現状の世界は狂っている。排外主義の否定は、侵略主義の肯定である。
寛容イデオロギーは、動く物体に、動かれる物体を隷属させる、洗脳・加害行為である。
行為者のための行為者による勝手な思想は、被行為者を無視し続けている。
先住民が、不可視化されている。外部不経済が、ツケが、そこにたまっている。
イスラム教徒は傲慢だが、それは傲慢になってしまった障害者の傲慢と同じである。
障害者が治療(我々に対しバリアフリー化)されるべきであるように、
イスラム教徒も治療(我々に対しバリアフリー化)されるべきである。
特別な配慮=特別なサーヴィスを要求するのであれば、「代金」を支払うべきである。
平然と配慮され続けた人は、どういう人格に育つだろうか?自己愛化するのでは?
実際のところ、寛容イデオロギーは、加害者を延々利するのみであって、
また、あろうことか、被害者を延々と害するのみである。
イスラム教徒や障害者は、既得権益者である。
イスラム教徒は障害者なのか?
幼少期よりの刷り込みにより障害化した不憫な人なのか?
イスラム教徒や障害者とのあいだには、相互主義が成立しない。
すなわち、彼らが一方的に黒字で、周囲が一方的に赤字である。
寛容イデオロギーは、一部を黒字にし、一部を赤字にする。
イスラム教徒が「自ら勝手に狭量」であるにも関わらず、
なぜ寛容な周囲がこれに隷属させられなければいけないのか。
我々はイスラム教徒を非難するべきである。
勝手にやっている宗教の実践に、
なぜ先住民が無償でお手伝いをさせられているのか?
どれだけ先住民を虐待すれば気が済むのか。
宗教というカテゴリーの権力性(物理的強制性)と
寛容イデオロギーの権力性(物理的強制性)は自明で
これは道徳でもなんでもなく、ただの権力でしかない。
イスラム教徒や障害者の問題は、非常に深い問題がある。
常にネオリベとサヨクは結託しており、常に人類の敵である。
移動の自由は傲慢であり、加害的であり、侵略的であり、破滅的だが
傲慢な人々の方が強いので、非傲慢な人々は勝てない。
郷に入りて郷に従えないものは他郷に入ってはいけない、と思う。
人格・発達障害者の運動。
人格・発達障害者は差別と排外を否定する。すなわち、共同体を否定する。
世界はいま、反共同体という人格・発達障害者による加害行為に晒されている。
我々は移動の自由を克服しなければならない。
我々の多くは基本的に移動しないのだから。
寛容イデオロギーという洗脳を克服する必要がある。
寛容イデオロギーの脱洗脳が必要である。
世界を破壊する4つのイデオロギー
①個人主義
②移動の自由(自由主義)
③寛容イデオロギー
④能力主義