たろすです!







今日は3月11日、東日本大震災から15年が経ちました。


早いものですね〜💭






いつもはビヨのイベントやコンサート、紗耶ちゃんについてのブログを書いていますが、今回は僕の過去に触れたブログを書きます✍🏻






現在、社会人の僕は埼玉県に住んでおり、同じ埼玉県の会社に勤めています。


僕の地元は岩手県の海に近い小さな村で、高校生までの18年間を地元で過ごしました。




わざわざ〝海に近い〟と書いているので察している方もいらっしゃるかと思いますが、15年前の今日は一瞬にして僕の当たり前の日常が失われた日です。





小さい頃に両親が離婚して、ずっと母子家庭で育っており、母方の祖父母とともに住んでいたのですが、ばあちゃんは特に僕のことをかわいがってくれていました。


僕が間違ったことをしていたら叱ってくれて、それでも普段は優しくて僕のために尽くしてくれたのがばあちゃんでした。



いつもは家を出るときに「行ってきます!」と言うのに、その日は珍しく朝からばあちゃんとケンカをして何も言わずに家を出た。




当時、中学生だった僕は3年生の卒業式の準備のために中学校にいました。




2011年3月11日14時46分18秒。




体育館の床、そして上にある照明が激しく揺れ始めて全員が椅子の下に頭を隠して身を守る。


揺れが収まっても外の様子がわからない。

 
村の放送で大津波警報が発令される。


中学校は高台のほうにあったので、津波の影響はありませんでした。



先生の指示で学校に保護者が迎えにきた生徒のみ自宅に帰れることになった。


しかし、夜になっても僕の迎えは来ることはなかった。



雪も降り頻る3月、電気も止まっているので明かりもない、暖房もない、体育館で横断幕を身体に巻いて寒さを凌いだ。


たまたま仲の良い友達も残っていたので、配られた非常用のかんぱんを2人で分け合い、お互い「きっと大丈夫!」と励まし合いながら不安で眠れない夜を過ごした。



それが1週間以上続いて、そのうちに仲の良い友達の迎えが来た。


急に感じる孤独感。



その頃には外に出て外の様子を見ることも許可されていたので、僕の家があるほうを見てみるとどうやら津波の被害はありそうな雰囲気。


「大丈夫かな…」という気持ちもあったけど、仲の良い友達の言葉を思い出して「大丈夫だ!」と前向きに考えるようにしていた。


そんなとき、3月11日の時点で迎えが来て自宅に帰れた友達が学校に来ていたので声をかけました。


友達の口から出た言葉に耳を疑った。




「◯◯の家は流されたみたいだよ、ばあちゃんも亡くなったらしい」



受け入れたくない現実。

一瞬、時が止まったような感覚だった。





その2日後くらいに母の知り合いの方が代理で僕を迎えに来てくれました。


母と妹は無事で別の避難所にいて、じいちゃんは海水を飲んでしまったために入院しているとのこと。



母と妹がいる避難所に着き、約2週間ぶりに再会できたのですが、母から言われた言葉が僕の心に刺さりました。



「◯◯、ばあちゃんのこと助けられなかった、ごめんね」



ばあちゃんが亡くなったことを実感して涙が出そうになったけど、泣けなかった。

僕以上に辛いのは母のほうだと思ったから。



「もうそれ以上言わないで大丈夫だよ、謝らないで」


と言って、母の肩にそっと手を置きました。





妹も無事ではあったけど、震災のときは車の中に閉じ込められて酸欠で意識がほとんどない中でどうにか生き延びてくれました。


最近は大丈夫になってきたみたいですが、僕が地元にいた頃は車に閉じ込められたのがトラウマでトイレやお風呂に入るときもドアを少し開けていないと怖がっていました。


生きていてくれたことが何より!



母も震災後は度々精神的に追い詰められて、少し鬱気味になって仕事も辞めてしまったりもしたけれど、徐々に復活してくれました。





震災後に市街地のほうへ行ってみると、そこに広がるのは戦争とかの映画でしか見たことがないこの世の終わりのような変わり果てた景色でした。



僕の家ももちろん全壊。


自衛隊の方が行方不明者の捜索にあたる中、僕の家があった付近で妙なものを発見しました。


それは人間の腕でした。


自衛隊の人を呼んで回収してもらい、後々わかったのが同じ地区に住んでいた同級生のおじいちゃんの腕だったということ。


僕の他にも家族や友人を失った同級生も少なくありませんでした。




ばあちゃんとの別れがこんな形になってしまうなんて思わなかった。

しかも、普段は仲が良いのにその日に限ってケンカしてしまって。


ばあちゃんを助けられなかったのもそうだけど、笑顔で見送れなかったことが僕の1番の後悔です。


僕はばあちゃんに助けられたのかなって思います。


津波の影響がない高台にいたのもそうだし、もう少し遅い時間だったら僕も家に帰ってきてただろうし、きっとばあちゃんが僕を守ってくれたと思う。




ばあちゃんには小さい頃から言われてたことがあって

「◯◯は優しい心を持ってるから、誰かが喜ぶようなことや困っている人を助けられる人でいてね」


僕が優しいかわからないし、震災があってよかったなんて思わない。
でも、この震災があったから人として強くなれたと思うし「誰かのために!」っていう思いが強くなった。








高校卒業後は地元に残って進学する予定でしたが、母子家庭で家族への負担も考えて関東で就職することに決めました。

もちろん奨学金を借りて進学する方法もあったけど、家族に何かあったときに助けられないと思ったし、地元に残ったらすぐに帰れる場所があって自立できないという判断でそういう結論になりました。



地元を離れる日に新幹線がある駅まで車で送ってもらっているときに母が泣いていたのを今でもよく思い出します。


地元に帰ったときも母に「進学したかったのに、あたしのせいで諦めさせてしまってごめんね」と言われるけど、誰のせいとかではないし僕が決めたことだから謝る必要はないよと言ってます。


埼玉県の大宮にはばあちゃんの兄妹の方が住んでいて、震災以降は連絡が取れてはいないけど、僕が埼玉にきたのもそういう巡り合わせなのかなって。


それに地元に残っていたらBEYOOOOONDS、そして紗耶ちゃんにも出会うことがなかったかもしれないし、、、


もっと言えば会社の人やビヨきっかけで知り合った人も。



前のブログで人生について少し書きましたが、良いことも悪いこともあるのが人生だし、その人生の中で繋がっているものもきっとあるはず。



僕も今まさにそうなんですけど、上手くいかなくて悩んだり考えるときもあります。


全部が順調に進めばそりゃあ嬉しいですよね〜!


でも、そんな上手くいかないことも楽しめる人生が1番楽しいんじゃないかなって思う!



人生は未完成!




仕事も頑張りながら、今の僕が頑張る理由は紛れもなくビヨであり、紗耶ちゃんのためなので、後悔しないように日々自分が持てる全力を尽くしていけたらなと思ってます!




去年の夏に帰ったときの地元🌾






僕、いつも支えてくれてる紗耶ちゃんのために頑張るよ!




この気持ち、忘れない!








そんでは!





ぐっない!😴⭐️