特攻平和観音
(世田谷山観音寺⑤)
「神州不滅特別攻撃隊」
国敗れて山河なし
生きてかひなき生命なら
死して護国の鬼たらむ
この句を残して満洲派遣第一六六七五部隊に所属した十名の青年将校が、ソ連戦車軍に向けて九七戦で飛び立ち、体当たりし全員自爆したのです。
終戦から4日後の昭和二十年八月十九日のことでした。
日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍は、終戦後満州に進駐し日本人に対して悪辣の限り尽くしていました。
日本人民間人が逃げる時間を稼ぐため、或いは青年将校たちは特攻隊員の教官を務めた者ばかりだったので、先に逝った教え子達の後を追ったのか...
その両方かもしれません。
神州不滅特別攻撃隊には更なる悲哀が有ります。
「生きてソ連軍による辱めを受けるくらいなら一緒に死にます」
と、二人の女性が2機の九七戦に同乗しました。
谷藤少尉機には新妻が、大倉少尉機には親戚の女性が後部に乗り込み諸共、ソ連軍戦車に体当たりしたのです。
これらのことを顕彰し、昭和42年5月に世田谷山観音寺の境内に建立されました。
石碑には、九七戦のイラストも彫られています。
碑文はコメント欄に書き添えておきます。
余談ですが...
2015年に「妻と飛んだ特攻兵」でドラマ化されました。
(C)テレビ朝日
谷藤少尉役の成宮寛貴さん、妻朝子訳の堀北真紀さんが、この碑をお参りしています。
満州で散華された全ての日本兵
戦没者となられた全ての一般日本国民の皆様に
哀悼の誠を捧げます。
次は「世田谷山観音寺」その他の見どころをご紹介します。
⑥に続きます。