「虎に翼」は「逃げる」という言葉をキーワードとしているらしく、主人公の寅子が何度も「自分は一度法律の世界から心が折れて逃げ出した」と言うのだが、その状況が全然心が折れて逃げ出したようには見えなかったので毎回そこで物語への没入感を削がれてしまう。


心が折れて逃げ出した、というと、まるで身体は折れてないし逃げ出す力は残っているように聞こえる(倒れたら逃げ出す事も出来ないから)が、寅子は講演会で倒れて会を飛ばしたのである。身体が先に折れてるではないか。しかも倒れて飛ばした講演会の穴を埋めてくれた恩師に休めと言われると、出産ギリギリまで働きたいのに女性弁護士になるよう誘ったお前が梯子外すのかよ、とキレるのである。目茶苦茶である。


そして逃げ出したというが、倒れた事と妊娠中であることを知った周囲に休むよう勧められ仕事を辞めたのである。それを「逃げた」と表現するのにとても違和感がある。それは普通に「辞めた」だろう。

「身体の調子が思わしくなく辞めた」にしか見えない状況を繰り返し「心が折れて逃げ出した」と言うので、妊娠といった女性特有の体調変化は無いものとしたいのか、とも思ったが、一方で生理痛が辛いという描写も繰り返されるので、なお意味が分からない。


ちなみに主人公以外の「逃げる」エピソードは理解可能なのである。多岐川の死刑執行を見てから裁判が怖くなり逃げたエピソードや、梅子の理想の子育てからの撤退などは、逃げるエピソードとして違和感がない。主人公のエピソードだけ何故か違和感ありなのだ。違和感というより、一番軽いというか。にもかかわらず、寅子が一番タチの悪い逃げ方をしたかのように執拗に逃げたくせに、と言われるのがバランスが悪すぎる。裁判出来なくなった裁判官多岐川の方がずっと重い「逃げた」なのに。


この寅子の「逃げた」の奇妙さが今後解消される日は来るのだろうか…