大人の心と子供の目

大人の心と子供の目

「何でだろう?」って目で見て、くだらない事を深く考えてみる性格で面白がられるので、その辺を文字にして残していきます。普段見逃している事をもう一度見直して考えてみると面白いですよ。

忘れてしまいたいぐらい辛かったこと、悲しかったことって沢山あるよね。

失敗したとかも同じネガティブな事件。
でも、過去は消そうと思っても消えないので向き合うしかない。

一つ良い方法を教えるよ。

辛かったこと、悲しかったことは紙に書いて
フタ付きの箱の中にどんどん入れてみて。

暇なときに読み返してみよう。それが辛かったらまた紙に書いてしまおう。

残った「今」には苦しいことも、悲しいことも残っていないことに気付くよ。

余裕があるときは、読み返して笑えたりする大切な宝物です。

みんなが笑顔になれますように。
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石垣島といえば星砂。

珊瑚が砕けてイガイガの砂になって星みたいな形になってますが

 

美しいものが亡骸になったら、また美しいって羨ましいですよね。

こんなこと他にないかなって考えていたら、小野小町を思い出しました。

 

「花の色はうつりにけりないたづらに
  わが身世にふるながめせし間に」

 

これは有名な和歌、散りゆく桜の花にわが身の衰えを重ねて嘆いてます。。

誰もが認めるほどの美しさだったんでしょうね。その時は「ウザッ」と思うぐらい

もてはやされてたのに、年齢とともに相手にされなくなってしまったんでしょうね。

 

そして

「色見えでうつろふものは世の中の
 人の心の花にぞありける」

 

変わってゆくのは花や容色ばかりでなく、(衰えた私に対する)人の心の花だった。

こんなことに気付いてしまったんですね。

 

 

そして

「秋風に逢ふたのみこそ悲しけれ
  我が身空しくなりぬと思へば」

 

男に捨てられ生活も困窮,彷徨い歩く。。想像もしてなかったでしょうね。。

 

そして

「思いつつ寝ればや人の見えつらん
  夢と知りせば醒めざらましを」

 

好きな人の夢見ちゃったんですね。出来ることなら一緒に居たい、夢醒めないで!

そう思う気持ちが可愛いことに気づいてちょうだい。。

 

そして

「いとせめて恋しき時はむばたまの
  夜の衣を返してぞ着る」

 

裏返して着ると、恋しい人の夢が見られるって都市伝説があった上で

やってみようとしちゃう。どんどん可愛くなりますね。

 

そして

「わびぬれば身をうき草の根をたえて
   さそふ水あらばいなんとぞ思ふ」

 

あぁ。。声かけてくれるなら何でもやりますみたいな、切なくなりますね。。

 

最後は

「九重の花の都に住まわせで

  はかなや我は三重にかくるゝ」

 

小野小町さん、若いときは美貌で輝いていたけど、心が貧しかった。

老いて来てから心が輝いていたのに、若いときの自分を捨てられなかったんですね。

周りもきっと、若いときの姿と比べていたと思います。

今近くに居ることが出来たら、輝いていることを伝えてあげたかったな。

 

でも、思いを和歌にして残してくれたことで、当時の美貌も、可愛さも

ピカピカになって残っています。

 

亡骸になってまた美しく残り続ける。

はい、星砂のようですね。

 

 

 

たまたま四日市の市役所に行った時に

 

少し町を歩いてみたらこんなもの発見

 

新しい本を買うときって似たような本の中から1冊なり2冊なりを選んで買いますよね。

 

それで、「これはいい!」って思った本は、誰かにも読んで欲しいって思うのは自分だけじゃないと思う。

 

もちろん古本屋さんに並んでる本たちも、同じ様に選ばれた後に売られたものだから、読んで欲しいって思いは同じなんだけど、そんな思いとは別に値段が付けられて売っているのがちょっと残念に思っていました。

 

ところがこれ、「ご自由にお持ちください」って書いてあった。

興味がある人は持って返って読んで、「これは良い!」と感動してまた誰かに感動を引き継いでいける。お金が有ろうと無かろうと,良いものをより多くの人に広められる。

 

見てみたけどつまらなかった本は、古本屋さんに売るとか、ゴミとして捨てるとかだけど、ここに戻ってきた本はこれまた意味がある。

 

「自分はつまらなかったけど、誰かにとっては感動する本」ということが分かったら、ここに戻すだろうから。

 

それはそれで感動的なことですよね。笑い泣き

 

このボックスの前に立っていたら、置きに来る人の思い、持って行く人の思い、心の声が感じられて清清しい気分になりました。

 

何か、良いですよね。グッド!

 

世の中にはホント色々な宗教があるよね。

 

見えない「人」を神様としたり、「自然」を神様としたり、「物」を神様としたり。それぞれにストーリーがあって面白い。

 

人類の歴史だと、人間の形と思考を持った生物が突然現れたとか、どう考えてもありえない事だけど、どうせ証拠もないことだから架空でも全然良いわけね。爆  笑

 

こんなこと言ってたら熱心な宗教家さん達怒りそうだけど、否定しているわけでは無いです。見えない過去なのでいつ・誰が・何を言ったのか、信じるも信じないも自分次第ですからね。グッド!

 

ほとんどの宗教で出て来るのが「神様」、すべて見透かされている凄い人、としよう。

今目の前に起きている現象は、神様が与えてくれたと考えると、チャリでコケて骨折したとしても、それは神様が与えてくれた試練か、神様が下した罰、もしくは神様が何か普段見えない景色や体験をしなさいって与えてくれたトキなんて捉え方も出来ちゃいます。

これ、すべて神様が決めた必然。痛いから先に言って。。。ガーン

 

痛いけど、神様が言ったことだから仕方ないか。。って納得できちゃったりするんですねびっくり

 

神様を信じない方は、「ついてない」と偶然であると捉えるはず。

原因は自分であったり、他人であったり・いずれにせよ釈然としない感じが残りますね。ムキー

 

どっちがストレス貯まらないかっていうと、偶然より必然であったほうがストレス貯まらないですよね。爆  笑

 

人間、当然失敗することを恐れる生き物、「自分は失敗なんて恐れません!」なんて言っていたとしても、失敗を想定している時点で恐れてるわで、結局同じ「人」なんですね。

 

すべての事が必然であれば、現象的に「失敗」であっても、自分が考えて行動して失敗したことが言い方悪いけど「誰かの仕業」に変わるわけです。よく言うと「神様のおかげ」「神様の言うとおり」だったりします。

 

ただこれ、「神様の言うとおり」にやっているのに客観的に見たら凶悪な犯罪であることもあり。

911事件もそうですね。やっている本人「神様の言うとおり」にやっているわけですから。

 

もしも「人は死ぬことによって本来の幸せを手に入れられる」という神様がいたとしたら、連続殺人事件を起こす人は「幸せ配達人」ということになり、最後に自分が幸せになる。これが「正義」になってしますね。恐ろしいガーン

 

話しズレましたが、、神様は誰でも作れちゃいます。

長いストーリーを考えてもいいと思います。最後はハッピーエンドでね爆  笑

偶然を必然に変えちゃう事で、ココロが安定するから「〇〇のおかげ」「〇〇の指示」とすればいいんです。

 

マイ・ゴッドを作ってみてはどうでしょう?爆  笑オーを付けたら「なんてこった!」になりますがガーン爆  笑爆  笑