎
曲です⤵︎
ここから2曲
まずは爽快なR&Bでギターも冴える
「クロップ・ダスティン」
そしてタイトル曲、
こちらはビートルズというよりもこの時期に
この曲をカバーしたジョー・コッカーの
カバーバージョンをカバーしたって感じです
81年リリースのアルバム
「PLAYIN' MY THANG」から
Give 'Em What They Want
まさに81年の時代を感じるAORぽい、
か、フュージョン界のリー・リトナーとか
ラリー・カールトンがやりそーな曲だと
個人的には思います、下手ウマなスティーヴの
歌声も聴けるいい曲です♪
ジャケットです⤵︎
こんな爽やかなスティーヴ・クロッパー、
見たことないです😰
彼のギタリストの評価もすごく高いですよ、
レコードコレクターズ誌の20世紀のギタリスト部門
100位中23位です、凄いです❣️
その評によると
長年テレキャスターを愛用し、
甘く野太い音色を多用、飾らないメロディアスな
フレージングとグルーヴィで切れ味鋭い
リズム・ワークを信条としています、
彼の人柄、ギターワーク、プロデュースぶり
ソングライティング
が評価されてか、
ロック畑からも誘いが多く、
ボブ・ディランの30周年記念コンサートの
サポートや、
ジョン・レノン、ジェフ・ベック、ロッド・
スチュアート、アート・ガーファンクル、
レオン・ラッセルらのレコーディングにも
参加、
そして何と言っても忌野清志郎の
92年作のそのタイトルも「メンフィス」
清志郎がサザンソウルを愛してた事は有名
ですね、彼はどちらかと言うとロックというより
ソウルシンガーではなかったのかと昔から
思うってます、オーティス・レディングの
唱法そっくりだし「オーティスが教えてくれた」
なる曲も歌ってるしそのギターも
スティーヴ・クロッパーでした、
このメンフィスはメンフィスまで出向いて
録音、バックはスティーヴ含む
ブッカー・T&ザ・MG's
、レコーディングで清志郎がメンフィス滞在時、市から名誉市民の称号をもらったそうです。
プロデューサーはやはりスティーヴ・クロッパー
スティーヴと清志郎の写真
アルバム、メンフィスのジャケット⤵︎
曲は
・ボーイズ、これこそメンフィスの音!
・kamonabe カモナベイビーとかけてると
思われます、
・世間知らず うんいい曲です!
もうなんか分からない
スティーヴ・クロッパーの追悼文に
なってしまいましたが、
それだけの活躍をしたすごいアーチスト
だという事です、
彼はロック殿堂入りをはじめ、
グラミー賞受賞(ノミネート7度?)
ソングライターズ・ホール・オブ・フェイム
受賞、
裏方ぶりが目立ちますがただの裏方ではなかった、
ただ前に出ない超大物です
90年代だったかな、ブルーズブラザーズ
バンドが来日して福岡ブルーノートで
ライブやったんですけど、見たんですけど、
その後もやってきて見たんですけど、
ブルースブラザーズバンドにも所属してた
はずだけどその時にいたのかなー?
ブルースギタリストの映画にも出てた
マット・マーフィーはいましたね、
ボーカルはエディ・フロイド、
オイラ、ステージにエディから引っ張られて
上がってエディとマイクひとつで
デュエットしてマット・マーフィーとは
抱き合いましたよ、
その後のことは酩酊して覚えてません😰
翌日泊まった友人宅で大目玉喰らいました、
お前は道路を転がってたと、
そーいえば頭がボコボコになってたなー、
初めは怒った友達が殴ったのかと思いました、
ただただ正座して謝るだけでした🙇♀️
それでは偉大なスティーヴ・クロッパー
の写真と共に
ご冥福をお祈りいたします🙏
皆さんのとこにはこれから訪問いたします、
夜中になったらすみません、
さよーならスティーヴ・クロッパー、










