育休を取得して9ヶ月が経とうとしています。
私が育休取得を決意したときの想いを振り返りながら、その決断に至るまでの心の軌跡を書きたいと思います。
きっかけは一冊の本との出会いでした。
「今日、誰のために生きる?」
という本をご存知でしょうか。
著者のショーゲンさんがアフリカのブンジュ村で出会った人々との交流を通じて、
日本人が失いつつある「幸せを感じる心」を探る旅の記録です。
2023年8月、私は父親になりました。
初めて抱いた我が子を見た時、この子を幸せにしたいと強く思いました。
でも同時に、今の自分にそれができるのか、という不安も感じていました。
小学校の先生として毎日子どもたちと接していた私ですが、
自分の子どもが生まれてから、教室の風景が違って見えるようになりました。
「そうか、みんなこんな小さな赤ちゃんからここまで成長してきたのね」
休み時間の着替え、給食を食べるスピード、字の書き方、友だちとの関わり……
これまで「できて当たり前」と思っていたことが、
実は途方もない成長の証だったことに気づかされました。
けれど、その新しい視点を持ちながらも、
日々の生活は余裕のないものになっていきました。
平日の私は、夜に暗闇でミルクを一回あげるだけのおじさん。
土日に子どもと対面すると、「どうも初めまして」って顔をされる始末。
しかも、そのミルクをあげている時でさえ寝るまでの効率的な過ごし方や明日のことを考えていることもありました。
今ここを生きていない。
職場では中途半端に働き急いで帰宅し、家でミルクあげるだけのおじさんとなり、家事もろくにできていない。
誰からも認められず、誰に対しても中途半端に接して、自分を満たす時間はもない。
自分の能力の低さ?
その前の年には環境の変化で精神的にきつくなって毎朝下痢で起きていたことも思い出しました。
またあんな風に……
自分って一体……?
先輩に相談したら、
「みんなそんなもんだよ」
と言われ……
たしかに……と思いながらも……
そんな時に出会ったのが、
「今日、誰のために生きる?」 でした。
「僕らはお金のために効率を求め、他人の目を気にして『いいね』を求め続けた結果、一番大事な『心のゆとり』(幸せを感じる心)を失ってしまったのです」
「今日、誰のために生きる?」より
その一節が、私の心を強く揺さぶりました。
ブンジュ村の人々は、挨拶のように「今日、誰のために生きる?」と互いに問いかけ、
「今日、自分のために生きる」と答えるそうです。
最初は違和感がありました。
「家族のため」や「子どものため」ではないの? と
でも本には、こんな言葉も書かれていました。
「人の心の中には喜びのグラスがある。自分のグラスを満たして、そこからあふれた時、そのあふれた愛情で、人のためにしてあげたらいいのよ」
「今日、誰のために生きる?」より
この言葉に導かれるように、私は大きな決断をしました。
育休を取ることにしたのです。
男性教員の育休。
確かに例は増えてきていると思います。
でも、自分の職場では僕が初めて。
もちろん職場のことを思うと戸惑いはありました。
でも、中途半端にしか働けていない状況でそんなことを思うのもおこがましい。
子どもと一緒にいる時間を増やしたい、妻にも自分を満たす時間を作ってほしい、家族で新しい景色を見たい...
そんな思いが、どんどん湧いてきました。
そのどれもが本当ですが、イクメン目指して?
と言われるとそれは違います。
これは「自分のための育休」なのです。
「他人の目を気にしていいねを求め続ける」生き方から一歩踏み出して、まずは自分の心のグラスを満たしたい。
それが、私なりの「今日、自分のために生きる」という答えになりました。
母親からはいまだに納得されていませんが
育休中の今、あの時の決断は間違っていなかったと実感しています。
その理由を挙げたらキリがありません。
家族の喜ぶ姿が自分の喜びだったと実感できるようになってきたから
というのが最も大きいです。
こんな話をしたら、自分勝手すぎるとお叱りの言葉をいただいたこともあります。
でも、思ったんです。
その人の目を気にして生きていくのはやめようって。
自分のグラスを満たして、そして次に人のために。
皆さんは
今日、誰のために生きますか?
僕は今日も、自分のために生きます。
精神的にきやすいと思っているのに挑戦したくなる自分がよくわかりませんが……
そんな育休パパのプロジェクト
よかったらのぞいてみてください!
