電車で出かけるというのは少なからず旅情を感じ、いつもの景色でもその日の天気や時間によって違う景色に見える。ただの移動が、さながら映画を観ているように自分の心を動かしてくれることすらあった。
とある街に出かける用事があって、自由が丘から東横線に乗った。混雑した電車で景色は見ることが出来ず、中目黒から地下に入った。そこから乗換駅までは深い地下を走り、一度地上に出ても防音壁くらいしか見れず、再度地下に入って目的地に到着した。
なんだろう・・・全然楽しくなかった。流れる景色は地下鉄の壁だけ。。。せめてもの救いだったのは、沢木耕太郎の本を読んでいたので、僕の頭の中は情感豊かなベトナムの景色が占めていたことだ。
景色が流れていくと、様々な変化に目を奪われる。特に、都会から田舎に向かうときはわかりやすい。東北新幹線に乗っていると、色んな土地に生きる様々な人の営みを想像せずにいられない。
都会でも、高架の上を走っていると、街の中で緑が広がる場所に神社があり、その前に参道があり、マンションが立ち並ぶ幹線道路の一本奥には戸建て街が広がっていて・・・等、その街を歩いた時の景色やそこに住む人たちはどういう人たちなのか、電車を降りる人・乗る人から色々な想像ができる。
枕木を踏む音が響き、空いた窓から入る風を感じ、広い空を感じられる電車に乗るのは好きだ。保土ヶ谷~戸塚あたりの横須賀線は、かなり気持ちが良い。
駅のホームで考え事をするのも良い。電車を待つ間もそんなに嫌じゃない。晴れた日の、二子玉川駅のホームなんて最高に気持ちが良い。
風も光も感じられない、カゴに詰め込まれて、やたら深くなった地下の駅から長ーい階段を上って出口に向かう。これが日々のルーティンになったら、きっと僕は嫌になる。おそらく、二度と都心で働くことを選ばないだろうと、今日ふと思った。
地上駅が無くなる時、今まであった踏切が無くなる時、そこにあつまって『ありがとう~!!』と叫んでいた人たちのは、ホームでいい音の笛を鳴らしていた駅員さんや、踏切の音を聞いて『次の電車であの人が来てくれる・・・』というドキドキを感じさせてくれた時間にありがとうと言っていたのかもしれない。踏切を電車が通過して、向こう側を見たら、愛する人がケーキの箱を持って立っていた。な~んてのも、いいね。