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ビジネスに役立つ経済ニュース

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2011年9月29日、米誌フォーチュンが2011年版「世界で最もパワフルなビジネスウーマン50(50 Most Powerful Women in Business)」を発表した。世界部門でランクインした50人のうち、10人が中国系女性(中国・香港・台湾を含む)だった。新京報が伝えた。 1位を飾ったのは英鉱業大手アングロ・アメリカンPLCのシンシア・キャロルCEO。中国系でトップだったのはファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術)の孫亜芳(スン・ヤーファン)会長で17位。 中国系で初ランクインしたのは3人。不動大手SOHO Chinaの張欣(ジャン・シン)CEOが24位、自動車大手グレートウォール・モーター(長城汽車)の王鳳英(ワン・フォンイン)社長が29位、ソフトウェア大手SAP(中国地区)のヘラ・シウ(蕭潔雲)社長が45位。 日本からは証券大手・野村ホールディングスの中川順子CFOが34位、人材派遣大手テンプスタッフの篠原欣子社長が36位だった。(翻訳・編集/愛玉) 【関連記事】
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 府と京都市は30日、国が募集している「総合特区制度」で、同市域の国際観光分野での税制優遇措置や規制緩和を求めて国に共同申請した。国際会議や研修などで利用する際の文化財事務手続きの簡素化や、免税店の普及促進などを盛り込んでいる。  総合特区制度は国が昨年策定した新成長戦略の柱の一つ。府と市は14年の年間数値目標として観光消費額を7000億円(10年実績は6492億円)▽外国人観光客数を400万人(同203万人)▽コンベンション開催件数を250件(同157件)-と設定。達成に向けた要望をとりまとめた。  具体的には、MICE(多くの集客交流が見込まれるビジネスイベント)で寺社など国宝や重文に指定されている施設を使う際、文化庁の許可が必要となっている手続きの権限を府に移譲することや、外国人観光客のショッピング利便性向上のため、免税店の登録要件緩和や対象品目の拡大などを求めている。  約4万8000戸の京町家などについても、観光資源の重要な構成要素の一つととらえ、改修助成金を税法上の収入に組み入れない措置なども盛り込んでいる。  全国からの申請の採否結果は12月ごろ国が公表する予定。【入江直樹】 10月1日朝刊 【関連記事】
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【ホッと一息@北海道】  洞爺湖サミット、ノーベル賞、なでしこジャパンの共通点はなーんだ? まるで三題ばなしのようだが、実はいずれも北海道からソメスサドルのバッグが贈られて話題になった。日本唯一の馬具メーカーであるソメスサドル(本社・歌志内市)は、近年はバッグや財布などの革製品でも技術の確かさで人気を集めている。砂川市にある同社の製造拠点を訪ねると、伝統の技を受け継ぐ若い技術者が黙々とものづくりに励んでいた。(札幌支局 藤井克郎)  7月のワールドカップで優勝し、いまだブームの衰えないサッカー日本女子代表のなでしこジャパン。北海道では、決勝の対アメリカ戦で世界一を決めるPK(ペナルティーキック)を成功させた熊谷紗希選手ら道内出身者に道民栄誉賞が授与されたが、その際、副賞として贈られたのがソメスサドルのバッグだった。  高橋はるみ知事から、平成20年の洞爺湖サミットで各国首脳にプレゼントしたもの、という説明を受けた熊谷選手は、顔をほころばせながら「使い道はこれから考えます」と話していたが、全く同じバッグというわけではない。  「サミットのときはかなり手をかけて、漆の手法を用い、中にはアイヌの文様を施しています。メードインジャパンに加えてメードイン北海道を入れたかったんです。熊谷さんの場合はスポーツ選手ですから、日ごろお使いになるようなカジュアルなバッグを選ばせてもらいました。大変名誉なことだと思っています」と染谷昇社長(60)は笑顔で話す。  製造拠点の砂川ファクトリーにあるショールームには、熊谷選手らが手にしたバッグとともに、昨年ノーベル化学賞を受賞した鈴木章さんに道功労賞特別賞が贈呈された際に道から贈られたものと同じビジネスバッグも並んでいた。  ソメスサドルが中空知の産炭地、歌志内市に創業したのは昭和39年のことだ。当時はオリエントレザーという社名で、北海道開拓を支えた農耕馬の馬具づくりの技術を集め、乗馬具メーカーとしてスタートした。石炭から石油へのエネルギー転換を迎えて、地域振興も目的の一つだった。  製品は海外に輸出され、売れ行きも好調だったが、石油ショックで危機を迎える。債権者の一人だった染谷社長の父親に白羽の矢が立って3代目社長に就任すると、それまでとは一転、国内の販路拡大に努めることになった。  「国内で馬具は成立しない。海外では馬具メーカーでバッグを作って成功しているところがあったし、生き残りをかけて一般の革製品の開発にも力を注ぐことになった。私は東京の拠点づくりのために入社して、東京の情報を伝えたりしていました」と振り返る染谷社長は、一昨年の10月に4代目の兄から社長を引き継ぎ、5代目に当たる。  革製品は、大工道具などを携帯するための電工バンドや観光用のキーホルダーなどから始めたが、馬具を作ってきた職人からは強い抵抗があったという。そもそもあぐらをかいて作業をしていたのが、革製品では立って仕事をする。意識改革が求められた。  「でも、あくまで馬具作りはやめずに、両方のよさを生かすことを目指した。馬具では乗り手の安全を守らなければならない。これを続けてきたことで、技術の継承とレベルを落とさないことにもつながった。今も工場には神聖な空気が流れている。安全を守る仕事に携わっているという意識が根付いているんです」と染谷社長。  昭和60年には、社名をソメスサドルに変更。サドルは「鞍(くら)」、ソメスはフランス語で「頂点」を意味する「sommet」に通じ、製品には「SOME’S」のブランド名が刻印されている。さらに10年後の平成7年には砂川ファクトリーを完成させ、現在はほとんどの製品をここで製造している。  染谷社長によると、ソメスサドルのものづくりは分業制ではない。3~4人で1チームを組み、ミシンがけも手縫いも貼りつけもみんなで行う。さらに携わる製品も、バッグにベルト、文具類と垣根がない。「実はこの業界は、鞄(かばん)だけでも女性用と男性用でメーカーが違う。うちは靴以外は大体いじってきたし、これしかできませんという育て方はしていない。それが私たちの基本的なものづくりの精神です」  ちなみに工場勤務の技術者は現在、50人近くいるが、平均年齢は38歳と若い。全員が正社員だ。  この確かな技術が信頼を生み、政府関連の施設に一流ホテル、高級車など、さまざまな革製品の依頼が後を絶たない。さらに原点の馬具においても、宮内庁から毎年、皇室用の馬車具の発注を受けているほか、世界の一流ジョッキーの鞍を作り続けている。  実はソメスサドルには2人の修理担当者がいる。糸がほつれたり、革の色がはげたりした製品を、元のように直して客に返す。新たに買ってもらった方が手間もかからず、売り上げにも貢献するが、こういう地道な積み重ねが客の信頼につながっているという。  「ものによっては思い出がありますからね。嗜好品(しこうひん)だからなければないで済むが、修理しても使いたいというのは、精神性の高さ、内面的な豊かさではないかと思う。そういったものを私たちは提供しているんじゃないかと思います」と、染谷社長はものづくりにこだわる姿勢を改めて強調した。 【関連記事】
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