旧ブログを書いていた頃から気づけば10年経っていた(早い!)。
知らない間に自分も自分の周りも変わってきている(気がする)。
教育と研究が主な活動の場であることには変わらないのだけど、大学、高校、語学学校、カルチャーセンター、個別指導塾と教える場が毎日異なっているのが大きな変化かもしれない。
例えば、⚪︎曜日は1限に某大学の授業があり朝8時に家を出る。その後、午後はこの大学の系列の高校に行き、そこでニコマ授業を担当。
夕方から夜にかけては個別指導塾というスケジュール。よく身体が持つね、と言われるが、知らない間にこういう生活に慣れてしまった。
なぜこれほど活動の場が多岐にわたってしまったのか、おいおいお話しするとして、日々気づいたことを備忘録として残しておきたい。
2月に早稲田大学を受ける生徒さんと過去問(世界史)を解いていた時に、面白いことに気がついたのだ。
2020年の文学部の第五問である。
フランス革命前のいわゆるアンシャンレジーム期、特に18世紀後半に現れた啓蒙思想家たちに関する問題で、この大学特有の細かい知識を問う問題だ。以下抜粋。
1774年に国王ルイ16世が即位した時、当面の課題となったのは、このような国政の根本的な
改革であり、とりわけ国家財政の再建が目標となった。
彼は(重農主義者)のテュルゴー、さらにスイス人銀行家( )をあいついで財務
総監に任命して財政改革を図ったが、貴族などの保守勢力の反対のために成功しなかった。
( )のスイス人銀行家とは、もちろん、ネッケル。
あとは、(重農主義者)として知られる有名な学者を選べという問題で、(イ ホッブズ
ロ ヒューム ハ コルベール ニ ケネー)から誰を選ぶかである。
もちろん、ケネーと答えるべきだ。
問題自体は易しいのだが、重農主義及び重農主義者についての説明を求められたので、いつものように
教科書的な概説+アルファをした。
重農主義者とは、18世紀フランスでケネーらが提唱した経済思想の支持者であり、国の富の源泉は農業生産のみであるべきとし、商業や製造業などに重きを置く重商主義を批判し、農業保護と自由放任(レッセ・フェール)政策を主張した人びとのことである。
代表者といえば、『経済表』を書いたフランソワ・ケネーである。
『経済表』(1758年)は、簡単に説明すると、財が地主、生産者、商工業者によって生み出されどう分配されていくか、その経済構造を明らかにした書である。岩波文庫に入っているので、読んだことがある人もいるかもしれない。
ケネーはルイ14世時代のコルベールらが主導した国家管理の重商主義を行き過ぎと批判し、生産者と商人の自由な経済活動を重んじた人物として知られる。
このケネー、実はなかなか興味深いキャリアの持ち主なのである。
1694年にパリで生まれた彼は、最初医学を学び、外科医として働いていた。
パリで開業していた時に、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の侍医を命じられ、何とヴェルサイユ宮殿で暮らしていたという。
天然痘にかかった王子を治療した功績が認められ、貴族として列せられ、国王の侍医にまで出世した。
で、55歳の時に経済学に転じて名著、『経済表』を発表した次第。
このあたりは『世界史のための人名辞典』(山川出版社)に詳しい。
外科医として知り得た自然と人間とのあり方を社会のあり方へと適用し、実践しようとしたのだろうか。
彼は「自然の統治」=フィジオクラシーという言葉を使い、土地を私有財産としてレッセ・フェールのもと、生産性を競い合わせた。
その結果、農民層を没落させてしまい、この点でルソーなどに後に批判されてしまう。
今となっては、批判されることの多い彼の主張ではあるが、外科医としての輝かしいキャリアを築いたのちに、人生の後半に差しかかった頃に、畑違いの経済学に転じるとは!
「啓蒙」という言葉をまさに実現しているような生き方であり、重農主義には懐疑的でも、その人生の歩み方にたまらなく魅力を感じた。
まあ、この手のどうでも良いエピソードは試験には出ないのだけど。
一緒に問題を解いた彼曰く「こういうエピソードがあると記憶に残るんですよ」と嬉しそうに話してくれたので、まあ、良いか。
そういえば、我が家の食パンはポンパドゥールでいつも購入するのだった。
店先で彼女の肖像画を見たら、ケネーの人生に想いをはせてみよう(笑)。