あっという間に教員10年目を迎えました。
この10年を振り返ってみると、
意外と順調だった1年目
一緒に組んだ方が仕事ができる方で、
とにかく私のやりたいようにやらせてくれた
(なんと私の稚拙な手作りプリントや掲示物をガンガン使ってくださった)&常に「早く帰れ」と言ってくださったおかげで、1年目無事完走
今思えば、たくさんの方に助けられたからこそ完走できたのですが、ちょっと調子に乗ってしまった馬鹿者私。…(2年目に続く)
鼻をへし折られた2年目
調子に乗ったまま2年目を迎えた私は、いろんな方に「2年目とは思えない」とのお褒めの言葉をいただき、ますます天狗になっていました。
やはり、そういうときは大きなしっぺ返しが待っているものです
ここには書けないぐらい、
とてつもなく大きなミスを犯しました。
このミスが起因して、この年の学級経営はとても苦しかったです。
まさかの5年生学年主任に就任した3年目
そんな私がなんと学年主任!しかも未経験学年…。
一緒に組んだ方がちょっぴり破天荒だけど、ものすごく熱く真面目な年上の人で、初主任の私にたくさんのことを教えてくださりました。
このときは朝の7時に来て、夜の7、8時まで仕事するという、働き方改革が叫ばれている今からすると考えられないルーティン
でも、すごく充実してたし、楽しかった!!!
このときの経験が今に活きている気がします。
(もう同じ働き方をしようとは思わないけど)
新卒&1個下&わたすという布陣による4年目
またまた学年主任を任され、今度は3クラス!
そのメンバーがオール20代女子!華やか!←
後輩の存在が可愛くて、何かとお菓子あげるオバさんと化してた私
このときに漠然と、結婚したら何年か後に子育てが始まって…そしたら働き方はどうするか…なんて、自分の人生について考え始めていました。
1年生学年主任で気負いすぎた5年目
学年主任3回目のこのときは1年生を担任。
1年生は…何もかもが未知すぎた!!!
分からないことだらけなのに、自分が主任だから引っ張らなきゃいけないと頑張っていたら…高熱出して初欠勤
気負いすぎたなと猛省。
周りを頼ることと力を抜くことの大切さを学びました。
異動により自分の慢心に気付かされた6年目
私の自治体は5年で異動する決まりなので、違う市の学校へ。分かってはいたけど、学校が違うと何もかもが違うということを実感しました
同僚の雰囲気が違う。
行事でどう動けばいいか分からない。
子どもの指導がこれまでのやり方が通用しない。
挙げ句の果てには備品がどこにあるか分からない。
「もしかしたら、自分はデキる方かもしれない」と思っていた自分をボコボコにしてやりたいぐらい、情け無くもがき続けた異動初年度でした
コロナ禍でイレギュラー&途中で産休へ7年目
そんな私も4回目の学年主任を任されました。
しかし、このときはコロナ禍真っ只中。
始業式が6月になったので、子どもへの課題や動画を作成したり、イレギュラーな対応に追われたり…
大変だったことも多かったですが、教員の働き方改革に向けて進み始めた面もありました。
そして産休のため、途中で担任交代。
皮肉にもコロナ禍だったからこそ、つわりの時期を乗り越えられたのはもちろん、産休ギリギリまで担任ができたのではないかと思います
第一子の育児に奮闘した8年目
1年間の育休をとっていました。
Twitterを始めとしたSNSにより教員の働き方が問題視される風潮になったので、私なりに復帰後の働き方を考えていました。
…できれば、担任は外してほしいなとか。←
復帰初年度なのに学年主任となった9年目
先述の甘ちゃんな私の希望は打ち砕かれ、担任を持つのはもちろん、学年主任という待遇での復帰
4、5月は…仕事が終わらなすぎて、持ち帰って仕事することばかりで泣きながら夫に愚痴ってた!
6月からは少しずつペースを掴めて、持ち帰りはなくなったけど、余裕はなかったなあ…。
ただ、私は仕事も好きだけど、やっぱり家庭に重きをおきたい!と考えがはっきりしました。
そして今、10年目。今年度は担任外です。
なぜなら6月から産休に入るからです。
担任外の立場から見ると、
やっぱり担任1人にかかる責任が重いと感じます。
担任持つと休みにくいこのシステムをなんとかしないと、今後ますます教員不足になるんじゃないかなあ。
今の私は、少しでも担任の先生方の負担を減らしたいという思いで、自分にできることをやらせてもらっています。
産休まであと少し!頑張ります!!!