アミティエSC京都の
JFL昇格をかけた闘いが終わった。
5年ぶりに関西サッカーリーグを制した勢いそのままに
全国地域サッカーリーグ決勝大会の1次ラウンドも勝ち抜き
初めて決勝ラウンドに進出。
第1戦でVONDS市原相手に素晴らしいサッカーを展開し
ゴールこそ奪えなかったもののPK戦をモノにして勝ち点2。
続く第2戦ではテゲバジャーロ宮崎に悔しい逆転負けを喫するも
90分で勝利すればJFL行きの切符が手に入るという状況で
最終の第3戦・コバルトーレ女川との大一番を迎えた。
アミティエがシーズンの目標をJFL昇格に置いたのは
FC京都BAMBとの合併により関西リーグに参戦した2010年シーズン。
そこから長く険しい道のりが始まった。
2010年
全社関西大会決勝で格上ラランジャに健闘するも
延長後半ロスタイムの失点に沈み敗退。
2011年
全社初出場、初戦も快調に突破したが
2回戦でFC KAGOSHIMAに力負け。
2012年
リーグ戦を制して初めて地決の舞台へ。
2連勝で勝ち点6を積み重ね
決勝ラウンド進出に最も近いところにいながら
最終節で福島ユナイテッドに敗れて奈落の底へ突き落とされる。
2013年
リーグ戦は2位。
最後の望みをかけた全社では
元チームメイト永井文也の好守に阻まれ
2回戦で浦安SCに敗戦。
2014年
降格の危機もあったリーグ戦から一転、
全社で3回戦に駒を進めるも
VONDS市原にあと一歩及ばず。
2015年
勝負どころで敗れてリーグ優勝はならず。
全社は再び3回戦に進出し、勝てば地決出場決定だったが
阪南大クラブにPKで敗れ涙を飲む。
2016年
リーグ終盤、怒涛の8連勝で和歌山を猛追するも
得失点差でわずかに1及ばず2位。
全社では東京23との死闘を制して3回戦に進むも
鈴鹿に敗れてまたしても届かず。
これまでも昇格に近づいたシーズンはあった。
紙一重の試合も多かったが、
あくまで「次のステージ進出まで」あと一歩。
「勝てば昇格」という
本当にあと一歩のところまで来たのは初めてだった。
有明放送局さんのネット中継を観ていた限りでは
アミティエも決定的なチャンスを何度も作っていたし
勝ってもおかしくない試合だったと思う。
それでも、及ばなかった。
あと一歩のところまでたどり着いて
改めてその厳しさと残酷さを思い知らされる結果となった。
足りなかったものはなんだろう。
そう考えた時、真っ先に頭を過るのは
数え切れないほどの「たられば」
勝っていれば
引き分けていれば
決めていれば
止めていれば
悔やんでも悔やみきれないシーンとして
脳裏に焼き付いて離れない。
でも・・・
全ての試合、全てのプレーが
どちらかのチームにとっては「たられば」となるのがサッカー。
もしその「たられば」がひっくり返ったら
そもそもこの舞台に立つことすらできなかったかも知れない。
それくらい紙一重の痺れる闘いを勝ち抜いて
アミティエはここまで来た。
観ていて感動するような闘いだったし、
負けたとは言え誇りを持って、胸を張って帰ってきて欲しいけど
選手やスタッフ、クラブ関係者からすれば
感動や誇りなんて慰めにもならないし
諦めることも
切り替えることも
「また来年」と先を見据えることも
簡単にはできない。
それほど過酷な大会だからこそ
勝ち抜いたチームにはJFLで闘う資格が与えられるのだと思う。
2015年までは自分もクラブの一員だった。
2010年からの4年間は
京都、岐阜、福島、長崎で
終戦の瞬間をその眼で見届けた。
その後の2年間は
悔しさを現地で共有できずただただ歯がゆかった。
クラブを離れて初めてのシーズンとなった昨年は
今までと少し違う感覚で結果を受け止めた。
そして、今年。
1次ラウンドが淡路島で行われるというめぐり合わせのおかげで
5年前と同じように2・3戦目を現地で応援することができ、
あの時越えられなかった壁を打ち破る瞬間に居合わせる幸運に恵まれたことで
忘れかけていた感覚が蘇ってきて
小さくなっていた魂の炎が激しく燃え上がってきて・・・
千葉にも行く気満々だったけど
いろいろな事情があってそれは叶わず
「その場にいられなかった悔しさ」を
2年ぶりに味わうことになった。
関わり方は大きく変わったけれど
やっぱり「我が心のクラブ」はアミティエなんだと
再確認するシーズンになったような気がする。
できれば来年もこのメンバーと
一緒に闘いたい。
もちろん、JFL昇格へ死力を尽くしてくれた
その他の選手やスタッフの方とも。
まだKSLカップが残っているけれど
ひとまずお疲れ様でした。
熱い闘いをありがとう。
闘いは、これからも続く。
