自分のイライラを他人に感じさせないこと。
これは
正しいことなのか。
喜怒哀楽を出すことは「悪」なのか。
とかく
イライラした人間は
我慢がきかない
短気な人間と思われるかもしれない。
しかし、
我慢に我慢をした結果
いよいよ
その我慢も限界よろしく
鬱憤がイライラとして
その人の態度に変化を
もたらしたのではないかとも思う。
そもそも、
イライラなんてものは
心のアースのようなもの。
心の平穏をたもつために
必要なことだと思う。
喜怒哀楽はすべてそうなんだと
思う。
そのように
表現された喜怒哀楽。
大切なのは
その人がどうして
怒ってるのか?
悲しんでいるのか?
楽しいのか?
考えなくてもいいことかもしれない。
しかし、
表現者(芸能関係)は
それを
スルーできないと思うのです。
たとえば、
音楽を演奏する上で、
喜怒哀楽の裏に潜む
何かを感じ取れなくて
何の表現ができるのだろう。
歌なら最低限歌詞が付いていますが
音楽は歌詞が無いものの方が
圧倒的に多い。
作曲者が感じた
喜怒哀楽を和音や旋律、リズムを
使って楽曲にし、
後は
演奏される際、
再現芸術家のセンスに
任せているのだと思う。
もちろんタレダクなんか、
何にも分からない。
人間的に浅いね。
しかし、
それなりに感じる
作曲者の意図を
くみ取って表現しようとしている
ツ・モ・リ。
しかし、
自分なりに
「考えた・・・」のではなくて
あくまで「感じたまま」を
表現しようと試みているのですが、
そこではじめて技術のなさに
唖然~愕然。
音楽は自分を
裸にしてしまう
怖いアイテム。
譜面を上手になぞる演奏。
それは、
聴いていて
もっとも
感銘を受けない演奏。
どこかのオーケストラのような
演奏は、
ロボットが演奏しているのと
同じだと思います。
作曲者からすれば
方向性、解釈が違っていたとしても、
私はこう表現したい。
私はこう感じたんだ!
という
演奏の方が
どれほど
気持のよいものか。
音楽は
こうすれば
気持よく聴こえる。
というのは、
ただの技巧のモノマネだなぁと
思います。