会いたい人に会う―それがもうひとつ実現した。
オレゴン時代にお世話になったSheila先生が来日。今回はパートナーと共に京都に2週間滞在しており、私の前任のMiyoさんも一緒に集合。
58歳で退職した後は、公的年金と投資信託をベースに、自宅のあるポートランドとパートナーのいるサンディエゴとを行き来しながら華の60代を謳歌中。現役の最後の頃は校長職で本当に忙しく、責任も重く、大変だったようだけど、退職してからの5年は趣味だった絵を本格的に描いて個展を開いたり、行きたかった場所を旅したり、「好きなことだけする人生」を満喫している様子。エネルギッシュでバイタリティ溢れる"good spirit"(パートナー談)の持ち主で、その雰囲気は約30年前から全く変わらず。離婚を経て新しいパートナーとも本当に良い関係性で。当時ベビーちゃんだった息子たちはすっかり大人になり、2人とも教育の道へ進んだそう。
オレゴンに渡ったのが1997年、たった22歳だった自分を最初に育ててくれたのがSheila先生だった。教育実習を除けば、初めて「先生」になったのがオレゴンの高校。だからアメリカのクラスルームで得た経験は、私のキャリアの土台になっている。
今振り返ると、近年ようやく日本でも認識され始めたことや学校現場に導入されてきた制度の多くは、30年前にすでにアメリカで実践されていた。教員全員にノートパソコンが配布され、出席管理や成績管理はシステム化。日本語クラスでは、それらはTAの仕事だった。ADHDやLDなど配慮が必要な生徒について、スクールカウンセラーと校内メールで情報共有したり、必要に応じて保護者へ連絡したりするのもTAの役割だった。
多人種で、様々な背景を持つ生徒が集まっており、中にはクレイジーな言動をする生徒も。
"What’s this fu○○ing homework!?!
"This is boring!!"
そんなふうに大声で言ってくる生徒も、校内で問題を起こしてdetention room送りになる生徒も、結局はワルぶってるだけで、落第を恐れてすがってくる普通の高校生。実は可愛い奴らだと思えるようになったのは、Sheila先生のクラスマネジメントを間近で見て学んだからだと思う。
最初に経験したのが、そんなカオスなクラスルームだったからこそ、その後どんな多国籍クラスを担当しても、中国 vs. 台湾のような繊細で複雑な関係性があっても、驚くことも戸惑うこともあまりなかった気がする。
人生のハイライトのひとつ。この経験があったから、その次につながっていった。
今年、スターバックスジャパンが30周年らしい。1997年当時、まだ東京に1店舗しかなかった“Starbucks Coffee”という、緑のロゴのお洒落なカフェが全米にあると聞いてワクワクしたし、学校の近所のスタバでラテを買って車で飲むというルーティンも、若い自分にとって贅沢で嬉しい体験だった。当時、アメリカは物価が安く感じていたけど、今はもうガソリンが1ガロン5ドル近いと言うから恐ろしい。
アメリカにも行きたいけど、円安とイラン情勢で、とても手が出ない。しかし円高になるのを待っていても、その日は永遠に来ない気もする。「今日が一番若い日」と言うけれど、もしかしたら「今日が一番円安の日」かもしれないし、躊躇していたら一生行けない気もするなぁ。
