僕の夢は、誰もがありのままでいられる世界を創りたい。
皆さんは疑問に思うでしょう。
誰もがありのまま生きたらめちゃくちゃな世界になると。
極論を言ってしまえば、殺したいと思えば殺してもいいということになってしまいますから。
子供を虐待してもいい。
働くのが嫌なら働かなくてもいい
そんな世界、成り立つわけがない。
そう思いましたか?
ここで皆さんに、考えて頂きたいことがあります。
本当に、殺したくて殺すんでしょうか。
本当に虐待をしたいと思っているんでしょうか。
心の底から働きたくないんでしょうか。
僕は殺意を知っています。
僕はそいつを殺したくてしょうがなかった。
何故殺したかったのか。
彼女を守るにはそうするしかなかったんです。
法という壁。
国家権力という守護者。
そしてお金という暴力。
その力を前に、高校生だった僕が選べる選択肢はそれしかなかった。それしかないと思い込んでいた。
何故なら、世界を知らなかったからです。
何より自分を知らなかったからです。
殺したかったんじゃないんですよ。
僕は彼女を護りたかったんです。
そしてもっといえば、理不尽なこの世界が、嫌いなんです。
子供に虐待をしている人は虐待をしたくてしているんでしょうか?
どうしようもない何かに苦しみ、それをぶつけてしまっているのではないでしょうか。
誰かが働きたくないという。
それは本当に働きたくないのでしょうか。
働く環境が嫌なのではないでしょうか。
好きなことで生きていけるなら、それは楽しいんじゃないですか?
ありのままで誰もが生きられるならば
ありのままの誰かを否定することもない
私は私
貴方は貴方
みんな違う人間です。違って当たり前なんです。
それのなにを、責める必要があるんでしょうか?
出来ないことをやる必要がありますか?
やりたくない事をやる必要が何処にありますか?
それでも、社会という枠組みの中に居る限り、誰もがありのままでは居られない。
人間は、愚かな生き物だと。
誰かが統治し、治めなければ滅びてしまうんだ。
義務を課し、制限を加え、こう生きなさいという指針を与え、社会へと組み込むことが人類の在り方だ。
確かに、そんな時代もあった事でしょう。
では現代も、そうなんでしょうか?
時は進み、流れ続ける。
技術は進み、進化を続けてきた。
では人類は、どうなんでしょうか?
人の在り方は、変わらないのでしょうか?
いつまでそこに居るつもりだと、その言葉が切っ掛けで僕は前に進むことが出来ました。
僕も言いましょう。
僕達は、いつまでここに居るつもりなんでしょうか。
人はいつまで、愚かな生き物であり続けるのでしょうか。
滅びを迎えるその時まで、人類は愚かな生き物で有り続けるのでしょうか?
そんな筈はない。
僕らは必ずステージを上がって行く。
それが遅いか早いかというだけの話。
それならば、限定的な世界を創り、僕と共感してくれる仲間達だけでも先にステージを上がってしまおう。
その限定的な世界というのが、僕のいう村になります。
村を作るには、たくさんの資金と仲間が必要です。
ストーリー制作によりありのままを知ってもらう。
ニュースサイトで発信をすると同時に、僕自身もストーリープレゼンターとしてありのままを発信し続ける。
挑戦する姿が勇気を与え、新たな挑戦者達が産まれていく。
縁を紡ぎ、コミュニティーを大きくしていく。
全ては村作りの為の手段で、過程であって夢ではない。
気分良くありのままで日常を過ごす事。
僕一人がありのままでは気分が良くないんです。
誰かに後ろ指刺されたり、わがままだとか言われてしまうので、イラッとしてしまうでしょう。
環境ごとありのままで居られるように整備すれば、みんながありのままで過ごせれば、僕もみんなもハッピーで万々歳ですよね。
頑張ります。