ヴレーメト・ナ・タルノフカ…タルノフカの時間
"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.″
「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」
もったいない人生は送りたくない。ロスジェネの雄叫びと日常・非日常の記録。たまに毒も吐きます。
北海道の旅〜サウナ編。今回の旅の目的のひとつは、エスコンフィールドでサウナ体験をすること。以前、同僚が「エスコンのサウナがとてもいいらしい」と言っていた。彼女自身は体験はしていないのだけど、サウナ好きの友達に激押しされたらしい。そんな話を聞いたらサウナ好きとしては気になる。ぜひこの機会に、と楽しみにしていた。日ハムの本拠地、北海道ボールパークF Villege。ES CON FIELD HOKKAIDOを中心に、球場が見渡せるホテルやレストラン、温泉が併設されていて、野球観戦以外にもいろいろ楽しめる場所になっている。私たちが訪れた日はもちろん試合のない日で、比較的空いていた。私がサウナに入っている間、IchiとRioはバッティングセンターなどで楽しんでいたよう。ちなみに試合のある日は温泉の利用料金も高くなるダイナミックプライシング。そりゃそうなるよね。さて、お目当てのサウナというと。まさかの男女共用、水着着用。え、そうだったの?下調べが足りなかった。ということで、水着をレンタルするはめに。プラス1000円。男女共用サウナは私にとって初めての体験。入ってみると、女性は私ともう1組ぐらいで、利用者はほとんど男性。ロウリュサウナも、外気浴スペースも、確かに気持ちがいい。ただ、試合のある日で定員いっぱいまで人が入ったらどうなるんだろう。ムキムキの男性サウナーや汗だくのおっちゃんとすぐ隣同士・・・私はちょっと躊躇するかも。意識高い男性ばかりのジムに入りにくいのと同じで。試合のある日に来たら、それはそれで熱気を感じられて面白そう。ただ、そうなると当然ながら賑やかになるので、「サウナでゆっくりととのう」という雰囲気ではないのかも。サウナなのにお酒が飲めるというのも珍しいし、やっぱりここはあくまでボールパークなんだな。カップル席の予約もできるようなので、他では体験できない、特別感のある時間を過ごすには良さそう。エスコンならではの貴重なサウナ体験ではあった。そしてもうひとつ、旅の最後に新千歳空港の温泉・サウナにも行ってみた。搭乗前の空き時間に旅の疲れを癒せる場所として、空港の温泉施設ってかなり理に適っていると思うけど、設備に対してはちょっとお値段高めという印象。そして私は勝手に「飛行機が見える温泉」だと思っていたのだけど、よく考えたら、それはセントレアだったのかな。新千歳では滑走路も飛行機の離着陸も全く見えない。でも、突然ゴゴゴゴゴゴーッ!!!という音だけがものすごく間近に聞こえてきて、何だか、巨大なものが今にも襲ってくるような恐ろしさ。リラックスするはずが落ち着かない。一度体験したら私はもういいかな。もう少し料金が下がってもいい気がするなぁ。旅に必ずサウナを入れるという私のミッションも無事に達成。どちらも人に激押しはしないけど、全国津々浦々、特徴的なサウナを巡るのはやっぱり楽しい。サ活の旅はまだまだ続く。
北海道の旅〜グルメ編。旅の一番の楽しみと言えば、食。小樽の海鮮のほかにも、北海道名物を一通り堪能してきた。まずはジンギスカン。Ichiは、北海道産生ラムを使ったジンギスカンを今回の旅の一番の楽しみにしていた。ということで、まずは到着したその日にすすきのへ。ガイドブックに載っていた有名店は予約でいっぱいだったので、その近くでふらりと小さなお店に入ってみた。聞けば、紋別市の牧場直送だそう。紋別産流氷ラムと流氷マトン、豪州産のラムを食べ比べてみる。紋別産は臭みがほとんどなく、やわらかくてジンギスカン初心者にも食べやすい羊さん。けれどIchiはというと、「羊臭いほうが好き」だそうで、豪州産がお気に入り。Rioは初ジンギスカンだったので、北海道産のほうが癖がなく食べやすかったよう。私はどちらも美味しくいただきました。絶対ビールに合うやつ。ノンアルだったのだけが悔しい。お次はスープカレー。実はIchi、スープカレーの印象がよろしくない。以前、どこかのフェアで買ったレトルトのスープカレーが「超絶まずかった」らしく、スープカレーへの期待値も低め。私はもともとタイカレーのようなさらさらしたカレーが好きなので今回も楽しみにしていた。そして、本場で食べると、やっぱり超絶美味しい。出汁がしっかりきいていて、素揚げした野菜がスープによく合う。Ichiもどうやらスープカレーへのイメージを改めたよう。あまりに美味しくて、みんなでご飯をおかわり。レトルトだけで北海道のスープカレーを判断してはいけないってこと。そして忘れてはいけないのが、味噌ラーメン。ラーメンの好みは、Ichiは家系、私はどちらかというと豚骨派。それでも札幌に来たならとりあえず元祖・味噌ラーメンは食べておかないと。かつて北海道を訪れた時に、札幌で味噌ラーメン函館で塩ラーメン旭川で醤油ラーメンいわゆる北海道三大ラーメンを食べ歩いたのを思い出す。この中で、意外にも一番気に入ったのが塩ラーメンだった。今回、初めて知った札幌グルメが「締めパフェ」。夜、お酒を飲んだ後にバーやスイーツ店などで小ぶりなパフェを食べて、飲み会を締めるというお洒落な文化。少なくとも二十数年前はなかった、札幌の新名物。入ったのは、カフェとバー、スイーツ店が一緒になったようなお店で、ここのパフェはアルコールが入っていない。観光客にも人気のようで、特に韓国人観光客が多かった。お酒の後にパフェ。札幌の夜はなかなか糖分高めだ。最後の夜は、居酒屋で。Rioは友達とご飯を食べに行ったので、Ichiと2人ですすきのの居酒屋へ。毛ガニのクリームコロッケやとうもろこしの天ぷら、茹でじゃがなど、「ザ・北海道」な一品を頼む。そしてIchiは、もちろん余市のウィスキー。札幌グルメは全部美味しかったし、満足度大。けど、私の「札幌グルメ・グランプリ」に輝いたのは、最終日に居酒屋で食べた「18ヶ月熟成 雪樽メークインの茹で上げ 函館バターがけ」。一口食べてびっくり!さつまいも?と思うぐらい甘い。そこにコクのあるバター。もう感動レベル。北海道の旅の最後に私の心をつかんだのが、じゃがいもだったとは。こういうシンプルなものが一番美味しいと思う年齢になったのかしら。食の宝庫、北海道。次から次へと食べたいものが出てくる。今回、イカの姿造りを食べられなかったので、また訪れる理由ができたってことだ。
北海道の旅〜小樽編。運河沿いに建ち並ぶ古い建築が、とても趣のあるまち、小樽。明治〜昭和初期の建築物がリノベーションされ、文化施設や商業施設として再生されている。どこも味わい深くて、何か買うわけではなくても建物の外観や内装を見て回るだけで楽しい。一方で、目抜き通りの堺町通りはややインバウンド向けのお店が増えた印象。小樽や北海道とはあまり関係のない食べ物の屋台が並んでいたり、嵐山でもよく見かける「Wagyu」「Unagi」「Maccha」といった看板が目立ったり。どこもかしこも・・・。観光地が観光客の求めるものに合わせて変わっていくのは仕方のないことなのだけど、少し複雑な気持ちも。それでもやっぱり小樽は唯一無二のまちで大好き。小樽といえば、ということで、昼食はもちろん海鮮。ぶらぶらと「北のウォール街」を歩いていた時、地元のおじさんが「寿司屋通りは外国人価格で地元の人間は誰も行かないよ」と言って、おじさん行きつけのお店を教えてくれた。せっかくなのでそこへ行ってみることに。確かに観光客で混雑するでもなく、穴場っぽい。ガラスの器に盛られた寿司御膳。こういうのも小樽ならでは。そして海鮮丼も美味しかった。ホタテもウニも、やっぱり食感と甘さが全然違う!!北海道に来た甲斐があった。もうひとつ、小樽といえば、のルタオ。併設のカフェに行ってみると、すごい混雑。見栄えのする、そしてなかなかのお値段のスイーツを求めて列をなす観光客。はい、私たちも。スイーツそのものがどうこうというより、せっかく来たのだから有名店に入っておこう、という観光客の心理。息子も、修学旅行の最終日に小樽だけはゆっくり観光できたようで、ルタオの生チーズケーキを手荷物で持って帰ってきた。夜の10時頃に帰宅して、「これ今日中」と(無理やり)食べさせられたのだった。美味しかったけどさ。もうひとつのミッションは母からのお土産リクエスト。手術の影響で一度にたくさん食べられなくなった母から、「間食に食べられて、エネルギー減にもなって、食欲をそそるような消化のいいおやつを買ってきて」という、なかなかの難題を課されていた。あちこちのショップを覗いてはお土産を物色。ルタオもロイズも目玉商品は生菓子や要冷蔵が多く、持ち帰りにはなかなか向かない。しかも今回はLCCで荷物の重量制限がある。そんな中、すでに小樽ワインを2本も買っていたIchiのせいで空きがなくなったでないの。最初は運河クルーズに乗ってみようと思っていたけれど、こちらは長蛇の列であっさり諦めた。でも、運河沿いをぶらぶら歩くだけでも充分に価値があった。古い倉庫群。石造りの建物。運河沿いのガス灯。水面に映る街並み。やっぱり小樽は何度訪れてもいい。
息子の高校の修学旅行は北海道だった。・・・なのだけど、メインは現地の学校と研究発表の交流会で、札幌観光ほぼゼロで帰ってきた。大通公園も、時計台も、市内は何も見ていないという気の毒さ。学校交流が終わってから羊ヶ丘展望台には行ったものの、すっかり日が暮れていて羊たちは小屋にお帰りになった後。暗闇の中、クラーク像の前でポーズを決めて写真だけ撮ったという、何とも思い出深いエピソード。あとは豊平川でラフティングをしたらしいけれど。それ、うちの近くの保津川でもできるやん!食事もホテルのバイキングや食堂がほとんどで北海道グルメが堪能できたわけでもない。とにかく、「北海道でなくてもできるやん!」という突っ込みどころ満載の修学旅行だった。それでも、北海道の印象はすこぶる良かったよう。進学先の候補に北大を入れていたぐらいだから、修学旅行の影響って大きいんだなと思う。京都に修学旅行に来て、京都の大学に、という若者が多いのもなんだか納得。本当は、受験終了後の3月に北海道に行くはずだったのが、予期せぬことが次々と起きてしまい、卒入学祝もちゃんとできないままだった。そしてこの夏、母の長期入院生活の合間を縫って北海道旅行を急遽計画。急に決めたので飛行機はLCC。宿も一般的なビジネスホテル。それでも札幌の王道スポットを一通り巡り、北海道グルメもしっかり満喫。そして息子は北大に行っている同級生と会うこともできた。息子にとっては修学旅行のリベンジ。私にとっても二十数年ぶりの札幌だった。20代後半、よく札幌を訪れていた。「いつか住んでみたいまち」のひとつに挙げていたぐらいだから、そこは息子と同じだな。(笑)冬の厳しさを知らないくせに憧れだけは強いという。あ、私は一応、親を連れて札幌雪祭りに行ったので、ほんの少しだけ冬を知っているんだけどね。ものすごく厚着をして行ったら札幌在住の友達に笑われた記憶がある。冬の札幌ではみんな地下街を歩くから、むしろ地下は暖かい。スノーブーツなんて履いてるのは私ぐらいだった。そんなことを思い出しながら歩く札幌。大通公園はいつ見てもきれいに整備されている。観光スポットとしてだけでなく、住民の憩いの場としても本当に気持ちのいい場所だと思う。北海道は街路樹も植物もスケールが大きく、緑の表情も豊か。その中を歩いていると自然と視線が上を向く。空が広くて、街なかでもゆったりしていて、心地がいい。気候もちょうど良かった。本州ならまだ残暑厳しい時期なのに、北海道では朝晩は肌寒いぐらいで、街歩きには最適だった。そして、ちょっと感動したのが札幌市営地下鉄。「クレカのタッチ乗車」ができる!ICカードのチャージも切符購入も必要なし。東京や大阪ではすでに導入されているけど、札幌もちゃんと対応している。京都市、完全に負けてるやん。もうひとつのリベンジ。息子たちが修学旅行で学校交流をしている間、普通科の生徒たちが行っていたという白い恋人パークにも行ってきた。ロイズチョコレートタウンと迷ったけど、こちらに。どうしても行きたかったというより、修学旅行で行けなかったところに行く、という目的を果たすため。イングリッシュガーデンがなかなか良かった。息子が大学生になったらもう一緒に旅行することもないかな〜と思っていた。けど、考えてみれば、私自身も学生時代に家族旅行をしていたんだな。親と一緒に旅行できる時間も、子どもと一緒に旅行できる時間も、永遠に続くわけではない。高齢の両親との時間も含めて、家族で一緒に過ごせる機会は思っているほど多くないのかも。ある友達が、息子さんたちが家を出た後も、夏の帰省に合わせて必ず何か家族アクティビティを計画していると言っていた。それがちょっと素敵だなと。友を見習って、私もできれば毎年ひとつぐらい、家族アクティビティを考えていきたいな。「また今度」や「またいつか」は、やって来ないかもしれない。だから、できるうちに。一緒に行けるうちに。一緒に笑えるうちに。
永年勤続の賞品として旅行会社のトラベルギフトをもらったので、それを使って1泊2日で近場の南国リゾートへ。宿泊代の足しにしかならないけど、オーシャンビューと露天風呂付の部屋にアップグレード南紀白浜はすでに何度か行ったことがあるので、特に観光目的もなく、ホテルライフと温泉を満喫するプランで、泊まったのはこちら。ちょっとだけバリっぽい雰囲気を味わえるかなと、一番南国リゾートに近い場所と宿を選んでみた。まぁ、リゾート度合が全然違うんだけどウェルカムドリンクは梅ジュース、夜はバーでオリジナルカクテルのサービス(私はみかんのノンアルカクテル)もあった。トロピカルではないにしても、地元の味覚を堪能できるサービスはグー個室からの景色と大浴場のインフィニティ露天風呂は最高に良かった。そして、海外のリゾートホテルのメインといえば、プールなんだけど。ここも外国っぽい雰囲気はある。ただ、プールサイドにパラソルと椅子はあるけど、サマーベッドじゃないからあまり寛げる感じでではなく。海外リゾートだと、プールサイドで寝転がって、本読んだりプールバーでドリンク頼んだりしながら半日ぐらい余裕で過ごせるし、多くの宿泊客がそういう過ごし方をするけど、日本は違っていて。Ichiは、ここでフードやドリンクが頼めたらいいのに、アフタヌーンティーのサービスがあったらいいのに、と。バリが基準になってしまっていて厳しい。日本のリゾートホテルのメインはプールでなく温泉だからな。それはそれで、温泉三昧も悪くないんだけど。日本は清潔感や丁寧なサービスを考慮すると高コスパだと思うけど、リゾートという意味ではバリの宿泊はやっぱりかなりコスパがいいんだなと実感。
北中米大会、LIVEじゃないけど観戦中。ベスト8が出揃う。私にとってワールドカップ観戦は、応援というより芸術品を鑑賞する感覚なので、中継でなくても録画で充分楽しめる。今大会も熱戦がいっぱい。サッカー経験者じゃないけど、かなり昔から世界のサッカーを観てきたから目は肥えている。腐敗した組織への嫌悪感とか、開催国に都合のいい組み合わせとか、そういうのは毎度ありつつも、世界最高峰のプレーは見るに値するし、いろんなマッチを通して新星のスターに注目するのも毎度私のお楽しみ。2014年ブラジル大会はハメス・ロドリゲス、2018年ロシア大会はキリアン・エムバぺ、2022年カタール大会はジュード・ベリンガム、といったように。けど、レジェンドたちのプレーはやっぱり拝みたくなるレベル。スーパースターの神ゴール、半端ないって。そして、ああ、ルカさん。クロアチアのようなチームがラウンド32で姿を消すなんて惜しすぎる。く〜、もったいない組み合わせ!!前回のカタール大会がモドリッチの最後のワールドカップだと思ってたから(代表は2024年の欧州選手権までと言ってた気が)、今大会で姿を見られたのは嬉しかったけど、さすがにもう最後に思えてロス確定。ポルトガル対クロアチア戦、試合後のクリロナとモドリッチの抱擁は胸アツのシーン。レアル・マドリードの一時代を築いた2人。そしてクリロナもラウンド16で去る。そして毎大会、旋風を巻き起こすチームがあって、それもワールドカップの醍醐味。前大会ではモロッコ、今大会の大躍進はノルウェー。ノルウェーが28年間も出場していなかったのは意外だったけど、スウェーデン然り、北欧のチームは高さを生かしたセットプレーやカウンター方式のチームから、中盤でボールを保持できる選手やスピードスターを擁するチームに進化している、ような気がする。日本は毎度、期待値は高く結果は順当で世界との差を痛感、というパターン。欧州のリーグでプレーする選手は増えたけど、「海外組」ってだけじゃなくて、それがビッグクラブなのか、リーグ優勝を争うようなチームなのか、主力なのか、という点も重要に思える。海外組がわずか数人だった頃から見れば確実に選手全体のレベルは上がっているし、「世界に挑む」ところから「世界と戦う」ところにようやく来たのかなとも思う。ただ、強豪国との差は急激には縮まらないし、格上相手だとボール持たれて全員で守って凌いで耐えて、という消耗の激しい戦い方からあまり進んでいない印象。たまたま強豪チームに勝つことはできても、大会で勝ち上がっていくとは想像しにくい。「団結力」とか「全員サッカー」とかは部活文化っぽくて日本人に好まれるけど、それで世界の頂点を取れるほどサッカーという競技は甘くない。全世界にサッカー大国がどれだけあるか、サッカーの競技人口がどれだけいるか。日本はスポーツの選択肢が多くて才能が分散するし、それは豊かな証拠でもある。夢は大きく、目標は高く、でいいけど、日本は進化の途上、世界トップ8に入ることだって簡単なことじゃないと思う。それでも、海外のリーグに行くのが普通になったのだから初出場の1998年とは大きく違う。その、欧州のクラブチームが本格的にアジアに市場を拡げるきっかけを作ったのは中田ヒデとパク・チソンだと私は思う。当初はアジア人なんてチームメイトからもサポーターからも「何しに来たんだコイツ?」という目で見られ、ミスでもすれば侮辱や人種差別といった理不尽を浴びせられる世界。(今もあるんだろうけど)そんな中で2人はフィジカルの強さとプレーで納得させた。今、アジアの選手が欧州のリーグで当たり前に受け入れられるようになったのは、最初にその道を切り開き、確かな存在感を示したアジア人がいたからこそで。2002年にイタリアを旅した時、街で「NAKATA」のユニフォームを着ているイタリア人を何人も見て、ちょっと誇らしい気持ちになった。日本代表も、中田ヒデのキラーパスに誰も反応できない、みたいな時代があったことが懐かしい。1人本当の意味で高いレベルの欧州サッカーを体感していたから、少々浮いてたし監督やチームメイトとの確執も噂されたけど、1人だけ未来を見てたんだもんな。ヒデは生まれるのが早すぎたとも言われるけど、当時の日本のレベルを無理にでも押し上げ、今の時代につなげたのはヒデなわけで。アジアサッカーの進化のため道を拓いたパイオニアたちへのリスペクトも忘れたくない。
会いたい人に会う―それがもうひとつ実現した。オレゴン時代にお世話になったSheila先生が来日。今回はパートナーと共に京都に2週間滞在しており、私の前任のMiyoさんも一緒に集合。58歳で退職した後は、公的年金と投資信託をベースに、自宅のあるポートランドとパートナーのいるサンディエゴとを行き来しながら華の60代を謳歌中。現役の最後の頃は校長職で本当に忙しく、責任も重く、大変だったようだけど、退職してからの5年は趣味だった絵を本格的に描いて個展を開いたり、行きたかった場所を旅したり、「好きなことだけする人生」を満喫している様子。エネルギッシュでバイタリティ溢れる"good spirit"(パートナー談)の持ち主で、その雰囲気は約30年前から全く変わらず。離婚を経て新しいパートナーとも本当に良い関係性で。当時ベビーちゃんだった息子たちはすっかり大人になり、2人とも教育の道へ進んだそう。オレゴンに渡ったのが1997年、たった22歳だった自分を最初に育ててくれたのがSheila先生だった。教育実習を除けば、初めて「先生」になったのがオレゴンの高校。だからアメリカのクラスルームで得た経験は、私のキャリアの土台になっている。今振り返ると、近年ようやく日本でも認識され始めたことや学校現場に導入されてきた制度の多くは、30年前にすでにアメリカで実践されていた。教員全員にノートパソコンが配布され、出席管理や成績管理はシステム化。日本語クラスでは、それらはTAの仕事だった。ADHDやLDなど配慮が必要な生徒について、スクールカウンセラーと校内メールで情報共有したり、必要に応じて保護者へ連絡したりするのもTAの役割だった。多人種で、様々な背景を持つ生徒が集まっており、中にはクレイジーな言動をする生徒も。"What’s this fu○○ing homework!?!"This is boring!!"そんなふうに大声で言ってくる生徒も、校内で問題を起こしてdetention room送りになる生徒も、結局はワルぶってるだけで、落第を恐れてすがってくる普通の高校生。実は可愛い奴らだと思えるようになったのは、Sheila先生のクラスマネジメントを間近で見て学んだからだと思う。最初に経験したのが、そんなカオスなクラスルームだったからこそ、その後どんな多国籍クラスを担当しても、中国 vs. 台湾のような繊細で複雑な関係性があっても、驚くことも戸惑うこともあまりなかった気がする。人生のハイライトのひとつ。この経験があったから、その次につながっていった。今年、スターバックスジャパンが30周年らしい。1997年当時、まだ東京に1店舗しかなかった“Starbucks Coffee”という、緑のロゴのお洒落なカフェが全米にあると聞いてワクワクしたし、学校の近所のスタバでラテを買って車で飲むというルーティンも、若い自分にとって贅沢で嬉しい体験だった。当時、アメリカは物価が安く感じていたけど、今はもうガソリンが1ガロン5ドル近いと言うから恐ろしい。アメリカにも行きたいけど、円安とイラン情勢で、とても手が出ない。しかし円高になるのを待っていても、その日は永遠に来ない気もする。「今日が一番若い日」と言うけれど、もしかしたら「今日が一番円安の日」かもしれないし、躊躇していたら一生行けない気もするなぁ。
遠出するほどの気力や体力はなく、昨年に引き続き巣ごもりゴールデンウィーク。でも、嵐山にいれば毎日のように誰かが京都入りしてくれるので、家に招いたり近所でお茶したり、なかなか充実していた。これも観光地に住んでいるおかげ。悪いことばかりではない。来客があると、家がきれいになるし、Ichiも張り切って料理してくれるので、QOLが上がるゴールデンウィーク初日はデッキでIchi CafeオープンCanvaでメニューを ちゃちゃっと作ってみると、本格的に見えてグー!何でも気分が大事。料理は、喜んでもらえるからこそ作り甲斐があるし、もてなすのは楽しい。充実した食生活は人生を豊かにする。食べる力は生きる力。しっかり食べよう。そして運動もぼちぼち・・・友人が持ってきてくれたお花。バラが満開に!庭に花とハーブも植えた。植物もまた、QOLを上げるアイテム
息子氏、大学生活が始まり、19歳の誕生日を迎えた。一緒にお酒が飲める日まであと365日。その時までに私もノンアル生活卒業していたい。自分たちの学生時代は、大学入学と同時に未成年でも飲みまくり、宴会後に自転車や原付に乗って帰宅という、今なら完全アウトのはちゃめちゃ大学生ばかり。でも当時は社会がそれを許容していたし、警察のアルコールチェックが始まったのもずいぶんと後になってから。原付の二段階右折や時速30㎞だけは学生をターゲットに厳しく取り締まられたけど。(私も一度やられた)一度は枯れた盆桜が息を吹き返した。この生命力!!息子にも力強く根を張って生きていってほしい。大学からは自活させる、息子の居場所を拠点にサ活充実、という当初立てていた計画は崩れたけれど、少々浮いたお金で住み替えや旅行を考える(妄想する)新たな夢ができた。実現するにしても、もう少し先になるけど。大学入学式は、会場が狭くて家族は別室でスクリーン越し、またはオンライン配信。会場が観光地にあるから正面での待ち合わせも記念撮影もできず、大学内にも「入学式」の立看板なし。おまけに雨天で、小雨の「ハレの日」となった。いろいろいけてないわ〜。でも、大学総長の式辞と来賓祝辞が抜群に良くて痺れた。新入生からしたら何世代も上の重鎮や地元議員などでなく、今なお現役バリバリの卒業生を来賓に招き祝辞をもらう、そのセンスの良さには感服した。国立の理系って、ひたすら研究室に籠る暗〜いイメージだったけど、ただの「飾り」でない留学や海外研修を推奨する学風は、自分の母校や出身学科と重なった。(学力的にレベチだとしても)私自身、飢えた経験まではなくとも、極寒のブルガリアで水シャワーで震えた感覚や、熱帯の国でアメーバ赤痢に罹り苦しんだ記憶、ヒロシマ・ナガサキの記述があまりに軽いアメリカ史の教科書の衝撃は、数十年後も鮮明で、その実体験から生まれるモチベーションは、生成AIよりも何よりも強いと確信している。経験しておくべきことかどうかは別として、思いもよらない奇異な体験や不測の事態への遭遇は、間違いなく後の財産に変えることができる。ずっと地元の公立で、大学までチャリ通という、行動範囲狭すぎる息子に母から伝えたいことが、式辞と祝辞に全部詰まっていた。これからは、法さえ犯さなければ好きにやってくれていいと思ってるけど、一足先に卒母した友人からの忠告、「これだけは気をつけること」は記しておこう。 闇バイト カルト ドラッグ ハニートラップ
1ヶ月以上前のことだけど、ミラノ・コルティナ五輪の最中に、私の昔のフィギュアマニア記事の閲覧数が急増していた件。特に12年前のこれ。もともとカップル競技が好きだった私のオタク記録。コアなファンだけが知る伝説のペアスケーター、私の“GOAT”であるエレナ&アントン。Elena Berezhnaya & Anton Sikharulidze @Salt Lake City2002しかし、日本ってつくづく成果物だけ見て評価する、そして「推し活」大好き文化の国なんだな。真央ちゃんや「ゆづ」といったアイドル的存在が引退してから、もう世間は興味を失い、民放はまともに放送すらしなくなっていた中、突如として「りくりゅう」フィーバー。トリノの荒川フィーバーの時のよう。日本でペア競技が強くなるなんてこと、木原くんがペアに転向し、ソチ五輪で団体戦にだけ出場した時は誰も想像してなかったかもしれないけど、実はちゃんと先を見据えて強化していたわけで。この12年の、いや、それ以上の成長過程があるからこそ、私は2人の演技、特に木原くんの姿に言葉がないぐらい感動するわけで。(そしてフリーの「グラディエーター」は、四半世紀前にヤグディンが滑り、若きモロゾフの振り付けが脚光を浴びたプログラムでもある)木原くんはもともと姿勢や所作が美しいシングルスケーターだったと思うけど、木原くんがペア向きだと転向を勧めた人の先見の明も素晴らしいし、滑りを見て璃来ちゃんと組ませようと即決したブルーノコーチ、神!!ペア大国のカナダで、自国の選手だけでなく、有望株と見た他国の選手をも世界のトップへと育て上げる巨匠、フィギュアスケートそのものを愛し、進化を望むからこそできること。なんと尊いことよ。(そのブルーノさんと自分が同い年であることに驚愕したことはさておき)私のフィギュアファン歴のピークは2002年のソルトレイク五輪で、それ以降は強い「推し」選手がいるわけでもなかったけど、時々放送を見ては「この子は芽が出そう」とか「このプログラムいい!」とか「滑りがきれい!」とか、上位の選手や日本人だけでなく全選手の中から逸材を発掘することを勝手に楽しんでいた。細かな技術までは分からなくとも、スケーティングの質やエッジワークなどは見ていて分かるし、時々解説者が、演技と得点との乖離に戸惑っていることまで伝わって来る。旧ソ連時代からフィギュアを観てきた確かな目があるし、それに、一応スケートを習っていたので。大昔、今は潰れた市内のスケートリンクまでスケート教室に通っていたことがある。小1の時だったか、日曜に家族でどこかへ出かけた帰り、親が「ちょっとやってみるか?」と言って寄ったのが最初で、姉と私だけスケート靴を借りて体験。ところが、私は氷に下りた瞬間スッテーンと派手に転び、ツルツル滑るので自力で立ち上がることもできず、その後はフェンスにしがみついて全く動けなかった。姉はフェンスから離れて少しは自力で歩いていたけど、私は結局一度もフェンスから離れることができないまま終了。そんな娘を見て、親が「これはいかん!」と、その日のうちにスケート教室に申し込んだという。今思うと、スケートのような季節限定のマイナーな遊びで「これはいかん」などと思った親はかなりの変わり者。できなくたって何も困らないし、ダメなら他のことをやらせようとするのが普通だと思うけど。ただ、私も「絶対イヤだ」と泣くこともなく、気持ちよさそうに滑っている人たちを見て、あんな風に滑れたら、と思ったのは確か。そして、翌週の初回レッスンで氷の上に立つところからスタートし、ガニ股で半歩ずつ交互に足を前に出しながら進み、わずか数回で「滑る」ところまで辿り着いたわけだから、教える人って本当にすごい。スケート靴のエッジに重心をのせながらワンストロークでシューッと進む練習をしたり、片足で大きな円の上を滑ったり、波を描くように後ろ滑りをしたり、フィギュア(=図形)で当時あった競技「コンパルソリー」の初歩中の初歩を習ったことになる。それに加えて、音楽が好きだったので、クラシックやバレエ、オペラの楽曲で世界観を表現するフィギュアスケートに魅了されたというわけ。結果として、親の「これはいかん」がきっかけを作ったことになるか・・・?ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアは、原点回帰を少し感じた。この記事を書いたのが8年前、ようやく「陸の競技」として、技の要素だけでなく、滑走スピードやユニゾンなどの評価が得点に反映されるようになった。テレビ観戦では分からない、スピード感や疾走感、リンクカバーというのは、生で観るとそのスケールの違いがとてもよく感じられる。そういう「スポーツ」の部分は競技として基本だし、高い身体能力で魅せる演技もまた芸術作品を鑑賞している気分になる。とはいえ、やっぱり音楽を使っているので、6点満点時代にあった「artistic impression」も私個人は鑑賞のポイントで、しなやかな身のこなしやリズミックな踊りで魅せるスケーターや、表現の幅が広いスケーターが好み。五輪や世界選手権、WBCといったスポーツの祭典や国際イベントは、長年観ていると(そして仕事でもそういう関連をやったので)、イベントの裏で行われるであろう根回しやロビー活動、そして背景の政治事情もよくよく見えてくる。ちょっといやらしい見方かもしれないけど、そういうのが分かると、判定や採点にいちいち憤慨しなくて済むという利点もある。お勧めするわけではないけどね。