私の次男は数年前に大阪大学経済学部に現役合格した。

ただ、その道のりはあまりに険しく珍しいものだった。
これから次男の大阪大学合格までの道のりを記そうと思う。
正直、あまり思い出したくないことも多いが、次男が過去を振り返った時にあの時どれほど大きな苦境を乗り越えてきたかを再確認出来るようにここに残したい。
これは次男と私達家族のどん底から大阪大学経済学部現役合格への戦いの記録である。

中学3年の9月まで次男は柔道の実績により高校、大学へ進学する予定だった。
運命のあの日まで次男も私達家族もそう信じて疑わなかった。

次男は小学1年から柔道を始めた。
開始当初から多くの試合でそれなりの実績を残してきた。
主な実績は小学6年時の全国少年柔道大会(個人)ベスト8。
中学3年時の近畿中学校柔道競技(個人)優勝。全国中学校柔道競技(個人)ベスト16。
特に中学3年時の全国大会では、ある柔道サイトの成績予想で優勝候補筆頭にあげていただける等、少しは注目された存在であったと思う。
こうした実績からいくつかの高校から入部の誘いがあり、その中から私達親子は大阪にある私立の柔道強豪校である☆☆高校への進学を希望していた。
実際に私達は非公式ではあったが☆☆高校の顧問の先生から

「是非、うちに来て欲しい。正式には息子さんの中学校を通してお願いにあがる」

旨の挨拶を受けており、次男もかねてから

「☆☆高校へ進学したい」

と言っていたため、☆☆高校への進学は私達の中では既定路線であると考えていた。
次男は小学5年時に私の転勤により関西地区のX県からY県へ転校。また、中学2年時に私の転勤により再びX県へと戻ることとなったが、次男はそのままY県に留まり、当時、指導していただいていた先生(学校の先生ではなく民間の道場を運営している。以降、A先生とする)の自宅兼道場にお世話になっていた。
進学にあたっては、A先生と次男と私達で相談して決めることとなっていたが、9月中旬になってもA先生からも次男からも何の連絡もなく不安に思っていた。
次男に連絡しても

「俺は分からん」

としか言わない。

ここから悪夢のような出来事が始まる。