京急「生麦駅」から
徒歩8分の距離にあります。
◆生麦事件
(なまむぎじけん)とは?
生麦事件(なまむぎじけん)は、
文久2年8月21日(1862年9月14日)に、
武蔵国橘樹郡生麦村
(現在の神奈川県
横浜市鶴見区生麦)付近で、
薩摩藩主島津茂久の父
・島津久光の行列に遭遇した
騎馬のイギリス人たちを
供回りの藩士たちが殺傷
(1名死亡、2名重傷)した事件。
尊王攘夷運動の高まりの中、
この事件の処理は
大きな政治問題となり、
そのもつれから、
文久3年(1863年)7月に
薩摩藩とイギリスとの間で
薩英戦争が勃発した。
<案内板より>
文久二年八月廿一日辛未晴天
島津三郎様御上リ異人四人内
女壱人横浜ゟ来リ本宮町勘左
衛門前二而行逢下馬不致候哉
異人被欠壱人松原二而即死外三
人ハ神奈川ヘ疵之儘逃去候二
付御役人様方桐屋ヘ御出当村
役人一同桐屋ヘ詰ル右異人死
骸ハ外異人大勢来リ引取申候
生麦村名主「関口日記」ヨリ
≪意訳≫
島津三郎様が京へ上る途中、
横浜から来た
外国人四人内一人は女性と
本宮町の勘左衛門の
家の前で行き逢った。
四人は馬から
下りなかったため
切り付けられ、
すぐにもと来た方へ
逃げ去ったところを
追いかけられ
一人が松原で即死、
他の三人は神奈川へ
傷を負ったまま
逃げ去ったため
御役人様方が桐屋へ詰めた。
即死した外国人の遺体は
ほかの外国人が大勢来て
引き取っていった。
この事件をきっかけに
薩摩藩は戦争に巻き込まれ、
そこから学びを得て
攘夷、倒幕、開国から
明治維新へと
我が国の近代化への道を
促進させていったのでした。
謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きます。