今日もラジオから聞こえてきた言葉。

醤油を作る過程でもろみが凄く良いもろみとそんなによくないもろみがあって、良いものを使うのではなく、よくないものと良いものが混ざって美味しいモノになるとおっしゃっていた。

良いものだけを選んでいるのをアピールすることが多々ある中で、色んなタイプのモノが混ざり合って良いものになると。

排他的になることを良しとする風潮は苦手。このラジオから聞こえてきた言葉は、共に生きて皆違うことで良いのだと言いたかったようだ。

 今オリンピックの件で世の中大変だしね・・・

 

以前、甥が「大きくなったら何になりたいって先生が聞いたけど、先生とかお医者さん、運転手さん料理をつくる人、色々な違う人になっていいんだよね?みんな同じで先生ばかりだったらご飯食べられないね」って言ってきた。小学校一年生にして大人が失ってきている当たり前のこと的確に言っていたので感激したのだ。子供の純粋さにはかなわないな~

 

 排他的な人に気が付いて欲しいなと思って、私はこの甥のセリフを言って何度か伝えたことがある。ただこのセリフが球体に水を流すごとく溜まらない、流れて一瞬で終わる。人は聞きたい言葉を聞くのだなとつくづく実感する。云う私も押しつけがましいか(;^_^A

 

 何をキャッチするかで人間性がつくられるのかもしれないな~

これは年齢ではなく、性格の差だなと。

調べたら性格は、先天的にもっている資質と、環境などの後天的な要因が混じり合い形成されるらしい。

性格も醤油のように色々なモノが混ざり合ってできるのだな!

 排他的な人って成長していない人なのかな?空気を読めないだけなのだろうか?

 以前で定年間近の会社の先輩に「悪い言葉だけど嬢ちゃん婆ちゃんというのよ」って言われたことがあった。年だけ取っても大人になることが身についてなくていつまでもお嬢様気取り、あなたは反面教師を見ているのだから、ああいう風にならないで!」と言われたな・・・男なら「坊ちゃん爺ちゃん」かな?

何が正しいのか判らないけれども、皆が違う、多様性な個性を認めるべきなのか・・・ 

 

 昔読んだ本で「平気でうそをつく人々」というのがあった。あれは強烈だった。説明は「自己正当化のため巧妙かつ隠微なうそをつく邪悪な人たちの心理とは。うそをつき、周囲に負担を強いる人々の心理」

 

 

 普通っぽく見せているがその人が一番の噓つきで医療を進めてもへは絶対にいかないと。噓をつくというか誤魔化して生きている人々かな?

TVで叩かれる政治家とかこの「平気でうそをつく人々」なのだろうか・・・ 一般でもいるよね、関わりたくないような方。

思いやりのための噓ならつくときはある、本当の事を告げる事が良いとは限らない場合もある。臨機応変に考えられないと、生真面目で本当のことだからと平気で伝え傷つける人もいる。

四角四面はよろしくない、丸いのが良いな~と。