眠れない夜は何故かムカつく。


寝坊に支配されてしまうからだ


感情の起伏は激しくない方なのだが

人生において僕は本当に

睡眠に振り回されすぎているのだ


振り回すのはマラカスと人間だけで良い


振り回されるのが嫌いなのだろうか


いや、人には優しくしなければならない

人に優しくされると嬉しい

僕の好きな言葉は一期一会なのだから。


自分自身の発見と気付きに

傲慢ポイント1点追加しておこう ポチ。


そういえば

寝坊してばかりの気がする


学生の頃も寝坊した 卒業式も寝坊した


社会人になり働いてても寝坊した


転職しても寝坊して、寝坊した


大事な時に限って寝坊した


20時には歯磨きをして消灯していたのに


寝坊する度に怒られた 叱られた 時に許された


寝なければいけない、起きなければいけない

こんなにも困難な事が他にあるのだろうか


そんなことを考えてちゃまた眠れなくなる


羊でも数えようか そんな事は意味を成さない

湯船の中で屁をこくのと

同じくらい無意味で無価値だ


駄目だ

今日はもう朝まで起きてお風呂に入って

起きて過ごしてようと思った


髪もセットしてネクタイを締めて

眠気覚ましにモーニングコーヒーを飲んだ

煙草を燻らせて何と優雅な一日の始まりなのだろう


最初から

こうして居れば良かったのだ


なんてことは無い


これで、大丈夫だろう...


そして、それすらも夢の中で また寝坊した。

お腹がぐるると鳴っている。

その音を聞こえないふりをしながら

ベッドに横になる。

お布団が重くて温かくて気持ちが良い。

本来、人は横になるのが幸せなのだろうか。

歩くべきではないのかもしれない。

そんな事があってたまるか。歩きたい。

さっそく、wantで始まってしまった。

欲望が出てきてしまった。仏陀に怒られる。


僕は20時以降あまりご飯を食べない。

モデルでも無いというのに。

それどころか一日一食生活が殆どだ。

夕方頃、一合、一食食べる。


皆はお風呂に一日に何回入るだろうか。

僕は基本的には一回、出かける時に二回。

時には、シャワー 

毎日、浴槽に湯をためて入浴剤を入れて

身体を芯から温めている。極楽極楽。

ご飯も同様

そういった具合だ。

回数のルーティンみたいなものだ。


お金持ちなのかと言われると

全然貧乏だが、金が問題では無い。

お金は欲しい、程々に。

お金の使い方が変と言われれば変かもしれない。

僕は飯に使うべきだ。痩せている。


僕は時々アウターや服を買いすぎる。

ファッションにハマった思春期なのだろうか。

と言っても

人並みには買ってない事も自負している。

そもそもguやユニクロですら高い。

それなのにニット帽やキャップ等は

ポンポン買ってしまったり

インナー等 チリツモで浪費してしまっている。

その癖、デロンデロンのパンツを履いていたり

毛玉だらけの汚い靴下を履いていたり

パジャマだけはめちゃくちゃ財布の紐がギチギチであったり、

方向性がよく分かっていない。


オシャレこそ自己満の世界だというのに。

ファッションというのは金がかかる。

オシャレは我慢とは二つの意味なのかもしれない。

寒さにも我慢をし、削るとこを削る我慢。

オシャレをして、モヤシを食う。

そんな人も居るのかもしれない。

いや、確かに聞いた事がある。

食費を削ってファッションを食う。

いや、主観だが僕は居ないと思う。

本当にお金が無い人というのは、

そんなことを言っている

余裕もないのを知っている。


本当にお金が無くなると悲惨だ。

何もかもを失い、売り捌く事になり

部屋からは物という物がどんどん無くなり

借金の沼へとハマっていく。食べる為に。

生きる為に。死にたくても身体は生きたいと

叫び続けているのだ。

周りに頼る人も居らず、

どんどん精神を病み働く事も出来ず

動く事もままなら無くなり

お風呂にも入れず

生存スペースはベッドのみになる。

チョコスティックパンを数日に分けて食べ

動ける元気のある時は花の蜜を吸う。

水で空腹を満たす。

嗚呼、思い出したくもない。


そもそもそこまで悲惨な人は

ネットに現れない。現実を見ている。

現実から目を逸らす事が出来ない。

逸らしたいのに逸らせない。

死にたいのに死ねない。生きたさが芽生える。

食べたさが、芽生える。


モヤシを食いながらネットを見るな。

君はネットを食べている。

人によっては、

その投稿こそが

わらしべ長者みたいなものなのかもしれない。

私が食べさせてあげるわよ。

待ちなのかもしれない。



大抵、そんな男が言うセリフは知れている。

女を食ってやったぜ!と言うのである。

食われているかもしれないのに。

拗らせ過ぎである。拗らせは早く卒業するべきだ。

経験人数なんていうものも

しょうもな指数でしか無い。と僕は気付けた。

しょうもないことは声高らかに言うべきでは無い。

聞かれたらお淑やかに答えても良いが

誇るべきでは無いという事は確かな事だ。


まあ、これも、ほんの一例だ。

人間は分からない。人間は本当に分からない。

十人十色とはよく言ったものだ。


男は〜!女は〜!と言う主語のでかい話で

Twitter(今はXと言うのだった)は賑わっているが

第一に

主語がデカすぎるし彼等はまだ、気付いていない。

そして、あまり分かっていないのだとも思う。

人間という生物は分かる訳が無いのだから。

彼等には触れない方がいい、火傷する。


でもその元気には尊敬の念がある。

嫌いな人にも尊敬すべき点はあるのだ。

これは僕が無知で出来が良くないからそう思うのかもしれない。嫌いだけれど。


それはさておき

ただ、僕にとってはご飯は

回数と一日における規則性の問題の様な気がする。

無意識だ。餓死する事は無いだろう。

しかけた事はある。あの時の、ミロ有難う。


手足が冷える。暖房を付けていると言うのに。

川が見えるマンションは

マンションとマンションに挟まれていない分

片側が川沿いに

剥き出しだからこそ寒いのかもしれない。

そんな剥き出しに接しながら

毛布に包まり書いている。


靴下が本当に欠かせなくなってしまった。

靴下を履くのは余り好きじゃない。

靴下を脱いだ時の開放感は凄まじいもので

子供の頃にお年玉で買ったゲームボーイアドバンスのカセットを父の運転する帰りの車の中で挿入する前の取り扱い説明書を読んでいる時のワクワクの様な気持ちになる。

または、CDウォークマンに買ったCDを入れて再生ボタンを押して曲が流れ出すまでのドキドキの静けさにも通ずるものがある。


話は脱線したが

(ちなみに何度も何度も脱線はしまくっている)


人は何故、言い争うのだろうか。

恐らく、永遠のテーマなのでは無いだろうか。

思い通りにいかない事があるとムカつく。分かる。

僕もムカつく。昔は僕も短気だった。

短気といってもヤンキーでは無い。

オラオラ系でも無い。ちょっと聞こえるように

舌打ちするレベルのふてぶてしいモブだ。

昔と言っても20歳21歳頃までなのだが。

流石に早い段階で短気は治す様に務めるべきだ。

ボケてしまっては仕方が無いのかもしれないが

理性をコントロール出来ないというのは

非常に良くない事だ。


docomoショップで暴れるジジイは

ボケているのだろうか?正常ならヤバい。

家で、お味噌汁でも飲んで、寝ていなさい。

せめて、人に迷惑をかけないようにしてください。

僕にはいいですよ。殴ってしまうかもしれませんが。嘘です。

決して、アウトレイジに影響を受けた訳でも無いです。暴力コンテンツは好きですが。

痛いのは嫌いです。優しくしてくださいね。


僕は振り返ってみると

18歳ぐらいまではとにかく無口だったのを記憶している。

自分が思っている事も何も喋らない。

とにかく喋らない。

嫌な事があっても嬉しいことがあっても自分の中でとどめ続けていた気がする。


今でも、勿論模索中でもあり奮闘中は大きく言い過ぎているが

基本的には無口な部類なのかもしれない。

COOLという言葉でも無い

と、言うよりは頭の中が空っぽで何も無い。

何も考えていない。何も考えれない。

抜け殻みたいだねと言われた事があるが

確かに言われればそうかもしれないと思った事もある。

20歳のイケイケ自意識過剰モラハラ時代には

私はお人形じゃないよと

言われた事もある。確かに。能天気の様な言葉の方がCOOLの何倍も似合っている。


黒歴史でもあり、

人として人間として良くない事をした。

ここに、懺悔しよう。すみません。


精神科には通ってないので症状は不明だが

何かしらありそうな気もするし

ただの無能な気もする。

正直、どちらでもいいのだ。

だから、

精神がどうと言うつもりも

水戸黄門の印籠の様に盾の様に振り翳すつもりも無い。

白いご飯は美味しいし、お風呂もあたたかい。

綺麗なものは綺麗だし、汚いものは汚い。

人に見られる景色は違っても

僕の見える世界も、多分 変わらないのだから。

何か患っていようが、いまいが、

僕の明日は何も変わらない。


流石に、ある程度生きていると

自分なりに楽な生き方を模索できた。

怒らない。穏やかに生きる。という事だ。

自分のデメリットが分かればあとは簡単だ。

気づけるまでが難しいとも言える。

人付き合いは仕事でも恋愛でもそうなのだが

誰かのせいにするのは一番簡単で愚かな事だと

気付くのには人、それぞれ時間がかかる事なのだろう。

僕は心を整えるというある意味の修行をした。

それは、孤独の中で自分と向き合う時間だった。


スピリチュアルの様な話に聞こえるかもしれないが

気付き。というのは中々凄まじいパワーがある。

誰かに言われるよりも自分で気付いた時のパワーは何倍にもなる。

誰かに言われても人は反発するのだろう。

人間は素直になれない生き物だ。難しい。

僕も、未だに難しい。

素直な人間はとっくの昔に、

気づけたのかもしれない。

気付き。の連続だったのかもしれない。


子供に、あれやりなさいこれやりなさいと言っても

駄々を捏ねたり、右むきゃ左といった次第だ。

これは、大人も同じ。というより

大人の方がむしろ子供よりも

タチが悪いのかもしれない。間違っていないと思い込んでしまうからだ。

変わろうとしないからだ。我の強さでいうと

子供を凌駕してしまうかもしれないのは

この世界を生きていれば誰でも分かることである。


思い通りにいかないという事は

本来当たり前なのかもしれない。

天才や秀才ですら思い通りになんかなっていないだろう。

思い通りになる事が幸せに繋がるのだろうか。

思い通りになってどうなりたいのだろうか。


宗教勧誘のおばちゃんが「あなたは幸せですか?」と訪問してくる事があるが、

どう考えても一発で答えられる質問文では無い。


思い通りになるという事は

楽に生きれるということなのかもしれない。


所詮、白米の美味しさには勝てないのだろう。


普通以下の凡人からしてみれば

褒められた経験がまず無い。ほとんど無い。

成功体験もほとんど皆無だ。

出来る事も知っている事も少ない。

この事をマイナスに捉える事も出来るのだが

僕はポジティブに捉えている。

ポジティブに捉えて、生きている方が

楽なのだ。楽観的なのかもしれない。


先程、僕は短気で怒りっぽかったと伝えたが

僕は短気で、ネガティブ思考だった。

「でも」「だって」「どうせ」が口癖だった。

自己啓発本にはこれを辞めようと書いてあるものが大半だが、確かに。と思う。ウザすぎるから。

自己嫌悪がエグかった。自分が嫌いだった。

自分が自分に手を差し伸べれてあげれなかった。


生きる。ということはある意味

自分自身を実験材料に使った実験に近い様な気もする。

ネガティブな人生はとにかく生きずらかった。

周りを憎み、苛立ち、人が離れていった。

別に自己啓発本の様な事を言うつもりもないが

ポジティブはいい。もっと噛み砕くと

ポジティブな無知なバカは生きやすいのかもしれない。

どちらも、考え方の問題。心の問題のようだが

正解などは特にないのだろう。

正解があるならば、人生はつまらない。

答えが無いからこそ苦しいし面白いのかもしれない。


笑えていればいい。笑えていないのは嫌だ。


明日も、答えを探そう。いや、探さなくてもいい。


白米を食べよう。

白米は美味しい。最近のブームはたくあん。

口に広がるたくあんの旨み。

当たり前にあるものに

感謝をするのは難しい事かもしれない。

それなら、いっそ当たり前じゃなくすればいい。

そうすれば気付くことが出来る。


まるで一人暮らしを初めて

トイレットペーパーやシャンプー等が

補充されている事。

はたまた洗濯をする事。掃除をする事。

実家の

有難みや当たり前の様にご飯が食べられる幸せを

実感出来るのと同様に。

実家を実感 ナンチャッテ


当たり前に慣れていたふてぶてしい

あの頃の自分を嘲笑うかのように。


白米さんありがとう。おいしくいてくれて。

明日も、よろしくお願いします白米さん。

当たり前の中ある幸せ、それが白米。


明日からは一日二食にしてみようか。

そんな事も、寝たら忘れている。

当たり前だけは忘れないように感謝をしたい。


改めまして、あけましておめでとうございます。




寒くなってきて
寒さに慣れぬこの頃
煙草の煙を少しでも外に逃がす作業の中
換気の為に窓を開けている網戸の向こう側より
救急車の鳴り響く事が多い気がしております。
僕の母方の父、祖父は
冬の寒い中、心筋梗塞で亡くなったと記憶しております。
20歳になったらお酒を呑もうと話していた約束を覚えていますでしょうか。
僕は30歳になりましたよ。
お酒は一滴も呑みません。
お酒が弱くて顔が猿のように赤くなり心臓の鼓動が早くなり吐き気を催してしまい好きでは無いというのもあるのですが
人に頼り、愛され生きれている現状なものですから
これ以上、何かに頼るという事もしたくないのです。
ドラッグなども、しておりません。
シラフで生きなければいけないのです。
十字架等と深く考えてはいませんが
シラフでこの世界を見て人を見て
生きていきたいのです。
煙草はお許しください。

肉親を含め、
僕の愛している人達は
お元気なのでしょうか。
どうかお元気で健康でお過ごしください。

書記というものは
DECOLOG以来の10年振りの様な気もします。
小説と歴史に影響を受けていますので
僕も記してみようと思い始めた所存です。
文章力という物は皆無ですが
精一杯、記していこうと思っております。
生きた証や、想い、感じた事等を 心の中だけに
留めておくのはどうも良くない気もするのです。

男と女、と、切り離して話すのは
あまり好きでは無いのですが
(というのも男だから女だからでは無く人として優しく接するべきなのです。世の中は恋愛テクニック等と小手先のものや固まってしまった価値観故に男はこうだろう、女はこうだろう、男なのだから、女なのだからという人間が多いのは現世を生きている皆様も何かしら経験したことがあるのではないでしょうか。僕自身も恋愛テクニックを販売してどうにか食い繋いでいた過去もありますが)
男は本当に無口で思っている事をあまり喋りません。たまに、喋り過ぎてしまうと余計な茶々を入れてしまい、怒らせてしまう事もありますよね。
僕も経験済みです。反省を繰り返しますその度に。

僕自身、ほとんど喋りません。
自分の事は恐らく、
ほとんど自分の気持ちを喋ったことがありません。
脚色して、人を傷付けない嘘を交えながら
面白可笑しくは話したことがあるかもしれません。

傷付けられる事は良いとしても
傷付けたくは無いのです。
普通に生きているだけで多くの人の
愛を無下にしてしまうものですから。

喋らなければ人は人の事を理解できません。
言わなくても、分かるだろう。
このような事は言うべきではありません。

喋っていても、会話していても
人は人の事を100%理解する事は不可能です。

せめてもの、と思い
心の内を書き留めて置く事にしたのです。

遺書。という哀しいものでも無い事を此処に記しておきます。
死ぬ勇気はありません。痛いのは嫌です。無理です。
苦しいのは嫌いなのです。

死のうとした事が無いかと言うと
数回程あります。無理でした。
僕は高所恐怖症もあり、ビルの上から眺める街は
皮肉にも生きたいと思わせるものばかりでした。
情けなく思いました。
死にたくてもお腹はすくのです。
お腹が生きたいと、嘆くのです。
いつか人間は死ぬのです。
生きていようではないですか。
殺されてもいいではないですか。
それまで、楽しく生きていたいです。

振り返ってみると
2023年もあっという間に終わった気がします。

時の流れというものは早いものです。

早ければいいのでしょうか、分かりかねます。

遅ければまた、尻を叩かれる世の中でもあります。

分からない事が多いのが世の中です。
恐らく、誰しもが分かっていないのでは無いだろう。そう思う事で心を整えて過ごして来た気もするのです。

さて、
今年も色々とありました。
沢山笑い沢山食べ沢山寝て
少しながら涙したそんな1年間でした。
想い出が沢山出来ました。
僕は怒ることが出来ません。
怒るという資格があってたまるかという気持ちも
多少なりとも持ち合わせているのでしょう。
出来ることならば争いごとを避けて
生きていきたいのです。
笑って穏やかに過ごしたいのです。

大きな、子供なのでしょう。いつまで経っても。
受け入れることが出来ないのでしょう。
戻りたいか、と問われると
戻りたいともまた思わないのが何とも
自分自身の好きな所でもあり
不思議な所であり、弱さなのかもしれません。

文書というものは不思議なものです。
Twitter、今ではX(エックス)と呼ぶのでしょう
ツイート 、ポスト と呼ぶのでしょう。

沢山の人の人生がそこにありますね。

僕自身、スマホに依存していることもまた
良くない事ではあると思い、
小説を読む時間が増えました。
歴史を学ぶ時間も増えました。
楽しくて楽しくてたまらないのです。
本屋さんが大好きになりました。
お寺巡りや神社巡りが大好きになりました。
勉強は全くと言っていいほどしてきませんでした
読書も全くと言っていいほどしてきませんでした。

本を読め、勉強をしろ、世間体、
色々な事を言われ続けながら
飽きられながら 馬鹿な人になっていったのでしょうか
後悔などはしておりません。
僕自身、人生に後悔が無いのです。幸せ者です。

何故、学ぶのかの理由が、楽しいからなのです。

知らない事を知るのは楽しいものです。
変な事を言うようですが
僕は日本中の人々を尊敬しています。
これをご覧になっている貴方も貴方もです。
勿論、そこには好き嫌いがあるかもしれません。
価値観や考え方は十人十色の言葉通り
本当に多種多様です。
学ばなくても人と接していれば分かります。
学ぶ必要性など無いかもしれません。
しかし、嫌いな人ですらも
尊敬すべき点があるのもまた事実なのです。

一期一会という言葉がありますが
僕は本当に大好きな言葉です。
出会えてよかった。有難う。

スマホが普及して誰とでも
ゴロゴロ寝転びながら家で繋がれる世の中になりました。
だからこそ、人との出会いが薄く浅いものになってしまったのもまた、哀しいものです。

マッチングアプリなるものも
セックスの為だけに人と会うという
汚らわしい人との繋がりもあるというではないですか。
何度も思いますが人は心と心で繋がるべきだと
僕自身は思っております。

一丁前に偉そうな顔で語るオス猿やメス猿
島にでも行ってはいかがでしょうか。

チンチンを泣かせてばかりで
涙は見て見ぬふりをしている悪党では無いでしょうか。

話が脱線しました
人生のようです。人生は脱線の連続です。
脱線ゴレライです。

学ぶきっかけと致しましては、
僕は映画やドラマ
はたまた、漫画などの作品キッカケが多いのですが
好奇心というものの凄さを痛感しています。

好奇心はこんなにも人を動かすのか!
とも驚いております。
NARUTOを初めて見た時、いえ、
大人になりNARUTOを改めて見た時
「何故、人は争うのだろう」という
素直な疑問がキッカケでした。
歴史を辿っても、宗教感の違いなどから争い
国をまとめるために争い
根本的には人はずっと欲や価値観で
争い続けているのかもしれません。
そうして、今も。
縄文時代から弥生時代の移り変わりと共に
稲作文化が始まり、弥生時代から争い続けているではないですか
なんとも言えません。笑って過ごしていたいのです。
NARUTOに限らず、
僕たちの住む世界というものは
多くの人が幸せに囲まれているはずです。
餓死、なんてものはきっと少なく
当たり前、あるのが当たり前
当たり前の上の幸せの中、嘆きをよく目にします。
文明も発達し、
今ではお風呂に入るのも当たり前
ご飯を食べられるのも当たり前
暖かい布団で寝られる当たり前
夜、歩けるのも当たり前
勿論、先人達の生き様のお陰で今があります。
感謝をするべきでしょう。
当たり前に囲まれていると
麻痺していくのでしょう。幸せなのです。
僕はとても幸せです。

当たり前に目を向け、改めて
気付かされることを大事に人に優しくしていきたいです。

あなたも幸せでしょうか。
幸せでないにしろ
不幸せに飲み込まれないようにしてください。

暖かくして、風邪などをひかないように
生きてください。

長くなりましたが、良いお年をお過ごしください。

除夜の鐘 ゴーン