母の他界に伴い、2011年に突如として丸投げされたのは、
沈没寸前の家業運営と、心身ケアを要する家族3名。
この数年で、家業はどうにかこうにか沈没を免れ、
2015年に父が他界した事で、心身ケアを要する家族は2名に減少。
判断力正常・心臓疾患持ち・施設入居中の90代、母方祖母フネさん。
精神不安定・入浴&受診拒絶・見守り同居中の60代未婚者、母方叔母1カツ子さん。
相関図にすると、こんな感じ。
(家業や介護の相談時用に作成した、親族相関図を編集。)
本来、この2名を看るべき「叔母2ワカメさん(既婚)」が近所にいるけれど、
ひどい鬱病に加え認知症も始まったらしく、介護者には不向き。
そのシワ寄せで私が、母方祖母フネさんと、母方叔母1カツ子さんを担う事になり。
それぞれと養子縁組をし、養女として2人の「多重介護」をしています。
家業の共同運営者でもある、祖母フネさん。
判断力正常な内に活用できる制度を、先々対策として幾つか契約できて、
ちょっぴり一安心(^▽^;)
目下一番の難問は、叔母カツ子さん対応。
私が生まれてから独立するまでの20数年間、同居していた頃から
おかしい部分は「少々」感じられていたけれど。
独立し生家を離れていた10年程の間で、少々→「かなり」に悪化。
何か根強いトラウマがあるらしく、病院受診のことごとくを全身全霊拒絶。
受診の話をしようものなら、いきり立ってパニックを起こし、暴れさえするので、
過去一度も「おかしい」事の受診をした事が無いとの事。
腫れ物に触るかの様に接し、長年に渡って「おかしい」を放置し続けていた事が。
情緒的ネグレクトになっていた感が、拭えません( ̄_ ̄ i)
その結果、
「感情の起伏が激しく、いきり立つと止まらなくなり、
気が鎮まるまで長時間の罵詈雑言が続いて、手足が出る事もある。
昼夜逆転傾向と入浴拒絶が有り、《一人二役会話》をほぼ一日中している。」
という、結構な困ったさんに変貌していました。
それでも、衝突や試行錯誤を繰り返したこれまでの6年で、
少しずつ少しずつ良い変化が現れ。
叔母本人が最近自覚し始めた、記憶力の低下傾向をきっかけに、
「判断力の程度を調べるための受診同意」を得られた、2日前。
気が変わらない内にと念書を交わし、受診先への打診を進めていた昨日。
帰宅すると、いつに無い大声で《一人二役会話》している叔母の姿がありました。
ギョッとして声を掛ければ、虫の居所が相当悪かったらしく、
久々に「罵詈雑言の嵐」がスタート。
「クソババア!」もう40代だし、《お姉さん》じゃないからね。
「デブ!」うん、否定しません。
「お前なんか最低だ!」あ、そうですか( ̄▽ ̄) などなど。
ひとしきり喚いて落ち着くと、憑き物が落ちた様に静かになるのは学習済みなため、
罵詈雑言を適度に聞き流しながら、嵐が通り過ぎるのを待つのみ。
あまりの理不尽さに言葉の反撃をしていた時期もあったけど、
火に油を注ぐ結果になり、更なる痛手を受けるだけだったので。
「八つ当たり暴言は聞き流し、叔母が受け止めてほしそうな気持ちを拾って、
極力穏やかに応える。」 という技を、身に着けました。
それが功を成したのか今回は、40分という短さで嵐が収まり。
ひとまず安堵し自室へ入った途端、ドッと疲れが(;´Д`)
精神不安定な叔母カツ子さんを、引き受けざる得なくなって6年経過。
続柄は「親戚」だけど、関係性は「肉親」。
長年の大恩も愛情もある故に、「私は関係無い」と背を向けられない。
腹を括って引き受けたものの、ホントに前途多難
「やってられるか〜!」ヾ(。`Д´。)ノ と、回れ右ダッシュ逃走したくなる事も。
カツ子さんの「おかしい」を長らく放置プレイし続けてきた、
亡き両親含む家族達にやり場の無い怒りを覚える事も、数え切れない程ありますが。
大難小難を一つクリアする毎に、自身の軸がより安定し、
知恵や経験値が増えて、動じ難くなって行くのがわかります。
「情けは人の為ならず」とはこの事か、と感じる事もしばしば。
千里の道も、一歩から。
叔母カツ子さんの、心療内科受診計画を進めると同時に、
先々対策(後見制度の利用、自立生活不可となった際の受け入れ先探しなど)も
進めなければならず。
一筋縄では行かない事が容易に想像付くけれど、
一歩ずつ踏み出さない事には、ゴールに辿り着けない。
問題は、まだまだ山積み。 目指す道は遠く、険しそうです(^o^;)