どうもお久しぶりです。タローです。


今回は社会人になりメンタルが壊れかけてる男(自分にストレス耐性がないだけ)が社会に出て思ったことを書き残していきます。


まず、社会に出て思ったことは『世の中は凄まじく残酷だということ』です。

SNSでは世の中は日々悪くなっているような気がして気が滅入ります。

またみんな心をすり減らしながら働くことが当たり前になっています。

その中で少しでもふらついて倒れようものなら、「普通」から外れてしまいます。

この「普通」というものは僕たちの力ではどうしようもありません。

しかし、圧倒的な力を持っています。


最近では周りに相談しても無駄な気がしてきてしまいます。なぜなら周りにいる人達は適応してきた人達だからです。

助けすら求めるのが億劫になります。下手に騒いだ所で事態はよくなるどころか

「みんなそういうものだよ」「そういう時期は誰にでもある」「時期の問題じゃない?」と説教まで受ける可能性すらあります。

そのくせ、無理しないで休もうと大きな声で言います。

もしこの拙い・自分に甘い文章を見ている方がいるのであれば、お聞きしたいです。


「限界ってなんですか?」


こころが壊れてからですか?日常生活を送れなくなるところまでいったらですか?

周りの人に心配されるようになってからですか?

壊れる前には「みんな」という実在しない大きな概念を持ち出すくせに、壊れてから「無理しないでいいよ」と言います。


壊れる前のグレゾーンの人達、しかし生きているのが苦しい人達はどうすればいいんですか?働かなくてもただ生きているだけでも本当に認めてくれますか?


そんな訳ないですよね。なぜならそれは普通ではないから。

超えられてきた人達からしたら誰しもが持って当たり前の感情ですもんね。

その人の抱えてる許容量の器のサイズなんて関係ないですし、

超えてみんな「普通」の大人になっていくんですもんね。


結びになりますが、

僕は日に日に感受性や感情が麻痺していくのを感じています。

しかし今まで持っていた「多分大切だったもの」に価値を見出せなくなることが、社会に順応する、自身を最適化するということなのかもしれません。

時にやらなければいけないことが溢れている世界から消えたいと思います。

でもなんか生きてるんです。通りすがりの誰かからもらった手紙を抱えて。


もし若い方が見ていたら

『社会は残酷なので目を逸らせる何かを大切にしてください』


もし大人の方が見ていたら

『考えすぎですかね。どう思うか教えてください。』