最近恐ろしいことに気づいた。自分とういうものがあまりにもなさすぎて、何で生きてるんだろうって考えたら、親とか親族が悲しまないから生きてるにすぎないことに気づいた。周りの人は恋人だったり、仕事だったり趣味のために生きてるんだろうけど、僕には何もない。よく僕はドライブで限界に挑戦してみたり、知らない人たちと遊びに行ったり、スノーボードに行ってみたり、多種多様なことをやっている。周りの人からは楽しそうだね!と言われるが、そんなことはない。たださみしさを埋めるために動いているのだ。動かなければ死んでしまいそうになる。親や親族が全員亡くなってしまったら、もしかしたら自暴自棄になって死んでしまうかもしれない。今思い返してみると、幼少期から親を喜ばせようと生きてきたように感じる。もう一つ当たり前のことだが気づいたことがある。それは誰しもが自分が大事ということだ。これは僕の考えすぎかもしれないが、暇なときに連絡くれたり、誘ってくれたり、それすらも「結局は自分のためでしょ?」って思ってしまう。ホント自分の心が汚くて嫌だ。自分が死んでもたぶん誰も悲しまないんだろうな。この頃自分の嫌なところにしか目がいかない。なんで人の話を聞いても理解できないんだろう。なんで同じミスばっかするんだろう。なんでさっき言われたことを忘れるんだろう。きっと僕は何かの言語障害でも持ってるに違いない。理解できない、思ったことを言葉にできない、どもる、ホントつらい。「幸せになる勇気」で読んだけど、他人に対して異常に優しく接するのはメサイアコンプレックスといって、他人を救うことによって自分を救世主として価値を上げたいという気持ちがあるかららしい。確かに僕はそういうものが根底にはあると思っている。実は今転職を考えていて、25歳からもう一度大学に入りなおして看護について学ぼうとしている。どうせそういうものが根底にあるならそれを仕事にしてしまえ!そう思ったからだ。今から入学したら、4年生の大学だと30才で勤務開始になるのかな?今は完全に理系の仕事をしているが全く面白くない。対機械で何が面白いんだろう。今はもう一回死んだぐらいの気になっているから挑戦して、だめならだめでのたれ死のうと思う。もともとやりたくないことはやりたくないで生きてきたから、こういうことになるんじゃないかなとは多少思ってた。物事を全部中途半端にしてきた僕だったけど、今回看護士は果たして最後までがんばれるのかな。また中途半端で終わってしまったら、それこそ本当に自分が嫌になりすぎて死んでしまうかもしれない。子供のころ、自殺のニュースを見るとなんで死を選ぶんだろうって思ってた。でも今ならわかる、だってこんなポンコツ生きてていいわけない。人に迷惑しかかけてないのに。今回の決断はさすがに生死がかかってる気がする。今年度は言葉の通り「死ぬ気」で取り組まなければ。