約1か月ぶりの更新。

 

国慶節の連休中、夫の実家で忙しなく過ごしていました。

その中でもパパ(夫のお父様)の急逝は、改めていろんなことを考えさせられました。

 

前日の夜、みんなで外食をした次の朝、いつも一番に起きているパパが起ないとママが夫を呼び、大急ぎで様子を見に行ったのですが、パパの意識がない。病院に電話したあとすぐにパパを背負って車に乗せて病院へ。車に乗せるのを手伝ったとき、パパの手は暖かくて、一瞬息をするような音も聞こえたので、きっと大丈夫。と信じて車を見送ったのですが、、、。

 

30分もしないうちにみんなが泣きながら家に戻ってきました。

前日の夜、一緒に食事をしていた人が今日はもういないのです。

パパの血を引き継いでいる夫のショックは計り知れません。

 

その後、あっという間に葬儀の準備が始まりました。

2日間は1日中、親せきや近所の人たちが出入りして休む暇もなく過ごしていました。

 

葬儀が終わって家族だけになった3日目の朝。

緊張の糸が切れたママが大号泣。

パパが亡くなってからママだけがずっと、やけに冷静だったので心配していたのですが、やっと気持ちを外に出してくれて少し安心しました。

 

夫も、3日間は情緒不安定で奇行を繰り返すので目を離すことができない状態でしたが、家族や親せきとたくさん話すことで、すこしずつ気持ちを落ち着かせていったようです。(表面上)いつもの状態になるまでに1週間かかりました。

 

パパはもともと脳梗塞か何かの後遺症があって、100%健康体とは言えない身体ではありましたが、入院するでもなく、普通に生活をしていました。だから、本当に突然の出来事でした。

 

せめてもの救いは、ちゃんとお別れができたこと。

どんなに親孝行して過ごしていたとしても、後悔は必ず残るだろうけど、亡くなる瞬間、パパの傍にいられたことは不幸中の幸いだったのではないかと思っています。

 

 

私はこの間、いろいろと考えてしまいました。

たとえ余命宣告されて入院生活をしている人であっても、やっぱり「死」というのは突然のことなんじゃないかと。毎日、今日も大丈夫だから明日も大丈夫という繰り返しの中で、それがふと途切れてしまう。ついさっきまでこの世に存在していた人が、ある瞬間、いなくなってしまう。この境目って、どう頑張っても突然な気がします。

 

私自身は自分の親を見送った経験がないので、この瞬間に何を感じるのか想像もつきません。というか、想像したくありません。

いつか通らなくてはならない道であることはわかっていても、生きている中で一番経験したくないことなのかもしれません。