浅野さんが素敵な感想を書いてくださいました。
 TAOプレイスの練気では、頭であとからつけた思いを手放し、心の守りや心身の緊張を手放す、体・命・自然の重力にゆだねるという方向性を明確にしている。
 私が感じる練気のすばらしさは、思いこみや緊張をとったら、もともとある体は、水袋のようにしなやかで自由で強いということを体験・感覚から気づかせてくれること。

 私は自分の頭で自分に制限をもうけ、頭でいい悪いを人や自分をジャッジして、人から裁かれるのをおそれる習慣がある。
 ある練気の時間で、相対で組んで相手に腕や脚を揺らしてもらい、体のこりやつまりもほぐしてもらった。
 たっぷりと流体の体にゆだねた、ゆれる体にゆだねて感じて関係にゆだねた。(途中こんなにずっとゆるめてもらっていいんだろうか?という思いも出てきたが)自分の体の感覚も感じ、つながった相手も感じ、ただただ感覚にゆだねた。

 すると修練が終わった後、歩いていて気がついたらゆったりと流体の体が微細に感じられると共に、心の状態は今までになくゆとり・余裕があった(そこに焦りや不安がなかった)
 ただある体にゆだねていて、関係にゆだねていて「愛ってあるんだ」という感じで安心感があった。

 人は自分の心で内と外の分離を作り、恐れという思いを作り、自分を守ろうとしているが、体の揺れにいる、関係にいる(体に・命にゆだねる)ということが、もともとある自然な自分・命を感じ知る方向性として感じられた。
 学びに先生にありがたいと、礼です。

 今この時に体にいる、命にいる、ということがいかに大切か。
いでなくただそこにある体の感覚を感じているということが。

 しかし、私たちは頭で・思いにいることいかに多いか。
 
 また、こうあるべき、こうあってはいけないと、いい・悪いと、ジャッジをし自分に制限を設け、その中で生きていることがいかに多いことか。