さざ波スワン ~タロットと旅する~

さざ波スワン ~タロットと旅する~

タロットの話題を中心に、音楽、映画、本、アートなど、様々なことをおしゃべりします。毎週日曜の夜8時にワンクリック占いを投稿しますので、ぜひお試しください。

ロングレッグス映画ポスター

 

昔、あるロックバンドのギタリストが雑誌のインタビューで、過去の自分をこんな風に語っていました。

「俺は〇〇(バンドメンバー)と出会わなかったら、ただのフンイキ野郎で終わってたと思う」

「フンイキ野郎」という言葉を初めて耳にした当時の私は、それがどういった意味なのか、今一つピンと来なかったのを覚えています。
今では、それが「何か持ってそうだな、この人」と思わせるような雰囲気を醸し出すわりには、中身がつまんない人のことだと認識しています。

「ロングレッグス」というスリラー映画を観終わった時、私は久々にこの「フンイキ野郎」という言葉を思い出しました。

(ここから、いきなりちょっとネタバレしてしまうので、これからこの映画をご覧になる方はご注意ください。)

結論から申し上げますと、散々、不穏な雰囲気や謎めいた予兆を振りまいたわりに、最後はなんとなく予測がついていた流れのままゴールしてしまったため、かなり物足りなさが残りました。
とりあえず、先にごくごく簡単なあらすじをご紹介します。

FBI特別捜査官のリー・ハーカーは並外れた直感の持ち主で、ある不可解な連続一家殺人事件の捜査を命じられます。
これら一連の殺人事件には複数の共通点がありました。

実行犯が当該家族の父親で、彼らは皆、犯行後に自殺を遂げている。
犯行現場には必ず「ロングレッグス」という署名入りの暗号文書が残されているのに、第三者が侵入した形跡がない。
犯行日は犠牲となった娘たちの9才の誕生日前後で、彼女たちの誕生日は揃って14日。

夜分遅くに帰宅したリーが母親と電話をしていると、誰かが玄関ドアをノックします。
怪しい人影を追って外に出たリーが室内に戻ってみると、机の上にはロングレッグスからの脅迫めいたバースデーカードが置かれていました。
その後、暗号文書を解読したリーは上司とともに、過去の犯行現場である農場を訪れ、頭部に奇妙な鉄製の玉が埋め込まれた1体の子どもの人形を発見します。
リーはその農場での事件の唯一の生き残りであるキャリー・アンという女性を精神病院に訪ねます。
ところがその前日、リーの名前を使って誰かがキャリー・アンと面会していたことが判明します・・・。

 

 

あらすじはここまでにしておきます。
ここまでで、どうやらこの事件には悪魔崇拝が関係しているらしいことがほのめかされるのですが、それと同時進行で、主人公のリー・ハーカーの実家がどことなくヘンであることも分かってきます。
話が進むにつれ、悪魔崇拝については、「呪術があれば何でもできる」(by 猪木)みたいなことになるんじゃないかという懸念が膨らんでいき、対照的に、リー・ハーカーの実家については、物を捨てない母親のせいで家が若干ゴミ屋敷と化していたり、地下室の扉になぜか鍵がかかっていたりすることで、一縷の望みが保たれました。
しかし、結局は、この一縷の望みが猪木方式に丸々飲み込まれてエンディングに至ってしまいました。

もしかすると、この映画における悪魔崇拝はこちらが思っていた程には重要な要素ではなかったのかもしれません。
どちらかと言えば、ロングレッグスより、リー・ハーカーの母親、ひいてはいびつな親子関係に恐怖の中心が据えられていたようにも思えます。
ただ、私のようなただのホラー好きからすると、「恐怖がどっちつかず」といった感じがどうしても否めませんでした。
いびつな親子関係というと、映画「キャリー」が思い出されますが、あの映画に出てくる「超能力」の万能さがそれ程気にならないのは、そんなもの以上に人間の怖さに説得力があったからかもしれません。
「ロングレッグス」は一つの器に二つの恐怖を同等に盛り込んでしまったがために、恐怖の説得力がどちらも手薄になってしまった、そんな印象を受けました。

ウェイト=スミス版タロットの「月」は不安の感情とどう付き合うかというテーマを含んでいます。

 

タロットカード「月」のイラスト


何か分からないものに対して、私たちは自然と不安を抱き、時に恐怖さえ感じます。
ただし、そういった感情を乗り越えた先に、新たな可能性を見出すこともできるわけです。
「ロングレッグス」はまさにこの「月」のカードを最大限に活用した作品と言ってもいいかもしれません。
不穏さ、薄気味悪さ、不安感といったものが見事な手法で映像化されていて、中盤くらいまではとにかくワクワクが止まらないのです。

それだけに最後、辻褄は合っているものの、恐怖の手応えが今一つ感じられない幕引きがなされたのは残念でした。
不穏な雰囲気を突き抜けた先にはやはり、細やかな根拠に裏打ちされた奥の深い恐怖にどーんと構えていてほしいものなのです。


しかし、この映画で「フンイキ野郎」なんて言葉を思い出す私は、やはりちょっとひどすぎるでしょうか。