もう12日になってしまった💧
続きを・・と思ったのだけれど、忘れないというか過ぎ去らないうちに現状の記録を・・。
腫瘤切除のあと。今はまだ指示で傷跡にケロイド状になりにくくするテープを張っている。有り難い事に術前の呼吸に影響する位強いズキンズキンとする痛みはなくなった
今は引っ張られるような痛さを患部の動きが大きくなる時に感じる。痛みがゼロでない事は、ファベラ症候群の治療時に経験している。ずっと神経が圧迫されていたので、異物をとっても痛めてしまった神経から微弱な痛みを感じるのだ。それは時が解決してくれる痛み。
下肢静脈瘤のあと。右足内側全体がまだ痛い。注射を指した時に似た痛みが、注射を指した場所に残っている感じ。さわっても痛い。若干張りやむくみもある。個人差はあるようだけれど、1ヶ月くらいは痛みが続く事もあるみたい。その間は弾性ストッキングを着用しておくようにと言われている。
あと、院長先生に聞かれた事なんだけれど、なぜ住んでいるところから離れた市のこの病院にきたのかと。運よく地元にある静脈瘤の専門病院があって、受診したけれど治療の必要がないと言われた。(今思うと簡単に言えば誤診だった💧足首には診断された静脈瘤でなく、血管外にあった腫瘤だったし、痛み止め飲みながら放っておけるものでもなかった。)痛みで治療を諦められず、ゼロから病院を探すことに。色々ネットで下肢静脈瘤の治療について調べて、「下肢静脈瘤血管内焼灼術指導医」の資格を持っている先生を探した。あと、口コミが良かった事と、電車バスでなく車で通えるところでここの病院を選んだことを伝えた。
院長先生は愛想ないし、言葉少なめなんだけれど、ハートを感じる先生。ハートを感じたシーン、その1。初めての診察で、若先生が血管外に腫瘤を見つけた時、判断をしてもらいたいと院長先生を呼んだ。で、院長先生も腫瘤を確認。次の一言。「今日とっちゃいましょう」・・え??今??・・初診の今日??瞬時深く悩んだ結果、除去をお願い。帰宅後、考えたらよく血管外の腫瘤を除去してくれたなって。よく整形外科または形成外科にいくよう勧められなかったなって。痛いなら自分が今日とるよって気持ちが有り難かった。その2、下肢静脈瘤手術直前のエコー中にくるぶしの傷跡に貼ったテープを見て「ここはどう?」と聞かれた。痛みがなくなった事を伝えると、ちょっとだけニコッとなって良かったって一言。良かった・・その一言が嬉しかった。
院長先生は後から知ったのだけれど、「国境なき医師団」に参加している。病院の廊下に先生の活躍の様子の説明があった。イエメン、南スーダン、イラク、タリバン紛争下のパキスタン・・そんなところで銃創や爆弾による傷の治療をしてきた。その話の中で感銘を受けたのは、血管外科治療でなければ切断だった手足を、切断しなくて済むように治療できた話だ。そして、その経験は石川県能登半島地震でも生かされ、災害医療に従事しているとの事。その話を読んで、院長先生の何事も即決、即実行がわかった気がしたし、尊く感じた。
でも・・私の現実・・。もう術後1週間を過ぎている。ほんとだったらバレエと水泳に戻っているはずなんだけれど、全くできていない・・💧心の底にあるまだ痛みがとれない不安、これではまだ運動はできない現実。
あと今一番困っているのは、喘息の再発・・・![]()
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あの国体中に起きた症状と一緒。喉のちょっとの刺激で咳が止まらなくなる。しかもその咳、コンコンとかいう程度でなく、体全部を使ってする咳だから、背中もお腹も胸もすでに痛い
病院に行っても慢性的な喘息ではないので、咳が止まるような薬はくれない。ストレス性のものって・・・ま、色々あったからね、私の体はとっても正直なんだろう。あの時は1ヶ月くらい続いた気がする。今回も同じ位続くのかな。今年は毎年出ていた水泳大会、今こんなで参加はできるのだろうか![]()
体にどこが無理だった?って聞きたい。何がとどめだった?とも聞きたい。以前は吐き気やめまい、それ以上だと体が動かなくなる。今は吐き気、めまいと喘息咳。最近は体が動かなくなることはあまりなくなった事で、もしかしたらそれでライン越えが多くなったのかもしれないけれど💧ゼイゼイいっているうちは家族だって何するのにも許さない💦
私の人生、色んな事を諦める連続だった。友人からは本出せるねって言われる(笑)ここにきて、バレエも水泳も取り上げられるのだろうかって心配がある。ストレスで太っちゃった。健康的なダイエットって心が健康でなくちゃできないんだね。こういう時って、差し出された手も見えなくなるんだよね。落ち着いて良~く見るんだ。きちんと這い上がれる、自分を信じないとね。






