カルト教団Kにせよ、カルト教団Aにせよ、その教祖は盲信者にとってはヒーローなんよね。
カルト教団Kの教祖に関しては、もともと正しかったのと初期には画期的なことも言うとったんで、わからんでもない。
しかし、カルト教団Aの教祖『最低最低』なんかは自分で開発した何ものもなく、師匠の受け売りと子供ダマシの波動理論。
単に0ヘルツを言うだけのハッタリとこけおどしで、何もできない。
私の巨大な0ヘルツの前には、児戯に等しい。
盲信者は、理屈抜きにその振りかざす理論をすごいと信じ、ずっとベッタリ。
あんなのを絶対視し続けられるのは、ある意味才能かもしれんのよね。
まあ『最低最低』の行動や言動でだいぶ人が辞めたとはいえ、それでも依然としてそんとな人がおる。
カルト教団Kに関しては、これまた教祖のスキャンダルで教勢はだいぶ衰えたものの、それにしてももともとのピークがそれなりにおったんで未だにまあまあおる。
こっちは初期のすごさがあるんで、それがスキャンダルに負けないぐらいの居残り動機につながるのがわかる。
『最低最低』に関しては、一度S支部まで出向いて吊るし上げて問い詰めたことがある。
あまりにも言うとる内容がコロコロ変わりまくり、何が何だかわからんような感じなのと、『最低最低』以外の話のわかる人と取り決めをするのが目的じゃった。
その時、人のよさそうなおじいちゃん信者がおりました。
午前中、『最低最低』が得意になって熱弁をふるい、その講義を聞いて満足しとったんじゃろう。
お昼ぐらいに到着して『最低最低』に遭遇すると、『最低最低』は逃げ回る逃げ回る。
話し合いに応じようとしないんで、追いかけ回しついつい大声になる。
びっくらこいた支部長が割って入って話し合いになるものの、それでも逃げようとする『最低最低』。
その教祖の姿を見て、そのおじいちゃん信者はなんとも困り果ててしもうた。
午前中には颯爽と自慢話とありがたいと思える話をしてくれた、ヒーローのような教祖の姿はどこにもない。
同一人物とは思えないような、姑息にコソコソ逃げ回り言い訳に終始する情けない姿。
私がその信者なら、割って入って事情を聞くことじゃろう。
疑念は当然沸くし、それで教祖の嘘が露見した時点で辞めるじゃろう。
どうなんかのう?
あのおじいちゃん信者、もう一度会えるなら話をしてやりたい。
ただ、それで教祖を見限られるのかじゃのう。
カルト教団Kに関しては、教祖が起こした一つ一つの事件やスキャンダルによって、段階的に人が辞めていった。
ただ、その段階を踏むごとに盲信者の盲信度合いは煮詰まった。
本人たちは信仰が試されて深まったと言うんじゃけど、盲信が凝り固まり煮詰まっただけなんよ。
何の役にも立たんことしか言えんようになった教祖に対して、その愚論をより握りしめるだけになったんよ。
カルト教団Aに関しては、そこまでの教祖への思い入れとかは持てないはずなんよ。
理論や修行方法を編み出したわけじゃないけえのう。
まあ歳いって固まったんかのう?
いずれにせよ、盲信する人たちは教祖をいつまでも自分のヒーローにしておきたいいうのがあるんかもしれんのよね。
それを崩すには、よほどの教祖の失態を見せつけるしかないんかもしれんのよ。
それでもダメな人、それはそれでもう救いようがないけえ諦めるしかないんよね。