茨城県神栖市にある「息栖(いきす)神社」を参拝致しました | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

小見川駅より徒歩で
1時間20分の距離にあります。

 

◆「息栖(いきす)神社」Ⅱ



息栖(いきす)神社は

鹿島神宮・香取神宮と共に
東国三社の一つと称され、



上下の信仰の篤い
神社であります。



主神である

久那斗神
(くなとのかみ)は



古く国史にも見え、

厄除招福
・交通守護の神であり、



井戸の神でもあります。



 また相殿神である
天乃鳥船神は交通守護に、



住吉三神は海上守護に
ご神徳が顕著であります。 



 息栖(いきす)神社の創祀は



応神天皇の御代と
伝えられています。



御祭神の御神格からして、



神代時代に
鹿島・香取の

御祭神に従って
東国に至り、



鹿島・香取両神宮は
其々台地に
鎮座するものの、



久那斗神と
天乃鳥船神は



海辺の日川
(現在の神栖市日川)
に姿を留め、



やがて
応神朝になって

神社として祀られた
と思われます。



かつて
鹿島地方の丘陵地南端は



今の鹿嶋市国末
辺りまでで、



やがて沖洲が陸続きとなり
幾つかの集落が出来ました。


<この樹ですが・・・。>

 

 このような
中州に


<柔らかで、温かな印象を与えてくれました。>

 

鎮座された祠を、
大同二年(807年)、



平城天皇の勅命を受け
た藤原内麻呂により



現在地の息栖に遷座した
と伝承されています。



国史書『三代実録』にある
「於岐都説神社」が

現在の息栖神社です。



 仁和元年
(1120年)の記には



「授常陸国 正六位上
於岐都説神従五位下」とあり、



於岐都説は

於岐都州であり
沖洲であり、



息栖になったものである
と考えられます。※別説あり。



 社殿は享保八年
(1723年)に
建替えられましたが、



それが
昭和三十五年
(1960年)十月焼失し、



昭和三十八年
(1963年)五月に
新たに完成しました。


<OH!こんなところに・・・。>

 

<末社>

 

高房神社・伊邪那岐神社
・鹿島神社・香取神社

<八咫烏(やたがらす)が一羽(笑)>

 

・奥宮・江神社・手子后神社
・八龍神社・稲荷神社・若宮。