今日は一年の聞き納め、権太楼・さん喬二人会で、柳家さん喬師匠の「芝浜」を聞いてきました。この噺についてはまたゆっくり書きたいと思います。
でも、なぜこの噺に、こんなに心ひかれるんでしょう。


3月のあの地震以降、落語に触れるようになって、月に一度は着物を着るようになりました。
地唄舞の稽古にも定期的に通うようになり、今年は、11月に、大神神社に巫女舞を奉納させていただきました。
祈るということを考えた一年になりました。


長く私の芝居を観ていただいている方に、
「ようやく日本人になってきたんじゃないの」と笑われました。

日本人であること。


最近、自分でもそのことを強く思います。
あぁ、日本人なんだなぁ、って。

今日は思考がぐるぐる回って止まりませんが、年内に、この事をもう一度ゆっくり考えてみたいと思います。


今日はお休みなさい。


なんだか約束破りになっていて、申し訳ないかぎりですあせるあせるあせる

昨日は、残業が深夜に及び、パソコンの前でグロッキー、途中まで書きかけたまま寝てしまいました。
年末年始、仕事が忙しいのはわかってるんですけどね、中央線の殺人的な混みかたと終電の大幅遅延には、東京で十年以上暮らしても慣れません。
ただ、ホームには人が溢れているのに、何故かみんな明るい諦めの顔で、うずくまって吐いている人なんかいたりして、誰もが大声で喋ってるところが、年の瀬を感じます。


師走。
私の大好きな季節も、残りわずかです。


今仕事が終わりました。
さぁ~、これからあの殺人的な電車に乗るぞ!

今日仕事納めだった方、一年間、おつかれさまでしたm(_ _)m

昨日(25日)あんなしおらしい文章を書いていましたが、今日は書いてないじゃないか。うそつき!

とお思いの方もいらっしゃると思います。

うそついたんじゃないんだよ~。帰ったらブログがメンテナンス中だったんだよ~。

今日はだから、明日の日付がかわるまでにもう一つ書きます。


今日は、2週間前に初めてお会いした方に御呼ばれして、三谷幸喜氏の新作「90ミニッツ」を観てきました。

病院。緊急入院した子供の父親で、宗教上の理由で輸血を拒否する男と医師の、90分の二人芝居。

かかっているものは子供の命で、これはもうずばり明白、もう一方には信仰、立場、正義、とかいろいろあるが、とにかく逃げ場がない舞台だった。

「人間っていうのはねぇ、普段の言葉じゃぁないんだ、いざっていうときの心持ちが大事なんだ」というのは、今私が覚えている「厩火事」の台詞だが、特にこの時期、生死に関することを見聞きし、体験し、命というものを今までより身近に感じる今年のしめくくりに観る演劇としては、身体にささるものがあった。作家三谷幸喜氏の覚悟と、西村雅彦さん、近藤芳正さんお二人の、思わず笑ってしまうところもあるけれどとにかく信じられる演技に打たれる舞台だった。



こういう舞台を観た後は、やはり数杯(今日は控えめにしましたが)のビールと美味しいご飯が欠かせない。

今年みっちり出た時間堂のワークショップの中で「身体に残ったエネルギー」についての話があったのだけど、強いショックを受けた後の身体って正直で、ほぐしてやる必要がある。最近そのことについてよく考えるのだが、やっぱり、「感じてしまうこと」って大事だし、それを、「なんでもないこと」にしてやりすごすのは、後になって心に疲労が蓄積する気がする。いい芝居を観た後に飲むとか、大きな仕事の後の打ち上げとか、もっと言うと、弔事の後の直会とか。

そういうことの一つ一つ、人が欲してしまい習慣として残っているものには、やはり意味があるのだろう。

今日はその意味では、この芝居から受けた衝撃から解放されたようによく喋り、よく笑った夜になった。図らずも人生相談まで聞いて頂いた。

これもご縁だ。


とりとめがなくなってしまったけれど、今日はこの辺で。お休みなさい。

暖かくして休んでますか。どうぞ、風邪などひくことのないように。