この数年で自分の中の価値観が大きく変わりました。
どの考えが正しいのか。
どの情報が正しいのか。
それは、考える人によって
情報を受け取る人によって違うとは思います。
そして、正解はいくつもあるのかもしれません。
新しい価値観でいろんな物事を見てみると、
これまで自分が正しいと思ってきたことが、
もしかしたら正しくないのかもしれないと思うようになりました。
今の私は、基本的に新しい価値観で物事を見ていますが…以前の自分の価値観で物事を見てみることも、やはり大切なのかなと思います。
このように自分が正しいとするもの・考えはその都度変わっていいというのを前提にしていますが、時には考えが煮詰まってしまうときもあります。
そのようなときは、「直感」と「違和感」を大事にしたいです。
過去の何気ない行動が、後から振り返ってみると自分の本能に従っていたのだと思うようなことがたくさんありました。
…それが人間なのかな。
そして、はっきり言うと今の日本が心配です。
いろいろ心配なことはありますが、
自分が教師という立場から…
今の日本社会が大人から余裕を奪ったので、そのしわ寄せが教育現場にいき、最終的には子どもたちに不利益をもたらしています。
政府はとんちんかんな策をやっている裏で、絶対にこのことを分かっていると思います。
分かっているけど、今後も具体的な策をとらないでしょう。
そして…子どものことを全く考えない人や体力のある外国人、はたまたロボットが同僚になったり、何でもかんでもデジタル化されて「自分で考える」「自分の身体で学ぶ」機会が少なくなったり、林間学校や修学旅行、部活動(これらに関しては今のところ中立派です)が完全になくなったりするのかな。
公立の教育現場が崩壊したら、お金のある家庭は外資系の私立にいって、ますます二極化が進むのかもしれませんね。(まさに今もそうですが…)
教育ってそもそも貧富に関係なく、誰もが平等に受けられる権利があるのですが…。
貨幣経済である以上仕方ない部分もありますが、そのバランスが大きく崩れようとしているのが問題なのだと思います。
上記で書いたことは、あくまでも私の考えです。
私はこのような教育現場になってほしくないですが、その反対の考えの人ももちろんいると思うし尊重はします。
ただ、国が県が市が同僚が反対の考えの人たちばかりになってしまったら…
どうしようかな。辞めるかな。それともプライドを捨てて続けているのかな。
そのときに日本はあるのかな。
こうやってとことん深く考える時や逆に何も考えたくない時もあるけど、やっぱり考えること自体はやめたくない。
そして、なんだかんだ今は幸せです。
何気ない日常が続いていくように、今、そしてこれからの自分にできることを地道にやっていきます。