新編 太郎日記・わが家の郵政解散 -6ページ目

新編 太郎日記・わが家の郵政解散

トトさまが巻き込まれた郵政新党騒ぎ内幕の因縁をぼくの誕生から

 さて前回、9月12日の朝、石原都知事とペルーのフジモリ元大統領を中心とした写真を公表しましたが、同日午後の記者会見で都知事はフジモリさんが大統領選挙に出馬するためにペルーに戻るらしいが知事はどう思うか、と云う質問を外国人記者クラブの記者からの受け応えてらっしゃいました。同じく当日か翌日には、亡命の状態で日本に身を寄せているフジモリさんにペルー政府がビザを発給すると云う事を報道で太郎も知りました。写真を公表した途端にフジモリさんの事が知事の会見で話題になったり、大統領選に関係してペルー帰国が実現しそうだと報道されたり、偶然の一致に他なりませんが不思議です。

 さてこの写真は、左からニ番目に写っている野田将晴さんから父さまが貰ったのでした。写真に印字されている日付けが正しければ平成12年の12月12日。5年前の年末に撮影された写真です。自分が写っていない写真を、父さまが貰う事になった経緯の始まりは、やはりこの写真をくれた野田将晴さんからの一本の電話からでした。

 その電話は、都知事を総理にと云う会を一緒に立ち上げた、大野城市の市会議員・鵤卓徳さんに入りました。その頃の野田さんは自由連合の幹事長と云う立ち場でしたから、野田さんは自由連合党首でらっしゃる徳田虎雄さんからの話しを鵤さんに伝えて来たのでした。その内容は、
 『明日、石原都知事が自由連合本部に徳田党首を訪ねて来る。
その時に鵤、清田2名を徳田党首が都知事に引き合わせる、僅かな時間しかないが都知事と話せるチャンスだ。どうだ上京してくるか。』と云うものでした。
 鵤さんは直ぐに父さまにこの電話の件を話したわけですが、都知事の予定が変わって会えない可能性も有るけれども、このチャンスを活かして上京する他はないと二人の意見は一致しました。そして、予定を全てキャンセルして翌日二人は上京し国会近くの自由連合本部へ向かいます。
 もちろん、この時二人は、石原慎太郎さんを総理に!とゆう趣意書、激文とも呼んで良い内容のものと、2000名程集めた『石原さん決起してください!』と云う署名を重々しく持って行ったのです。

 千代田区平川町の自由連合本部に着くと、野田将晴さんが二人を出迎えてくれました。野田さんは長身で、分厚い平板を背中に入れているのではなかと思うほど背筋が伸びた良い姿勢の持ち主です。顔は鬼瓦のように広く赤ら顔。野田さんは柔道の達人でもあって、普段すり足ぎみに歩かれます。腕がまた大変長いのですが、すり足ぎみに歩くときに一緒に動くその長い腕が大きな手の平を先にしてロボットのように直線的に動きます。そんな野田さんの普段の動き・姿勢は誠実・正直を絵に描いたもののように見えます。そして、また話し方が情熱的で世間話をする時でさえも赤ら顔のまん中に陣取る鼻の穴から、いつも荒い鼻息が出ているような印象があります。
 母さまは、この野田さんが九州に戻って来られた時、野田さんの故郷熊本で名物のラーメン店『桂華』に入り一緒にラーメンを戴いた事があるそうです。そのときも、その大きな手のせいで小さく見えてしまうわり箸で忙しくラーメンを口に運びながら『このラーメンはうまい!』と誠実に興奮し、そしてまた情熱的に喜びながら食べていらっしゃつたと話していました。母さまは、ラーメンを食べる時でさえ、情熱と誠実がみなぎっている人と野田さんの事を覚えているそうです。

 野田さんの出迎えに応じて自由連合本部の中へと入ると、折り畳み机とパイプ椅子が並べられた部屋に通され、そこで待つように言われました。そこには二人の先客がパイプ椅子に腰掛けいました。父さまは、その内一人は見た事がある顔のおじさんだなと思いつつ挨拶し名刺を交換しました。すると、その見た事があるような気がしたおじさまは総評の大幹部だった富塚なんとかさんだったのです。もう一人も革新が強い愛知県の元県議だそうで、富塚さんのお仲間のようでした。自ら極右である事を公言して憚らない、父さまにしてみれば組合の総本山の幹部などは不倶戴天の敵であって、ましてや右派改革派・保守改革派のあこがれ石原慎太郎東京都知事との出合いを待つ時に部屋を共にするとは。いっそ『天誅』とでも叫びながら殴りかかってやろうかなどと思うのでした。