前回は人間が嫌いという記事。
そしてそれを細分化していくために
生い立ちを話していきます。
まず、
僕は二人兄妹で年子の妹が居ます。
両親は共働きで鍵っ子の記憶が鮮明に残ってて
よくお婆ちゃんにも世話になっていました。
父は運送会社に勤めて
トレーラーの運転手をしていました。
朝早く起きて出ていき
帰ってきては酒をたらふく飲みすぐ寝る
ガテン系サラリーマンでした。
今思えば
父はとてつもなく真面目な人間であり
僕の根っこの性格に確実に遺伝しているなと
痛感するのですがこれは
またの機会に話します。
母は建設会社の事務員をしており
家の片付けは少し苦手でしたが
自炊は欠かさず
裕福ではないけど
ごくごく普通の家庭で育っていたのだと
幼少期はそう思っていました。
そして
僕の生まれた地域はあまり治安が良くない
いわゆる部落地域の近くで
同じ苗字の人がほとんどの団地だとか
許嫁なんて言葉も小学生の時には
知っていましたね。
そんな環境で育っていくわけですが
幼少期振り返ってまず思うのが
物心ついた時から
人に何かで負けることが
非常に嫌いでした。
1番にならないと悔しくて悔しくて
涙が出てしまうほどに負けず嫌いで
しかも全ての分野でとなると
それは到底不可能なわけで
でも負けたくなかったんですよねー
勉強も運動も、喧嘩もゲームも。
とはいっても勉強をする子供が
あまり居ない地域で
中学受験なるものをする子供は
学年に2、3人居るかどうか。
彼らはめちゃくちゃ
勉強させられてましたが
僕は物事を理解をするのがとても早く
わからない所も
わからないのは負けたことと同義だ!
的な感情で理解するまで考え抜いてました。
両親の期待を良い意味で裏切るように
この地域では勉強は
1番出来ていたと自負してます。
そして運動も3歳から水泳に通わされていたり
父親がガテン系でスポーツマンだったので
基本的になんでもそつなくこなせてしまい
駆けっこやマラソン、球技
ほとんどで負けることは少なかったですね。
喧嘩は強い方でしたが
悔しいことに
早生まれのせいか身長が伸びず
身体の大きいやつには負けてしまっていました。
少林寺拳法に通わされていても
護身寄りの拳法であまり役に立たず
いわゆる番長みたいな人間には
なれなかったですね。
この時の悔しさも忘れられず
大人になり格闘技を習うのは後の話。
ここまで話すとなんだ自慢かー
ただの自分語りかーと
思われると思います。
その通りです。
ここから自慢のオンパレードで進みます。
ですがこのブログのいく末には
かなり深い闇が待ち受けているので
ご了承ください。
今回の記事はこれまで。
別のテーマ挟むかもしれませんが
本編としてはタイトル
生い立ち②として投稿しますので
続きはまたそちらで。