念願叶い、2011年6月11日に宮城県石巻に妻と2人でボランティアに行ってきました。
さきほど帰ってきたばかりで、色々な感情が自分の中でも渦を巻いているので、うまく文章に出来るか分かりませんが、とにかく自分の備忘録としても、またこれからボランティアに行きたいという方への現状リポートのためにも、とにかく今書いてみようと思います。
今回参加する事は1月前ほどから決まっていたにもかかわらず、いざ前日からいろいろと用意をしはじめると、ややナーバスになってしまう感もあり、
”もし炊き出し中に津波がきたらどうしよう。。。"とか、
”なにがあっても、なにを見ても正常な意識を保てるだろうか?”
などと考え始めてしまい、翌朝4時には寝汗ビッショリで起きる始末。
情けないやら、気が小さいやらですが(-。-;)、とにかく5時には出発なので、前日に石巻市のHPを見て用意した、今必要とされている物資と野宿が出来る用意を持って朝1の新幹線で仙台向かいました。
ちなみにその日は復興ボランティアで行く人は帰りの運賃が半額というサービスがありました。
仙台駅に着き、今回のコーディネーションをしてくれたIsaac Knoppさんに初対面、石巻まで彼が借りているバンで連れて行ってもらいました。
仙台駅周辺は思っていたよりも通常に機能しているようで少し安心しましたが、Isaacに現地の状況などを聞かせてもらいながら道を進むにつれ、屋根瓦の紛失部をカバーするブルーシートが目立ち始め、だんだんと風景は変わって行きました。
彼いわく、"1階部分を全壊している家屋が多いので、2階で生活を続けている人が多くいる。 2階で雨漏りをしてしまうと居住スペースが無くなってしまうので、屋根の修繕は僕らのチームが震災直後から重要課題として取り組んでいる” とのことでした。
沿岸部に近づくにつれ、一帯の75cmの地盤沈下の影響で川の水面が異常に高かったりと、この当たりの現状を見る事が出来、実際その川は先日の大雨で氾濫したらしく、周辺のの住宅は今後こういったリスクを抱え続けることになるので、そのあたりも今後の大きな課題でしょう。

石巻に抜ける最後のトンネルをくぐると、風景は一変しました、テレビでしか見ていなかったのですが、まだまだ車がヒックリ帰っていたり、崩落した土砂麺や、道路のヒビ割れ、隆起、沈下、損壊した家屋、以前はあったであろう家屋の痕跡などがむき出しになってきました。




ただすぐに分かりますが、これでも大分作業は進んでいると思います。
少なくとも今回行ったわたのはまでは、迂回路などはありますが実際道路は確保出来ていますし、信号等も動いています。
信号の無い場所には自衛隊の方がいて交通整理をしていただいている箇所等もあります。
実際やはり自衛隊の方はよく見かけますし、壊れた住居の撤去等、いたるところで作業をされています。


僕らはたったの1日ですが、彼らはこれをずっとやっているという事です、頭が下がる思いでした。
上記の写真はこの日晴れてから撮ったものですが、実はこの日の朝我々が仙台に着いたとき、またこの後に炊き出しをした直後までは雨でした。


仙台から50分ほどドライブして僕らが炊き出し場に着いたときにはもう3~40人の方が物資の供給を、雨の中数個建てられたタープの下に窮屈そうに列を作って並んでいらしゃいました。
列には大人だけではなく、ご老人の方も多くいました、あとこの日はその後に”子供会”的なことが行われる予定だったために、子供さんの姿も多く見かけました。
子供はやはり元気で、見ているこちらが非常に勇気づけられました^^
Isaacさんから炊き出しの方に紹介してもらいました、チームは外国人と日本人の割合が半々くらいの10人程度のチームでした。 私はクリスチャンでは無いのですが、この日は最近よく話しているハーバードの復興チームからのご紹介、ご縁があって"グレイスチャーチ" というキリスト教のチームのお手伝いをさせて頂くことになりました。



その日の献立はホットドッグと、ポテトチップスと、野菜ジュースのセット。それになぜかキムチ。
ホットドッグとポテチをセットにするあたりがアメリカ人センスだなあと思ったのですが、恐らく一緒に食べるというのは東北のおばあちゃん達には伝わっていないとは思われますがw。
で意外だったんですがキムチがすごく人気がありました。 考えたのですがやはり野菜を簡単に摂れるという意味で、漬け物はすごく重宝されているのだと思いますし、今後も浅漬けなんかはやってみたいなあと思いました。
私は主にこのホットドックを配るという役がポストが空いていそうだったのでやらせて頂く事にしました。

物資のピックアップを済ませた方にお渡したり、ホットドックにマスタードをかけたりするのですが、被災者の方々はほんとうに驚く程明るく、僕にしてみればホットドックを用意したわけでもなく、その購入資金を出した訳でもなく、たったいま東京から来て、たまたまホットドックを配らせて頂いているだけなので、被災者の方から”ありがとう!” などと言っていただくと、逆に申し訳なくなってしまう気分でした。
この日は本当に雨がつよく、ホットドックが濡れてしまうのを避けるのも重要でした。
僕と一緒に配ってくれてたのが、地元の方なんですが"鈴木さん"と呼ばれていました。
最初見たときは、なんかちょっとコワそうな感じだなと思ったのですが、鈴木さんはビシッとしたおじいちゃんで、漁師っぽい黒く焼けた肌に、長く真っ白なあご髭の伸びた、このあたりでは昨年度より組合の長をされている方でした。

実はこの日配っていて気づいたのが、”一人一個”ということなんですが、これが配っていて心苦しいときがありました。
たとえば「孫が三人いるので3個もらえないかね~」等と言われるとどうしても差しあげたくなってしまうのです。
ただ、やはりこの炊き出しは私が準備したものではないので、そう言われても ”今日は一人一個までらしいんですよね、、ごめんなさい!” と言うしかなかったのです。
そんな時に、この鈴木さんは地元の方もやはり一目置いていらっしゃるようで、彼から「最後に残ったらまた配るから後でまたおいで」と毅然と言われると、そういった方々もややしょぼんとはしながらも、悪びれるも無く、素直に従わざるを得ないといった感じでした。
実際、彼の用な地元の”顔”の方が率先してボランティアチームに協力して頂いている事が、この地域のボランティアチームのスムースな運営の柱になっていると思いました。
配っているときも、彼のホットドックのボックスが空になったら私が新しいBOXを渡したりと、けっこう息はあってたと思いますw
この日本当はジュリアードのミュージシャンが一緒に来る予定だったのですが、都合で無くなったと聞いていたので、この前日に急いで雨の曲のプレイリストを作り、コンパクトスピーカーを持って行きました。
配膳も山を超え、終盤にさしかかって来たので僕はそれをプレイすることにしました。今日は雨だと天気予報で見ていたので雨を題材にしたプレイリストを前日に用意しました。

やはりまた音楽の素晴らしさ、マジックを感じましたのですが、"raindrops keep fallin' on my head"をかけはじめると一瞬で空気が変わりました^^
”Ahhh~~~~”とか"We finally got a music!" 等、特にボランティアの方からも良い反応を頂きました^^
"singing i the rain"がかかる雨と、かからない雨は種類が違うなあと思いました、やはり思い切って持って行ってよかったなあと思いました。
と思っていたら、雨が止んできました、そして30分ほどで完全にドピーカン!!
この後予定されていた子供会は予定変更、屋内ではなく屋外で行われました

ボランティアの学生さんたちが子供とドッジボールしたりしてくれてます。

子供達も楽しそう! でも砂利を敷いて舗装してるのはこの一角だけで、そのわきには恐らく子供のおもちゃであっただろうエルモの泥にまみれた人形やら、ガラス片やらとにかくなんでも混ざった土。

このぬいぐるみの持ち主だったであろう子供の安否を思わずにはいられませんでした。
この風景を見ていたIsaacは”子供が楽しんでるのも嬉しいけど、今日はお母さんがたがその楽しむ子供を嬉しそうに見ているのが印象的だった”と言っていました。
ただこれから気温も暑くなってくると、恐らくこういったガラス片などで足を切ったりすると破傷風の恐れも高いと思うので、そのあたりの対策も早急に必要ではないでしょうか。
実際いまがれきの撤去作業のボランティア、作業員さんたちは破傷風の予防接種を義務づけられていると聞きました。
その後子供会も無事おわり、配膳ブースを撤去しつつ(このへんはレイブで鍛えられてるのでよかった)先ほど物品の配給が行われていた40帖ほどの集会所の中の掃除をしました。もちろんその集会所も津波で天上まで水に浸かっているので、損傷はありますが、 比較的作りがしっかりしているため使える状態は保っていました。

清掃もとりあえず一通り終えて、配膳ブースもほぼ片付いてきた時に気づいたのですが、自分で寄付する用に持って来ていたカップラーメンやら、夏物衣類、お酒などを渡すのを忘れていました^^;
なのでチャーチの方にお願いして、彼らのトラックにそれら物資をついでに残った配給品とともにのせてもらい来週また持って来てもらえる事になりました、ありがたい。
でもお酒だけは割れると危険ということで、私はそれをさきほどの鈴木さん差し上げようと思い、チャーチの方が彼から借りたひしゃくを返しに行くというので、渡してくれるよう頼んだら”一緒に来るか?”と言われたのでいっしょに鈴木さんの家まで行く事にしました。
彼の家に行ってみると、さきほどの炊き出し場から道を隔てたすぐまんまえのお宅でした、やはり一階部分は津波により大きくえぐられていました。
玄関(といってももちろんドアはないが)、から鈴木さーんと声をかけると彼は1階部にいたらしく、直ぐにいらっしゃいました。
お酒をお飲みになるか伺ったところおのみになるというので、持って来た泡盛をお渡ししたところ、”土足でいいので上がって行って下さい”とのことでした。
恐縮しながらも是非にという事でしたので、少しあがらせて頂きました。
玄関を上がって左側はすでに畳も無く、家の土台と木の床枠のしたの土が部屋の形に見えました。
土には白いソーダ末がふりかけられ、消毒をしているようでした。
また右側には和室がありましたが、中にはなにもなく、海に面した壁は無いように見えました。
ただ玄関の正面、家の真ん中にある階段はわりとしっかり残っていて、またまた右手の和室にまもられたのか、その奥にありキッチンは比較的無事だったようです。
鈴木さんはその階段の下で3月11日の事を話はじめてくれました。
鈴木さんは以前より地震に関してはとても用心深かったらしく、家具等は来るべき三陸沖地震に備えすべて突っ張り棒や、ネジ止めなどで補強をされていたそうです。
今回も地震が来た時は、家はかなりゆれはしたが、損害はほとんど無かったそうです。
ただその後5分後、この階段にいた鈴木さんの背後の玄関から突如大量の水が入って来た、
そのとき鈴木さんの奥様は台所にいらっしゃったようで、鈴木さんは慌てて
”ばーさんはやくこっちこい、2階に上がれ!”
と呼び続けたが、なかなか出てこず、それでもなんども呼んでようやくおじいさんの手に捕まる事ができたので、鈴木さんは奥さんを階段の上に押あげ、自分が上がろうとしたときはすでに胸まで水が上がってきていたそう。
とりあえず2階には無事上がれたお二人だが、鈴木さんが窓を開けて外を見たところ、水から少しでも高い所へ自分の母親を遠ざけようと、車の上に母親を乗せた子供が鈴木さんの家の方に流されて来たらしく、偶然鈴木さんの家のベランダのひさしにつかまったのは良いが、ガラス片やら木片、鉄板などなんでもかんでもと一緒に流されたので体中傷だらけだったらしく、幸い鈴木さんは救急箱一式を2階で保管されていたようで、手当が出来たそう。
また母親の方は車がだんだん水で浮いて来るのだが、鈴木さんいわく”エンジンの方が思いからか” 車の頭はら沈んでしまったようだ、母親も流れてくるかと思いきや、どうやらハンドバッグのヒモが車のどこかに引っかかってしまったらしく、鼻先だけで息をしている状態になってしまったのを見た鈴木さん。
水に入って助けようとしたところ彼いわく"やっぱり見て分かっているのか" 偶然畳が3枚水の上を流れて来て、その母親までの道を作ったそう。
かれはそこの畳の上の歩いてギリギリまで行く事ができ、母親も助かったそうです。
その後4日間、鈴木さん夫妻とその親子の4人で鈴木さんの家の2階で救助を待ったそうです。
僕らはそんな鈴木さんのお話をうかがって、鈴木さんのお宅から配膳場へ戻って行きました。
集会所の色々な片付け、拭き掃除等しつつ今日の締めくくりとして、ボランティアの集合写真を撮ろうという事になり、私も参加させて頂こうと待っていると、さきほどの鈴木さんもあらためて来ていらっしゃいました。
鈴木さんは手に白いビニール袋を持っていて、私の方に歩いてくると”これ先ほどのお酒のお礼です”といって白いビニール袋から何か取り出しました。
それは津波から残った彼の宝物の一つだと思われる、赤いサンゴでした。
ただ、津波に飲まれているので、枝はほぼ折れてしまっていて、表面の色は褪せていましたが、折れた断面に見える赤はとても綺麗なのが分かりました、そんなサンゴをわざわざ届けに来てくれたのです。
もちろんこれは私にではなく、今回のボランティア全員に頂いたものだと分かっていますが、
私たちは物資を届けに来たのに、逆にこんな素晴らしいものを頂いてしまいました。
集合写真後、配給のリーダーの言葉の中で、”今日このメンバーで集まれた事は偶然ではない。僕らはホットドッグを届けに来たが。届けに来たのはただの食料ではなく、愛を届けに来ている”といっていた。非常にクリスチャン的な発言かもしれないけれども、私にはその話している内容には、素直に共感する事が出来ました。
さて、この1回目の東北復興ボランティアを受けて、私の今後の目的としては、やはり今後は音楽を通して貢献していけたらと以前から考察を練っています。
その話はまた次回にしっかりまとめてやりたいと思います。
当面ははこの集会所でプレイしたいミュージシャン(特に電気を使わないで演奏できる形態)募集してます^^。 曲目などは話し合って決めましょう。
全部自己負担、自己責任になりますが、私と一緒に東北に行きませんか?^^

鈴木さんにはまたかならず会いに行きたいと思っています、今度はもっといろんなものを持って。

この後東京へ帰る組はトラックやバンで帰って行きましたが、私たちはもうすこし色々な人の話なども聞きたく、また観光もかねて、仙台と石巻のちょうど間くらいにある松島で一泊しました。
さすが日本三景だけあってすばらしい所ですね、海鮮、牛タン美味しかったです^^
松島の話もまた今度書きたいと思います。