◆彼女は希(まれ)なブルーズ・シンガー♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<作って、歌って、奏でて!>>
 


彼女はジョージア州

パインハーストで

生まれたそうです。




「ホウ」


「またまたそれは

不確かな情報の様ですネ!」




そうです。


そこでこう言う

エピソードがありました。




「はい?」





アトランタに拠点を置く

家具店主が

1923年6月14日の

レコーディング・セッションで


Fiddlin' John Carsonの

録音に為に

Ralph Peerを口説いたそうです。

 

 

 


(Fiddlin' John Carson)

 

 

 

 

 

(Ralph Peer)

 

 

 

 

 

「ホウ」



そして Peerはまた

Lucille Boganの歌で

"The Pawn Shop Blues"を

吹き込んだそうです。

 

 

 

 

 

(Lucille Bogan)

 

 

 

 

 

「フムフム」




それから

彼女ですが・・・・




「あぁ!漸(ようや)く彼女が

お話しに絡むのですネ!」



そうですね。


彼女はトランペットの

Henry Masonと

ピアノによる彼女の伴奏で

彼女作曲の"Grievous Blues"を

歌ったのでした。

 

 

 

 


 

(Grievous Blues)

 

 

 

 

 

「 O H ! 」

「彼女!いきなり

プロのミュージシャンですか!」






唐突ですがそうです。



そしてこの録音は

地方で録音された



ブルーズとして

顕著だった

と言われているそうです。






<<ファニー・メイ・グースビー登場!>>


今回ご紹介するシンガーは

ファニー・メイ・グースビーです。

 

 

 

 



 

 

 

 

この年代の

ミュージシャンとして


彼女は彼女自身で

ほとんどの曲を書いおり、

そして

このコトは

女性ブルーズ・シンガー

として希(まれ)だったそうです。





「ウ~ン」

「素晴らしき才能ですネ!」

 

 

 

 

その後彼女たちは

ニューヨークに録音に

誘われて、

 

 

 

更に彼女は

その年の9月と10月に

"Grievous Blues" の

他のヴァージョンと

もう5曲を録音したそうです。




「他のレコード会社の

彼女の才能に

目をつけてきたのでしょうネ!」




そうですね。

ですがこれらの録音の全てが

Okehにより

リリースされたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウ~ン!」

「さすが業界人ですネ!」


「どう言う経緯かは分かりませんが


見す見す我社の秘蔵っ子を

他社からリリースさせるワケには

いかないでしょうからネ!」




そうですね。

それから彼女は

1924年にViola Bakerの

"Sweet Man Blues"の

録音で伴奏をし・・・。

 

 

 

 


 

 

☆Viola Baker, Sweet man blues♪





1928年3月にBrunswick labelに

参加して

他に4本のトラックを

録音したそうです。




「ホウ」

「会社を変えても

お仕事は続けていますネ!」


 

 

 

そうですね。


その時の録音には


Porter Graingerによって書かれた

"Fortune Teller Blues"

があり、

 

 

☆Fortune Teller Blues♪





当初1926年11月4日に

Geneva Grayによって

録音されたそうですが、



後に彼女やその他の

アーティスト達によって

再録されたのでした。



「ホウ」

「評判が良かった曲の様ですネ!」




そうですね。


それから彼女は

レコーディング・スタジオを

離れて以来、

その後の消息は

ハッキリしていないそうです。




「 O H ! 」

「まさか神隠しにでも

遭遇したのでは?」




その可能性は

まずナイかとは負いますが・・・。





「そうですよネ!」(^O^)





ハイ!

ただブルーズ・

リサーチャーらの話によりますと


彼女は1934年頃

ニューヨークで

生活していると

レポートされていたそうです。

 

 

 

 




☆Fannie Goosby Grievious Blues(1923)♪

☆Fortune Teller Blues-Fannie Mae Goosby♪








 

 

☆ファニー・メイ・グースビー


 Fannie May Goosby

(1902年~1934年以後))



ファニー・メイ・グースビーは

Fannie Mae Goosbyとしても

知られており、



アメリカン・古典派

女性ブルーズ・シンガー、

ピアニストで作曲家だった。



彼女の録音した10曲は

1923年と1928年の間に

リリースされた。


その1曲は

"Grievous Blues"

で彼女は2回録音した。

 

 

 


 

 

 

彼女は

自身の素材を吹き込んだ

初の女性ブルーズ・

ミュージシャンのひとりだった。







彼女はまた

Deep Southで録音された

最初のブルーズ・シンガー

2人のうちのひとりだった。





もうひとりは

ダーティー・ブルーズ・

シンガーは

Lucille Boganだった。

 

 

 


 

 

 

 

 

彼女のレコーディング・

スタジオ以外の人生の詳細は

はっきりしていない。






 

 

 

<<バイオグラフィー>>




ブルーズ・リサーチャーの

Bob EagleとEric S. LeBlanc

によると、


グースビーはジョージア州

パインハーストで

生まれた様だ。




1923年6月上旬に

アトランタに拠点を置く

家具店主Polk C. Brockmanは


Okeh Records用の

レコードの販売で

インストゥールメンタルにした。


そして

Okehと新しいビジネスの為に

ニューヨークへ向かった。

 

 

 

 


 

 

 

 

彼はもし彼がアトランタで

幾人かのアーティストを

知っていたなら


ジョージアでの

レコーディングのための旅行に

弁明したかと尋ねた。



Brockmanは返事と共に

帰ると約束した。




Okeh Records部との

彼との次の会議で


彼は

Fiddlin' John Carsonの

 

 

 

 

 

録音に為に

Ralph Peerを口説いた。

 

 

 


(Ralph Peer)


 

 

 

おそらく1923年6月14日の

同じレコーディング・セッションで


Peerもまた

Lucille Boganの歌で

"The Pawn Shop Blues"を

吹き込んだ。

 

 

 

 


(The Pawn Shop Blues)

 

 

 

 

そして

グースビーは

Henry Masonによる

トランペット・プレイと共に

ピアノによる彼女の伴奏で

彼女作曲の"Grievous Blues"を

歌った。



それは最初に録音された

地方のブルーズとして

顕著だった。






グースビーは

彼女自身でほとんどの曲を書いた。

そしてそれは

女性ブルーズ・シンガー

として希(まれ)だった。





Carson, Bogan

そしてグースビーは

より多くの録音をする為に

ニューヨークへと

その後誘われた。




グースビーは

その年の9月と10月に

"Grievous Blues" の

他のヴァージョンと

もう5曲を録音した。

そして

その全てがOkehにより

リリースされた。




グースビーはまた

1924年にViola Bakerの

"Sweet Man Blues"の

録音で伴奏をした。

 

 

 

 

 

 

 

☆Viola Baker, Sweet man blues♪





グースビーはまた

1928年3月にBrunswick labelに

参加して

他に4本のトラックを

録音した。





これらの一曲に

Porter Graingerによって書かれた

"Fortune Teller Blues"

があり、


☆Fortune Teller Blues♪





当初1926年11月4日に

Geneva Grayによって

録音された。



その曲は後に

Martha Copeland

 

 

 


 

 

 

Viola McCoy,

 

 

 

 

 

 

 

Rosa Henderson

 

 

 

 

 

 

 

そして

グースビーにより

再録された。





EagleとLeBlancは

グースビーは

1934年頃ニューヨークで

生活していると

レポートした。

 

 

 

 


 

 

 

 

彼女の後の人生について

伝記としての情報は

見つかっていない。


                   (ウィキペディアより抜粋)

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