「それからどうなった?」
「え?」
「ほら、奥さんとの話し。」
「あ、それそれ。」
両の手のひらで包んでいる湯飲みに一旦視線を落としてこちらを見つめ、湯殿での話に戻った。
「結婚されてからも、大変だったんですね。」
「家は同じ敷地の中に建ててもらえて、というかそれが条件で結婚できたみたいなもの。同居じゃなくある程度距離は置いて生活できてたんだけど、結婚して2か月経った頃お母様が突然入院。」
「ご病気なされたんですか?」
「乳癌。誰も気づいてあげられなかったの。で、お父様を1人ぼっちにしておく訳にはいかなくて、仕方なく面倒を見ることになったわけ。」
「ご主人、ご兄弟は?」
「大阪に嫁いでいる年の離れた姉と、今は実家で暮らしている妹がいるわ。」
「お母様の病院へは、妹さんもいらしてたんでしょう?」
「ええ、会社の帰りに来てたわ。でも、鉢合わせしたときはもう大変。そのときに限って『あ、今日はお父さんに会いに行こうと思ってたの』って付いてきて、私の家の中のチェック。玄関を開けてキョロキョロ見回しながら、居間、台所、トイレ、お風呂をパトロール。『お姉さん、トイレットペーパーなくなりそうよ』とか『洗面所のタオル、ビショビショなんで替えといたわよ』なんて、変に高い声でいちいち報告するの。」
「うわっ、私だったらとっくにキレちゃってる。『自分はちゃんと出来てるのか!』って。妹さん、結婚は?」
「いいえ、独身。」
「やっぱり。好き勝手ばっかり言うから。」
「ふふふっ。ほんとにあなたってまっすぐね、羨ましいくらい。だからお話しする気になったのね。」
「あ、ありがとうございます、ってほめられたのかな?あ、私北浜緋乃と言います。緋乃と呼んでください。」
「緋乃さんね、わかった。私は河野さくら。さくらでいいわ。」
「じゃあそう呼ばせてもらいます。でさくらさん、小姑プラス本家の姑相手じゃあ、相当いじめられたでしょう?」
「いいえ、残念ながら。」
クスッと笑った彼女の顔に、少女のあどけなさを感じた。が、すぐに真顔に戻り話し続けた。
「お母様は入院して半年ももたなかった。癌があちこちに転移してて、手の施しようがなかったの。」
「そうだったんですか。それはそれで、大変でしたね。」
「結局1人暮らしをしていた義妹が戻ってきてお父様の面倒を見ることになったんだけど、始終監視されてるみたいで落ち着かなくて。子供も結婚してすぐには作らなかったので、そのことでもいろいろ。悔しいから主人に愚痴ったけど、自分の妹のことだから真剣に聞いてもらえなかった。」
「身内の悪口なんて聞きたくない、ですか。」
「そう。だからって子供が生まれてからも彼女は面倒見てくれるわけでもなく、相変わらずチェックには来るし。子育てと家事と義妹のことで、頭が変になりそうだった。そのうち主人が帰ってくるたびにその日の大変さだけしか話さなくなって、そんな話に主人も嫌気がさしてきたんでしょう。だんだん帰りが遅くなるし、たまの休みには出かけて夜まで帰ってこなかった。」
「そんな。さくらさん置いてきぼりにして、どこで遊んでたんだろ?最低!」
「‟彼女‟のところだったの。」
「え、‟彼女‟って?」
うっすらピンク色に上気した彼女の顔から、ほんの一瞬だけ笑顔が消えすぐに戻った。