今は昔、翁はかぐや姫を手に入れた。それはそれは、姫というにはほど遠いかぐや姫であった。その生活は窮鼠のごとくあさましく、目に入るものを片っ端から呑み込む欲の塊で、爪を噛みながら砂糖菓子をほおばる境目のなさがあった。何度言っても部屋は汚し、服は脱ぎ散らかし、およそ姫とは言えない人間であったのだが、しかし、長い年月を一人で暮らした翁は、その奔放な姫のにぎやかしいことに小さく満足し、その将来に美しい姿を見出した。かぐや姫は言った。「もう月になんて帰らないから。ここにずっといる」と。翁はそれを聞いて、屋を移し、姫のための美しい将来に備えた。
しかし、姫の生活の荒れたること、数ヵ月。だらしない、けじめがない、調子のいいことを述べてのらりくらり過ごすこと甚だしく、翁はほとほと頭を悩ませ始めた。しかし、この怠惰な生活の裏には、姫の魂の枯渇があると見抜き、それらを受け入れて、はぐくみ、翁は姫の魂に水を注ぎ続けた。
やがて、姫の生活は落ち着き、姫は自分のやりたいことに没頭し、それを鍛え始め、ついには自己の魂の悲惨たるを見つめ始めた。翁はそれを見て一安心した。しかし、そうして心の安定を得た姫は、翁にこう告げるのであった。「やっぱ月に帰る」と。
なんと無情なことなのだろう、翁は驚いた。月に帰って何があるのか?月の生活に自由はあったのか?翁は姫に問いただしたが、それに対して姫はこう答えるのだった。「うーん。なんとなく」。翁は姫の中に宿った魂を理解した。翁は、月に帰ることを許可し、こう告げた。「姫が、「なんとなく」と答えた気持ちを忘れないでほしい。その小さくて大事な気持ちを。言葉にできないその気持ちの中には、まちがいなくあなたがいる。その、まだ小さいが確かに存在する自分自信を大事にしてほしい。」と。それに対して姫はこう答えた。「いいこと言うね、じいちゃん」と。「でしょ?」と翁は答え、二人はともに笑いあった。
それでも翁は、姫の帰還の日が来ることを恐れた。姫には、勝手に一人で帰らないでねと常々伝えた。周囲の者たちにも厳戒体制をひかせ、姫の挙動に注意を怠らなかった。しかしそれでも、水があふれるように、その日が来ることは決して避けられないことはわかっていた。
ある日、欠席できない職場の飲み会の途中、翁に一通の電子手紙が届いた。月からの手紙だった。「姫帰ってきたから」と。翁は、中ジョッキをあおり空を眺め帰路についた。
その夜、翁は録画したドラマを鑑賞する。姫が毎晩PS4をやっている間に観ることができなかった録画ドラマだ。ドラマを自由に鑑賞できる喜びと、怠惰だった姫の生活から解放された気分もあり、翁はケラケラとドラマを鑑賞した。そのドラマは青春の若者の機微を上手に取り上げた良いドラマだった。そして、翁はこう思うのだった。「今回のドラマ、姫にみせたいな」と。しかし、いつも姫がだらしなく寝そべっている部屋に行くと、そこには吸い込まれるほど暗い闇があるだけで、翁はその時はじめて涙するのであった。