*この記事は2010年12月にWEBサイト『Tap Magazine.jp』に掲載されたものです。

 

 みすみ"Smilie"ゆきこのHistory of Tap 

その14『Mr. Gregory Hines グレゴリー・ハインズ』

 

 

 今回ご紹介するのは私たちの世代のスーパースター、グレゴリー・ハインズです。彼は半世紀以上にわたり、映画やテレビ、ブロードウェイミュージカルに出演し、若い世代のタップダンサーに多大な影響を与えました。

 

 また彼は、年配のタップマスターたちを再び表舞台に登場させるなど、彼なしでは、現在のタップ界はなかったと言っていいほど数多くの功績を残しています。

 

 

 グレゴリーは、ニューヨークのワシントンハイツで1946年2月14日に生まれました。3歳の時から、振付師としても知られるタップマスターのヘンリー・レタンに師事し、8歳の時に兄のモーリスとともに『The Hines Kids』としてプロ活動をスタート。世界中の劇場やナイトクラブを周り、テレビにも出演しました。

 

 1954年には、テレビ番組 『Tonight Show』に40回ほど出演。1964年にはミュージカル『The Girls in Pink Tights』で兄弟そろってブロードウェイデビューを果たしました。同作品のツアー公演には彼らの父親もドラマーとして参加し、その後はチーム名を『Hines, Hines & Dad』と変えて活動を続けました。

 

 

 子供の頃から兄とともにハーレムのアポロ劇場で、チャック・グリーン、ハニー・コールズ、テディ・ホール、ニコラス・ブラザーズ、ハワード・サンドマン・シムズなどのタップダンスを見て育ったグレゴリーは、舞台の休憩時間に地下のリハーサル室に集まり、ウォーミングアップを兼ねてジャムをしている彼らを目の当たりにし、タップという芸術に魅せられ、自らリズム作り出すことを学びました。

 

 兄のモーリスはその頃のことを振り返り、「グレゴリーは皆から愛されていました。なぜなら彼は何も恐れずに、自分からどんどんチャレンジして行ったからです」と語っています。

 

 

 しかし当時はビッグバンドの全盛期が去り、ジャズクラブが次々と閉まって行った時代。ブロードウェイではミュージカル『West Side Story』が成功を納めたことでバレエやジャズダンスに注目が集まり、タップダンサーは仕事をどんどん失っていきました。

 

 グレゴリーと父、兄の3人で活動していた『Hines、Hines & Dad』も例外ではなく、1970年代に入るとグレゴリーはこのチームからも、タップからも離れ、最初の結婚をし、カリフォルニアに居を構えて妻と子供と静かに暮らしていました。

 

 

 しかしカリフォルニアに移住してから約5年が経った頃、再びタップへの情熱が再燃。ニューヨークに戻り、1978年には兄・モーリスとともにヘンリー・レタン振付のブロードウェイミュージカル『Eubie!』に出演し、トニー賞にノミネートされました。

 

 その後も1979年には『Comin’Uptown』、1981年にはヘンリー・レタン振付の『Sophisticated Ladies』に出演。1992年の『Jelly’s Last Jam』では、当時、天才児と騒がれていたセヴィオン・グローバーを起用。ついにトニー賞を受賞しました。

 

 *左手前がセヴィオン・グローバー

 

 映画では、1985年に封切られた『White Nights』で現代音楽とタップを見事に融合させました。グレゴリーのパフォーマンスは、世界的な人気を誇るバレエダンサーであるこの映画の共演者、ミハイル・バリシニコフに勝るとも劣らないと称賛され、タップの芸術性をバレエと並ぶ地位まで押し上げました。

 

 また、1984年にはハーレムのジャズクラブを舞台にしたフランシスコ・コッポラ監督の映画 『Cotton Club』 に出演。1989年には映画『TAP』に出演し、当時10代だったセヴィオン・グローバーのほか、ハワード・サンドマン・シムズ、ジミー・スライド、バニー・ブリッグスなど伝説のタップダンサーたちと共演。ロックとタップを融合させたこの映画は、20世紀を生きたすべての世代のタップダンサーの功績を称え、その足跡を残すものとなり、また、タップの人気をさらに確かなものにする上での大きな原動力になりました。

 

*映画『TAP 』の出演者(ヘンリー・レタン所蔵の写真を転写)

 

 ビル・ボージャングル・ロビンソンの誕生日である5月25日に世界中でタップ関連の行事が行われる『NATIONAL TAP DANCE DAY』が、1989年にアメリカ議会の承認を受け、正式に制定された際も、グレゴリーはワシントンD.C.に出向き、議会に働きかけるなど尽力。2003年8月9日、57歳という若さで、13ヶ月に及ぶガンとの戦いの末、永遠の眠りにつくまで、数多くのタップイベントをサポートし、亡くなる直前まで『New York Tap Festival』『Los Angeles Tap Festival』の立ち上げにも貢献しました。

 

 彼の死はタップ界にとって、未だに大きな大きな損失です。しかしながら、彼が遺した数々の足跡、功績、タップを愛する思いは、世代を超え、多くのタップダンサーの心に受け継がれています。

 

 

 グレゴリーは私にとっても、誇れる兄弟子でした。スタジオに行ったら彼が偶然、自主練をしていて、憧れの眼差しでそっと覗いていたら、それに気づいた彼から「Come in ! Let’s Tap together」と声をかけてもらい、ドキドキしながら一緒に練習してもらったこともあります。

 

*筆者とグレゴリー

 

 日本でのソロ公演も2回。焼酎のテレビCMに出演するなど、日本とのご縁も深いタップダンサーでした。

 

 誰に対してもいつも優しく、温かく、思いやりにあふれ、先輩を心から愛しリスペクトし、惜しみなく若い人をサポートしていたその姿は、今でも私の心にしっかりと焼き付いています。

 

I Love Gregory.

 

 

 

 

みすみ"Smilie"ゆきこ  http://artntap.com

日本から本場アメリカにゲストアーティストとして招かれるという前人未踏の快挙を成し遂げ、国内はもちろん、世界各地に招聘され国際的に活躍。日本では加藤邦保氏に、NYでは巨匠Dr.Henry Le Tang氏に学び、継承を託された世界でも数少ない1人であり、その後も、数多くのタップマスターから学び、歴史を継承する役割を果たしている。また、International Tap Association(ITA)日本代表として、インターネットが発達していない時代から日本の情報を世界に発信し続け、日本と海外の橋渡しの役割も担っている。日本タップ奨学生制度(JTSP)、ARTN TAP DANCE STUDIO、ARTN Company主宰。BASEMENTタップシューズアドバイザー、東京International Tap Festivalディレクターも務めている。