できたか、どうか、目に見えるので、分かりやすい・・・、
4日間の集中授業で昨日も書いたが「良かった!」と思うのは、 毎日続けてすることは、
確かに、学習の成果があがる・・・ことを実感できたことだ。
写真: 昨日、学習した「手先の巧緻性課題」の一部
①ストローとビーズをタコ糸に通して、蝶結びをしたら自分の首にかける。
②安全ピン5本を、布にとめる。
③ボルト、ワッシャー、ナットを とめる、はずす
④タングラムパズルをする
⑤ブロックパズルをする
⑥豆・おはじき・碁石・積木(小)・サイコロ(小)を箸でつかむ
⑦チェーンリングをつなげる はずす
⑧書類を綴じるためのチェーンを つなげる はずす
⑨白い紙と黒い紙を重ねて、クリップでとめる
⑩箸に、紙テープを巻きつける
⑪紙で編んで、編み込み模様のシートを作る etc.
同じ領域を、 何時間も、何日もかけて学習することができる・・・・。
そんなこと、そんな時間・・・は、お子様が年齢が上がると共に、難しくなってくる?のでは
ないか。
小学校、中学校、高等学校…と続く、学校生活の中で、一つのことだけに時間をかけることは、
なかなかできなくなる・・・が誰もが体験することなのではないだろうか。
やることが多くなる、範囲が多くなる、難易が高くなる・・・etc。
小学校受験・・・幼児の年齢のお子様が向かうので、基本的生活習慣がどれだけ確立できて
いるかを見ることが学校側の意図するところなので、生活の範囲の中で、
<自分のことは自分で・・・できる> かを、考査で判断される。
上記の「手先の巧緻性課題」、 教室のように、沢山の材料を揃えるのは大変だと思うが、
普段、何気なく使われている生活用品の中で、充分に練習ができると思う。
どうしても、「受験」という言葉が入ると、難しい何か・・・を、とお考えがちだが、
こと、生活作業性としての巧緻性は、 結局は、その年齢では、出来るはず…という内容を
もらさず、習得できているかどうかに焦点を当てればよい。
これから始まる、長い学校生活の基盤として、根っこの部分は、大事なことは、絶対に
あせらず、でも、必ず、「由」と思うことを、お子様に伝え続けることが肝心だと思う。
幸い、幼児の時期に真に要求されることは、特別なことを、他者よりも早い時期に
できることではなくて、(たとえば、水泳を何メートル泳げるか・・・とか、ピアノや、
バイオリンが弾けるとか・・・、ちょこっと英語がしゃべるとか・・・)、当たり前に
その年齢ではできるはず・・・のことを、それなりの時間内でできること・・・・である。
お箸の持ち方・・・、大人でも、なかなか、きれいな、正しい持ち方ができる人は少ない。
多分、幼少期のご家庭の関わり方で決まってしまった?!と思える例も多い。
お箸の持ち方と、鉛筆の持ち方はご存じのように、一緒です。
前者は、上手に持たないと、「粒」と数える物はつかみにくく、いただきにくい。
そして、摘もうとする所作が美しくない!
後者は、正しく持たないと、きれいに書けないことの方が多い。
又、スピードが要求される場合、遅くなるケースが多い。 etc.
授業でも、 「巧緻性の領域] を準備学習すると、 そのご家庭のお子様に対する関わり方
や、ご家庭の教育方針が、丸見えになる。
恰好の、学校側にとってみれば、「落とすため」 の試験材料であることに間違いない!!!
何が大事か! を間違っていると、 どんなに教室を掛け持ちしても、当のご本人が
肝心な年齢相応の生活力が付いていないケースが多い。(プロでなくても、良識ある大人が
見れば一目瞭然で・・・)
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タンポポ会幼児教育研究所