哲学 ももたろの場合

哲学 ももたろの場合

当ブログの目的は、将来の自分に宛てた手紙的な何か。人生観の節目に投稿するので、基本不定期更新。コメントは受け付けておりますが、返信は気が向いた時に少しだけ。それでも良ければどうぞ。

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みなさん、こんにちは。ももたろです。

以前の更新から早2年強。何をやって居たかと言いますと…、自分の本性を理解しようと躍起になっていました!ショボーン

そのせいか、その努力をし出した辺りから今までの間に、ターニングポイントに遭遇する事が多くなりまして。


ターニングポイントというのはアレです。人生の転換期に訪れるイベントの事を言います。

もう、2年で5回ありましたびっくり


ターニングポイントといっても、身近な人が死去したとか、詐欺にあったとか、そんな大きなイベントで劇的に人生が変わった!とかではなくてですね。


どうやら、僕にとってのターニングポイントというのは、人と会って会話する事 らしいんです。


そのターニングポイントの特色か、人生の軌道修正をするが如く、ちょこちょこと短期間で出会いました。

1回目は2015年の夏に、船上のラウンジで
2回目は2015年の夏に、仙台の道端で
3回目は2016年の夏に、アルバイト先の昼休憩で
4回目は2016年の秋に、乗り間違えた終点で
5回目は2017年の春に、直観で決めた美術館で


「人生を劇的に」を合言葉に、
取り舵いっぱーいっ!ぐるんぐるんっ!
なんて出会いと薫陶を、5回も受けた訳ではありません。

その時期に、彼らと出会い、お話をし。
人生の指針から15度傾ける程度の薫陶を4回受け。

ちょっ、ちょっ、ちょーっと寄り道をしながら、生きて来ましたニコニコ


でも、5回目のターニングポイントだけは違いました。
それはもう劇的に、私の人生の指針を狂わせた!!

人生の指針から45度傾ける程に強烈な薫陶を受けたのです。まだ、辛うじて自我が崩壊しない程度に抑えられて。それでも、出会うまでの生き方にはもう戻れない程に大きく。


しかしそれは、どこか懐かしい記憶でした。

僕が笑い方を忘れた日の前までの記憶

僕が大切に思っている人に、期待する事を諦めた日までの記憶

心からの本音を無視しようと、心に蓋をしたあの日
嘘だけが僕の姿だと、ハリボテを纏い始めたあの日までの記憶


それは、全てを諦めて生きようと決める前の、僕の本性でした。
ちょっとした心の小々波に一々驚いて泣いた、泣き虫な本性が戻って来る様に。何もかもが絶妙に絡み合い、全体としての必然に帰結する様に。人生に配置されたターニングポイントに、ひとつひとつ必ず出会いました。


その中でも5回目のターニングポイントは、一際強烈に僕の心を揺さぶって行きました。

僕の本性に「ただいま」と「おかえり」をした記念日の名。

それは…






5回目のターニングポイントは、
2017年6月11日。北海道釧路市 北海道立釧路芸術館で開かれた企画展「無言館 遺された絵画展」を観に行った時の事でした。


この企画展を見つけた時も不思議でした。

5月19日に、何気なく絵を美術館で見たくなり、企画展をピックアップしてる内に…何の前触れもなく一つの企画展から目が離せなくなりました。

そこまでは普通にあります。しかし一つだけ、常日頃とは違う非日常な事が起きました。

それは、企画展の広告を眺める内に
「行け!行け!行けぇぇぇえ!」と、直観が耳元でがなり立てるのです!

気が付けば、その日の内に。急かされる様にして、高速バスとホテルを予約していました。安くない料金である筈なのに、即決でした。

それから出発日までの1ヶ月弱は、何をしていたのか思い出せません。今思えば、私はただまんじりと運命の日を。5回目のターニングポイントを見つめていたのかもしれないと思うだけです。


ーーーその2へ続く