内田監督の撮る作品は「ミッドナイト・スワン」しか観たことなかったのですが、今年の初めにSnowMan並びに佐久間大介の虜になり去年の2月に公開された「マッチング」も鑑賞しました。
内田監督の撮る映画は、とっつきにくいと社会派と見せかけたまあまあな地獄、しかもこれほどまでになく凄惨で美しい地獄です。
社会派ではありませんが、「怒り」や「紙の月」に少し似た(?)唖然とするような残酷さ、それでも幸せを掴もうと必死に足掻くキャラクターたちの美しさには目を背けたくなるような痛みと哀しみがあります。
小説、映画共に鑑賞済みですので今回は映画の魅力と、私のちょっとした考察について語っていきたいと思います。
ネタバレなし感想
映画自体はとてもテンポが良くて観やすいので、観る人を飽きさせない展開になっています。
物語のトーンのグラデーションが自然で、無駄なシーンがない故に少し物足りなさを感じてしまうこともあるかもしれませんが、小説を読んでからまた鑑賞すると、物語に対する理解や解釈が広がります。
主演の北川景子さんを筆頭に、多摩恵役の森田さんの格闘シーンや小春役の渡瀬さんのヴァイオリンなど、キャラクターのバックボーンにしっかりとした説得力を持たせ、観客の心を一気に引き込む演技は圧巻でした。
我が推しであるさく(私は彼のことをこう呼びます、悪しからず)は多摩恵の幼馴染という、薬の元締めであるサトウや薬物に溺れていくお嬢様桜など、インパクトの強いキャラクターの中では、ややパンチの弱い肩書を持っていますが、物語の空気ごと沈める切なさや空虚さ、それでも愛を捧げることをやめられない弱さとも言える優しさは最後まで観た人の心に波紋を残す演技だと言えます。サトウ役の渋谷さんも初演技とは思えない、ただならぬ気迫と立ち姿に圧倒されましたし、桜の母であるみゆき役の田中さんや多摩恵のジムの会長の光石さん、その他のモブの一人に至るまで「こういう人、リアルにいそう」という繊細な作り込みがあります。
このブログが少しでもナイトフラワーを広めるきっかけになればいいと思っています。
ぜひ、映画好きの方やそうでない方も彼らの愛がどこに向かうのか、その結末を軽い気持ちで観に行ってみてください。
打撃喰らうんで。
がっつりネタバレあり感想
・すでに4回観たのでめっちゃガッツリです。
まだ観れていない人はまわり右をして最寄りの映画館を調べてください。うかうかしてると早朝とか深夜の時間しかなくなっちゃうんで。
・私は刑事ドラマオタク兼佐久間担なので表現や視点に偏りやオタク的要素を含みます。ご注意ください。
では行きます。
私がナイトフラワーに「日本で一番悪い奴ら」味を感じたワケ
「日本で一番悪い奴ら」とは実際に起こった警察事件の不祥事をもとにしたサスペンス映画で、綾野剛演じる愚直な刑事、諸星が自分の手柄を挙げるため、「公共の安全を守り、市民を犯罪から保護するため」薬の密売や銃器の売買に手を染めていく話なんですけど。
それと物語の落ち方が似てるんですよ、ナイトフラワー。
最初は夏希が後に薬物を売るまで困窮している背景が明かされる。子どもを学校へ送り届け、嫌な上司にネチネチ難癖をつけられても黙々と仕事を掛け持ちし、役所でじいさんに絡まれ。旦那の残した借金の返済に追われ生活費を稼ぐのにやっと日々の中で、偶然目撃した密売のコスパの良さに惹かれていく。
諸星も北海道警察の刑事として日々真面目に仕事をこなしていましたが、刑事としての評価はなかなか上がらず、周囲から冷遇される立場にあった。ある日上司から手っ取り早く手柄を挙げ、のしあがる術を教えられた諸星は裏社会に飛び込む。
なんか出だしの時点で似てるんですよ。
努力してもなかなか現状を変えることができずに、危ない橋を渡ってしまう。
が、最初はふらつきながらも、意外とうまくいってしまうのが怖いところ。
諸星は裏社会のコネを使って次々と順調に成果をあげていき、自分を兄として慕ってくれる弟分的な存在と交流を深めていく。
夏希は多摩恵という大切な存在と出会い、擬似家族として心を通わせていく。
何が怖いって、両映画ともちゃんと幸せなシーンがあるんですよ。みんなで仲間の結婚を祝ったり。劇中でも多摩恵と子どもたちが公園で遊んだりするシーンが象徴的に描かれていましたよね。
んで、訪れる転落、暗転。
しかし転落と暗転はどちらにも訪れます。
夏希の息子、小太郎が同級生に怪我を負わせたことで賠償金を払わなければならなくなり、多摩恵のジムの会長は夜逃げ。
諸星は潜入捜査で警察とバレそうになり命を落としかけた挙句、上司に手柄を横取りされ。
今までとんとんとやっていたことが初めてうまくいかなくなり、両者の理性のブレーキはどんどんぶっ壊れていきます。
裏社会に飛び込む前の夏希と多摩恵はお金のうまく貯まらない日々への焦燥感や疲労感、孤独を抱えながらも、毎日を必死に生きようとする芯の強さがありました。しかし、賠償金問題や信頼して金まで渡していた会長の失踪をきっかけに薬を捌く量を増やしたことで、二人は外部の声に耳を傾けなくなり、とうとう間接的に人を死に追いやります。屋上の駐車場のシーン、海くんめちゃくちゃ正しいこと言ってるんです。全くの他人であるはずの夏希にも忠告してる海くん、優しい。
しかしそれを多摩恵は
「関係ねえだろ」
の一言でシャットダウン。海くんを介してサトウたちと繋がったのに関係ないはねえだろ多摩恵。夏希も部外者が邪魔すんなよと言わんばかりの目線で二人の争う様子を見ています。
我々が唖然としても彼女たちは淡々と薬を捌き続けます。第三者に自分たちの情報に掴まれていることも知らずに。
一方、密輸した薬を持ち逃げされたために思ったように利益が出ず道警からもヤクザからも責められることとなった諸星はついに自らも薬に手を出してしまいます。
ユートピア
薬物に溺れた諸星は自分を慕ってくれた弟分であった太郎にも見放され、彼の自首によりとうとう逮捕されることになります。自責の苛まれた太郎は公衆トイレで首を吊り自殺してしまいます。ようやく自らの罪の重さに気付いた諸星は一転して道警の関与を認める。
一方、桜が死んだことで二人は売人をやめて4人で幸せに暮らしていこうとしますが、そううまく問屋は下ろさない。
海くんは死にました。殺されたんですよ。
ただ愛する人を守りたかっただけなのに。
夏希と多摩恵が殺したようなもんです。
娘を殺された母親は夏希の最愛の娘、小春に会いにいきます。銃を隠し持って。
多摩恵も小春も生死はぼやかされていますがラストシーンは「夜に咲く」とさんざん明言されてきた月下美人が昼に咲いているので確実に幻、白昼夢でしょう。
小太郎が「お姉ちゃんだ!」と言って駆け出しますが、あんなに鍵をガチャガチャやってるなんておかしいと思いませんか?
思い出せない人はもう一度観に行ってみてください。
小春なら鍵を持っているでしょうし、多摩恵と一緒でも無理やりこじ開けようとする必要はない。小太郎が鍵を開けた瞬間から小春と多摩恵が出てくるまで夏希の表情だけが映し出されてますが、ただ二人が帰ってきただけならあんな演出いらないですよね。
しかも誰よりも先に玄関で二人に会ったはずの小太郎がなかなか帰ってこない。小春と多摩恵が顔を出して夏希のところにやってくるまで声ひとつ発さず、姿を見せない。
諸星はまだ「現実のルール」を意識していて、自分の行動や罪の重さを理解できている。でも夏希たちはもう、目の前の現実も社会の声もシャットアウトして、自分たちの愛だけで動く世界に入っちゃってるんです。
夏希も多摩恵も、表面的には序盤と何も変わらないように見えるけど、もうあの時点で価値観の軸が完全にズレてる。外の世界の常識や他人の声が、もはや彼女たちに届かない。
海くんの忠告は、あの物語で最後に残された「正しい現実」の声であり、それを跳ね除けた瞬間、夏希と多摩恵は現実との接続を自ら断ち切ってしまった。
しかも「怒鳴るでも動揺するでもなく、ただ無表情で拒絶する」のが余計に怖い。
怒りや不安ですらない。
「聞こえないものを聞こえないままにする」ような、あの静かな狂気。
もう自分たちの世界の中に閉じこもって、愛と恐怖が混ざった共同体の論理で生きてる。
ラストで「夜に咲くはずの花が昼に咲く」という幻のような描写は、まさにその境界の曖昧さを象徴しているんですよね。
現実と幻想が混ざり合い、善悪も生死もぼやける中で笑う姿――もう誰も止められないし、何が起きても理解できない。ここ、映画としてすごく巧妙だと思います。笑っているけど、それは安心や幸福の笑いじゃなくて、「現実を超えた場所で自由になった自分たち」の笑い。観客に「この人たちはどこまで堕ちるのか、あるいは救われたのか」と考えさせるラストですよね。
今にも暗闇からタモリが出てきて「ユートピアという楽園を、みなさんご存知ですか?」と出てきそうな雰囲気です。
地球儀
序盤に夏希が壊した地球儀は六個です。
母からの愛を最後まで受けるとることができず事故死した女子大生、桜。一つ目。
幼馴染を一途に愛しその命を終えた海くん、二つ目。
そしてここで小春、小太郎、多摩恵、夏希が死んだと仮定します。
将来への希望と才能に満ちていた少女、小春。三つ目。
まだ幼く、未来だけを見つめている永島家の次男、小太郎。四つ目。
将来への希望を見出そうと必死に生きる格闘家、多摩恵。五つ目。
人を不幸にしてまで自分の愛する人たちを守ろうとする母親、夏希。六つ目。
これって、ただの偶然なんですかね。
ユートピアは、現実にあるんでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。