先日の日曜日、M-1グランプリが開催され、久々にテレビを観て大笑いしました。
M-1の初期の頃は決勝に出てくるコンビなど全員余裕で知っていましたが、今はほとんどが初見のコンビばかり。
そんなお笑い最前線にすっかり疎くなってしまった私ではありますが、爆笑した後にはいつも芸人さんの技に深く感じ入ります。
ところで、テレビに出てくるタイプの文化人が芸人さんを下に見た発言をするのをたまに見かけます。
いつぞやも、「日本のお笑いはオワコン」と発言した文化人が話題になったりしました。
ちなみにその文化人が良しとするお笑いは、ネットフリックスの亡命申請を題材にしたアメリカのコメディだそうです。
ある有名な実業家も、知り合いでもない芸人さんをいきなりSNSでバカ呼ばわりしていました。
こういうタイプの文化人の振る舞いを見かける度に、「この人たちはよっぽど芸能界やテレビの世界が好きなんだなぁ」と思えて仕方ありません。
俳優やアイドルなんかには手が届かないけれど、一見ばかっぽい振る舞いをしている芸人さんになら、あるいは一見簡単そうにやっているお笑いになら、一段高い所からものが言えると勘違いしているように思えるのです。
お笑いのネタが社会問題を題材にしていようが、日常のあるあるを扱っていようが、それは単なる好みの問題でしかないと思います。
でも、そういったネタがどうして面白くなり得るのかという視点が、こうした芸能界好きの文化人からは全く欠如しているように思えます。
芸能界好きの文化人にはなくて、芸人さんにあるのは、中庸の感覚です。
私たち一般人が芸人さんのネタで笑ってしまう理由は、私たちの意識の枠でとらえきれていない「今、目の前にある違和感」に芸人さんが巧みな技や言語化で気付かせてくれるからです。
「今、目の前にある違和感」に気付くためには、自分を含め、目の前の状況を俯瞰する意識のありかたが必要です。
芸能界好きの文化人には、それがないのです。
だから、私たちは彼らの言葉に苦笑することはあっても、腹の底から笑うことがありません。
彼らは固定化された二項対立図式でしかものごとを見ていないのです。
その二項対立図式とは例えばこんな感じです。
「文化人はレベルが高く、芸人はレベルが低い。だから文化人は芸人に何を言ってもいい」
こうして文字にしてみると、その傲慢さが一層際立つ気がします。
では、芸人さんの視点はどういうものかというと、こんな感じだと思います。
「脳科学者は脳科学の知識はあるけど、お笑いのプロではない。芸人はお笑いのプロだけど、脳科学の知識はない」
芸人さんを下に見て失礼な発言をする文化人は、そもそも、門外漢の自分がその道のプロに上からものを言っていることの滑稽さに気付いていません。
彼らの言動に中庸の感覚がないことは一目瞭然ですよね。
私は芸人さんを下に見る芸能界好きの文化人を見かける度に、ぜひ、ウェイト=スミス版タロットの「節制」のカードを学んでいただきたい気分になります。
「節制」はまさに、上記のような固定化された二項対立図式から意識を引きはがして、ものごとを中庸の立場で見直してみることを示唆するカードです。
しかし、そんな奥深い世界観を追求する以前に、まずは文字通り「節制」という概念を普通に学ぶことが彼らにとっては先決かもしれません。
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