先日、ある芸人さんが後輩の芸人さんと対談している動画を見かけました。
トークの流れで、その後輩の芸人さんがどうやって世に出てきたのかという話題になり、彼は素直に、ある意味、誠実に順を追って説明を始めました。
先輩の芸人さんは、ふんふんと相槌を打ちながら、後輩の話にじっと耳を傾けていました。
そして、説明が一段落した時、今までただ相槌を打っていた芸人さんはこう言いました。
「よくさ、それだけの長い尺でさ、自分がいかに売れたかを喋れるよな。恥ずかしないんか?」
私は思わず吹き出してしまいました。
なぜなら、私もずっとその小さなサクセスストーリーを聞きながら、「この話、ちょっと長いな」と思っていたからです。
この先輩の芸人さんが、殊勝な態度でふんふんと相槌を打ちながらも、実はこの若干「ダルい話」にツッコむタイミングを密かに待ち構えていたのだと思うと、余計面白く感じられました。
念のためですが、この後輩の芸人さんはトークの流れに従っただけで、自分語りをする気など毛頭なかったと思います。
しかし、そこは芸人さんの厳しさなのかもしれません。
おそらく、「この話、長すぎる」と自分で気付かなければいけなかったのだと思います。
私は時々、この先輩芸人さんのような「逃さない人」を心のどこかでこの上なく尊敬している自分に気付かされます。
今この場で何が違和感なのかを素早く察知する鋭いアンテナ!
それを上手に言語化する能力!
特に言語化能力は、ある程度は訓練によって身につけられるものかもしれませんが、やはり持って生まれた才能が大きいんじゃないかと思います。
さらに言えば、単に言語化能力に長けているというよりは、「それを言わずにいられない」という衝動がその能力とペアになっているように思えて仕方ないのです。
ですから、タロットカードで言うと、これは「女司祭」なのではないでしょうか。
私が「逃さない人」を尊敬する理由はもう一つあって、それはこの類いの人が、他人だけでなく自分自身についても「決して逃さない」傾向にあることです。
これはあくまで私の観察によるものですが、こういう人は自動的に自分に対しても鋭い目を光らせてしまうため、どうしても、自己愛が見え隠れする言動や小賢しい立ち回りを自分に許せなかったりするのです。
私は最近、こういう「逃さない人」が政治家にいたらいいのになぁと思わずにいられません。
しかし、「逃さない人」は大体、はなから政治家になんかなりたがらないのでしょうね。
