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VIOLISTA☆

アメリカ、インディアナ大学音楽院へ留学後、縁(audition)で辿り着いたイタリア・ミラノのオーケストラでの首席ヴィオラ奏者の毎日や、イタリア人パートナーのアレ氏とベルガモ郊外での生活を気ままに綴るブログ。不定期更新、過去の記事の覚書あり。

今日のブログは私の個人的な事なので、スルーしてくださって構いません。







昨年11月14日に100歳になった祖母。

安倍首相からの御祝いの賞状もしっかりと読めて会話もでき、特に痴呆が進んでいるわけでもなく、体調は崩しがちでも頑張っていた祖母。

いつも心の中にいた祖母が、新年を迎えることなく暮れの12月30日に他界しました。



今までの私の海外生活での帰国は、いつも夏でしたので、今回12年ぶりに日本で年末年始を過ごそうと(アレ氏にとっては初めての日本でのお正月)2人で12月20日に帰国。

数日後、祖母に会いに行くと、私だけでなくアレ氏の事も覚えてくれていたようで、

「遠いとこから来てくれてありがとう」
とすぐに声をかけてくれました。

ゆっくりではあるけれど会話もできたし、お茶を飲ませてあげたり、お代わりもしてくれて、ティラミスも少しだけ食べて、携帯電話に入っている写真を見せてあげたり、夏の帰国の際に祖母と一緒に撮った写真を見せて

「おばあちゃんの写真はいつも私と一緒だよ」って言ったり…。

そんな他愛もない小さなことが嬉しくありました。

帰り間際に何故か
「これからも身体に気をつけて頑張ってください」と私に言ってきた祖母。

なんだか不思議に思いながらも「まだ暫くはイタリアには帰らないから、また来るね」と答えてその場を後にしました。

クリスマスは都内の姉夫婦の家に居候させてもらい、その後アレ氏と二人揃って風邪で体調を崩し、少し良くなりだした矢先の祖母の他界の報せ。

母の話では、私達が会いに行った翌日から段々体調を崩していったのだと知りました。

祖母はきっと知っていたのでしょう。次回は来ないのかもしれない事を。だから最期にあの様な事を言ってきたのでしょう。



残念ながら新年を迎えることはできませんでしたが、100年という年月を生き抜いた祖母を誇りに思います。そして最後の数年間、介護をした母や親戚、サポートをしてくれた知人の方々に感謝です。

日本を離れ12年。
帰国する度に会いに行ったり一緒に過ごしたり。
昔は、リハビリにと祖母の家の近所を一緒に散歩した事もありました。


毎回日本を離れる度に
祖母の眼に浮かぶ涙をみて
『もう2度と会えないかもしれない』と後ろ髪を引かれる思いでした。


私がイタリアに嫁いだ(⁈)とき、母に
『自分の死に目には会いにきてもらえないんだね』と言っていたそうで、今回私を見て安堵したのでしょうか。


まるで祖母が引き寄せてくれたかの様に偶然に、今回の帰国が決まり帰国し、年が明けて私達がイタリアに戻る2日前に葬儀も済みました。

これ以外にも本当に奇跡としか思えないことは山ほどありました。

【皆んなに迷惑をかけない様に】という、祖母らしい配慮のあった最期だと思います。



数年前に他界した祖母の姉も102歳まで生きました。姉妹揃って100歳以上の大往生です。


葬儀が終わって1週間。
たまたま今夜はベルリンフィルのデジタルコンサートホール🎬でヴェルディのレクイエムが中継🎻🎺


普段は演奏する側の人間ですが、今夜は祖母との想い出に思いを馳せて、じっくりと鑑賞することができました。


詩吟、歌詠み、ピアノ、旅行、家庭菜園、自転車、カラオケ、新種の植物栽培……  色んな事に興味があって趣味も多かった祖母はきっと、あちらの世界で思う存分楽しんでいるのかもしれません。


おばあちゃん、お疲れ様でした。
私が帰るのを待っていてくれてありがとう。
たくさんの思い出をありがとう。

ありがとう
ありがとう、

今まで本当にありがとう。
愛を込めて。

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