『NEXUS 情報の人類史』 – AI時代に再考される人類史

本書の概要とテーマ

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによる『NEXUS 情報の人類史』は、ベストセラー『サピエンス全史』以来約6年ぶりの新著であり、AI時代における人類史の再語り直しです。本書は古代の神話から現代のポピュリズムまで、人類社会を形作ってきた「情報ネットワーク」がもたらした結束衝突の歴史を描いており、書名の「ネクサス (Nexus)」が示す通り「つながり」「結びつき」「絆」といった概念が中心テーマになっています。ハラリは、人類が巨大な力を得た理由とその自己破壊的側面を情報伝達の視点から解明しようとしており、「もしホモ・サピエンス(賢い人)が本当に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのか?」という問いに答えるものだと述べています。その答えは、人類に途方もない力を与えた大規模な協力ネットワーク=情報ネットワークの歴史にあるとし、情報技術が人類にもたらした恩恵と危機を総合的に論じています。

ハラリは本書で「コンピュータ政治」とも呼ぶ新たな問題設定に取り組んでいます。すなわち、過去に類を見ない独特な情報技術であるAI(人工知能)の登場によって、政治体制がどのように変容しうるかという喫緊の問いに答えようとしているのです。そのため、人類史を情報ネットワークという視点から捉え直し、石器時代からシリコン時代(現代)までの歴史を公平な視点で俯瞰しながら、AI時代に向き合うための教訓を導き出そうとしています。ハラリによれば、AIは従来の印刷術やコンピュータなどの情報技術とは異なり、自ら「決定を下し」、さらに「新しい考えを生み出す」ことができる初めてのテクノロジーであり、いわば人類にとって“異質な知性(Alien Intelligence)”との遭遇であると位置づけています。こうした史上初の「自律する情報ネットワーク」であるAIの台頭が、人類の組織原理や政治体制を根本から変えつつあり、本書はそのインパクトを歴史と照らし合わせて警鐘を鳴らす「警世の書」**となっています。実際、ハラリは現代世界の動向(ポピュリズムの台頭、パンデミック後の民主主義不信、AIによる権威主義の誘惑など)を強く意識して本書を執筆しており、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)を守るための指針を示すことを意図しています。

 

 

 

構成と内容展開

『NEXUS 情報の人類史』は上下2巻構成で、それぞれ**上巻「人間のネットワーク」下巻「AI革命」**という副題が付けられていますk上巻では主に人類史における情報ネットワークの進化を扱い、下巻では現代および未来のAI時代について論じています。以下、その章立てに沿って内容の概要を紹介します。

  • プロローグでは、まず「情報とは何か」「真実とは何か」という根源的な問いを投げかけ、情報に関する素朴な見方から出発します。グーグル対ゲーテの対比や「情報を武器化する」という現代的課題にも触れつつ、続く全体像を提示します(「今後の道筋」までが序章で言及)。

  • 第I部「人間のネットワーク」(上巻)では、人類史における情報ネットワークの役割を歴史的に紐解きます。第1章では**「情報とは何か?」という問いから始まり、真実と情報の関係、人類の歴史における情報の役割を概観します。第2章では「物語(ストーリー)」に焦点を当て、虚構の物語がいかに人々の無限のつながりを可能にしたかを論じます。ここでは共同主観的な現実としての神話や宗教、国家などのフィクションが人類を大量協力へ導いたという『サピエンス全史』以来のテーマが再確認されます。第3章「文書」では、書記体系の発明と文書化が人類社会にもたらした影響(官僚制の発達や知識の蓄積など)を扱い、「紙という虎」に象徴される文書の力を解説します。さらに第4章「誤り」では、完全無謬な情報など存在しないことを歴史から示し、誤情報への対処や自己修正メカニズムの重要性を論じています。例えば印刷技術の普及がもたらした宗教改革や魔女狩り、科学革命における知の自己修正について述べられ、人類社会が誤りから学び修正するプロセスが考察されます。第5章「決定」**では、民主主義と全体主義の歴史が情報ネットワークの観点から比較されます。多数決による支配の問題やポピュリズムの台頭、メディア環境と民主政治の関係が論じられ、20世紀に大量民主主義と大量全体主義が並存し得た背景を分析しています。古代から現代まで、情報伝達手段(例えば口承から印刷、マスメディア)が政治体制に与えた影響や、権力の集中・分散の振り子のような動きが描かれています。上巻の内容は以上で、人類の「有機的(オーガニックな)ネットワーク」の歴史がまとめられています。

  • 第II部「非有機的ネットワーク」(下巻)では、情報ネットワークがシリコン=デジタルベースのAIへ拡張された世界を論じます。第6章「新しいメンバー」では、コンピューターが印刷機など過去の情報技術と何が異なるのかを考察し、「人間文明のOSをハッキングする」ようなAIの台頭がもたらすものを議論します。ここではAIが人間社会に組み込まれることで誰が責任を負うのかといった倫理的問題や、「技術決定論は無用」であること(技術の進歩が自動的に社会を決めるのではなく人間の選択が残ること)が強調されます。第7章「執拗さ」では、「常時オンのネットワーク」という表現で、現代の24時間稼働する監視社会が分析されます。眠らないAIの監視システムや皮下(体内)に及ぶ監視技術、プライバシー消失の問題、国家だけでなく民間(企業やプラットフォーム)による監視、さらには中国の社会信用システムのような例が取り上げられます。人間の生活がネットワークに常時接続されることで生じる執拗な情報収集と統制の危険が描かれています。第8章「可謬」では、コンピューターネットワークも誤りを多く犯すことが指摘されます。具体的には、アルゴリズムがもたらす偏見(バイアス)や暴走の可能性に触れ、ソーシャルメディアの「いいね!」至上主義がもたらす世論操作(「『いいね!』の独裁」)、AI開発で議論されるアラインメント問題**(AIの目的設定が人間の価値観とずれる問題)や有名な思考実験「紙クリップ最大化問題」をナポレオンの寓話に例えて解説しています。さらに、歴史上の魔女狩りに準えた「新しい魔女狩り」として、現代のアルゴリズムが誤認や偏見で無辜の人々を狩り立てる危険を論じ、AIが新たな**「神々」**のように崇拝される可能性を問いかけます。

  • 第III部「コンピューター政治」(下巻)では、AI時代の政治と社会の未来像について展望します。第9章**「民主社会」では、「私たちは依然として話し合いを行なえるのか?」という問いの下、民主主義の基本原則がAI時代にどう変容するかを検討します。民主主義における人間の判断のペースとAIの圧倒的な速度の齟齬、保守派(伝統勢力)が情報環境の変化で自滅的状況に陥る様子、AIがもたらすブラックボックス化した決定に対し人々が「説明を受ける権利」を主張すべきこと、フェイク動画・ディープフェイクなど「人間の偽造」を禁止する必要性、そしてデジタル時代の無政府状態(デジタル・アナーキー)をいかに防ぐかといった論点が語られます。第10章「全体主義」では、「あらゆる権力はアルゴリズムへ?」との副題が示すように、AIが極端に進歩した場合に権力の集中がアルゴリズムに奪われる可能性を論じます。AIやボットに法的責任を問えない現実(「ボットを投獄することはできない」)や、独裁者がAIで全知全能に近づくジレンマ(ビッグデータですべてを監視できても情報過多でかえって判断が麻痺する問題)など、未来の専制政治のリスクを描いています。第11章「シリコンのカーテン」では、冷戦期の「鉄のカーテン」に倣ってデジタル世界の分断を示唆し、「グローバルな帝国か、それともグローバルな分断か?」という視点で議論します。GAFAや中国の台頭によるデータ植民地主義**、ウェブの断片化(「ウェブからコクーンへ」つまり各国・各集団が独自の情報繭に閉じこもる)、人類の身体性と思考がグローバルに分断される危機、サイバー戦争が現実の熱戦(武力衝突)に発展するリスクなどが述べられます。同時に、そのような分断を乗り越える**「グローバルな絆」の必要性や最終章で提示される「人間の選択」の重要性も語られ、AI時代における人類の団結と行動を促しています。最後のエピローグ**では、「最も賢い者(ホモ・サピエンス)の絶滅」という挑発的なフレーズが掲げられ、現状のまま進めば人類が自らの英知(wisdom)を活かしきれずに自滅する可能性を示唆しています。つまり、真に“賢い”種であり続けるためには何が必要かを読者に問いかけ、全編を通じて提起された問題への集大成的な考察が示されています。

評価・反響

『NEXUS 情報の人類史』は日本でも大きな反響を呼び、発売1か月で早くも15万部を突破するベストセラーとなりました。発売直後にはAmazonの総合ランキングで上・下巻が1位・2位を独占し、紀伊國屋書店や丸善ジュンク堂など全国書店の人文書ランキングでも軒並み首位になるなど、2025年最大の話題作と評されています。読者からは「かつてない視座と教養の深さ」に対する感嘆の声が多く寄せられており、AI時代の未来予測が現実のニュース(例えば2024年米大統領選でのトランプ再選や生成AIの急速な進化)とシンクロしたことで、「まるで2025年を予言しているかのようだ」と注目を集めました。

国内外の知識人からの評価も高く、経済思想家の斎藤幸平氏は「情報により発展を遂げた人類は、情報により没落する宿命なのか。本書のAI論は、混迷する世界で民主主義を守るための羅針盤になるだろう」と述べ、本書が現代民主主義の危機に対する指導原理を示すものだと賞賛しています。また台湾のデジタル担当政務委員(当時)オードリー・タン氏も、ハラリの深い洞察が自身らの提唱する多元的共創の理念と響き合い、「進化するデジタル時代で人々を導く羅針盤となる」と評価しています。さらに日本の書評でも、デザインシンカーの池田純一氏が「ハラリは近代ヨーロッパ精神の代弁者として情報革命時代にリベラル・デモクラシーを擁護している」と分析し、歴史書の形を取りながら現代への警鐘を鳴らす意欲作であると評しています。総じて、『NEXUS』は**「サピエンス全史を超える衝撃」と宣伝されるにふさわしい知的刺激に満ちた作品として高く評価されており、AIと人類の未来を考える上で必読の一冊**との声が多く聞かれます。

ハラリの代表作『サピエンス全史』の概要

 
 

ハラリの名を世界的に知らしめた代表作『サピエンス全史(原題: Sapiens: A Brief History of Humankind)』は、人類(ホモ・サピエンス)の過去を俯瞰した壮大な歴史書です。同書では人類史を大きく四つの革命期に区分しており、約7万年前の認知革命、約1万2千年前の農業革命、数千年規模で進んだ人類の統一(グローバル化)、そして約500年前からの科学革命という枠組みで文明の発展を説明しています。特に強調されるのが最初の認知革命で、ハラリは「ホモ・サピエンスが地球を制覇できたのは、虚構の物語を共有することで大勢の他者と柔軟に協力できる唯一の動物だったからだ」と主張しています。すなわち、人類は神や国家、貨幣、人権など想像上の概念を信じる能力によって大規模な協力を可能にし、それが他の人類種や生物を圧倒する力の源となったのです。この洞察は、ハラリの基本テーゼであり、人類の本質を「ストーリーテリング・アニマル(物語る動物)」と捉える視点でもあります。ハラリは、サピエンスだけが純粋な想像の産物を現実の力に変換できるとし、宗教・政治・経済・法律などあらゆる大規模社会制度はこの虚構を信じる能力に根差すと論じました。そのため貨幣は互いの信頼を媒介する**「信用システム」**であり、政治体制も一種の宗教に類するものだと位置付けています。

『サピエンス全史』はまた、人類史の発展が必ずしも人類個々の幸福や福祉の向上と一致しなかったことにも言及しています。例えば農業革命では、生産力が飛躍的に高まり人口も増えた一方で、狩猟採集時代と比べて大半の人々の生活の質はむしろ悪化したと指摘し、「農耕は人類史上最大の詐欺」と表現されています。少数のエリートや人間が繁栄した影で、多くの農民や家畜化された動物の暮らしは過酷になり、人類は小麦など作物に人質に取られたとも論じました。このようにハラリは、人類の進歩の光と影の両面を描き出し、歴史を単線的な栄光の物語ではなく多面的に捉えています。また「人類の統一」に関する部分では、長い歴史の中で人類社会が徐々に統合へ向かった過程を描いており、かつて数多存在した部族や王国が征服と交易を経て帝国へ収束し、やがて資本主義と科学技術の発達により一つのグローバル帝国に近い状況が生まれたと解説しています。その推進力として貨幣・帝国・普遍宗教の三つを挙げ、これらが異なる人々を共通の秩序に組み込む役割を果たしたと述べています。最後の科学革命の章では、近代以降、人類が莫大な新知識と技術を獲得し、飢饉・疫病・戦争といった古来の課題を克服しつつある歴史が語られます。しかし同時に、人間中心主義(ヒューマニズム)の台頭や、科学と資本の結び付きがもたらす新たな課題(例えば大量絶滅や気候変動、核兵器など)にも触れ、歴史の総括と未来への問いを投げかけて終わります。総じて『サピエンス全史』は、**「我々は何者で、どこから来たのか」**を平易な語り口でまとめ上げ、人類のこれまでの軌跡を再定義した書として高く評価されました。

 

『ホモ・デウス』の概要

 
 

『ホモ・デウス(Homo Deus: テクノロジーとサピエンスの未来)』は、『サピエンス全史』に続くハラリの著作で、人類の未来を大胆に描いた作品です。そのタイトルが示すように、「ホモ・デウス」とは「神の人間」という意味であり、科学技術の発展によって人類が新たな神的存在に進化しうる未来像を探究しています。ハラリはまず、人類が長らく苦しんできた飢饉・疫病・戦争といった問題が21世紀現在ではかつてないほど克服されつつあり、人類は初めてそれ以外の新たな目標――例えば不死の追求(寿命の延長)永続的な幸福(快楽の最大化)、そして神性の獲得(能力の無限拡張)――に取り組み始めたと指摘します。これがいわば人類の次なる課題であり、ホモ・サピエンスが自らをアップグレードして「ホモ・デウス」へ至ろうとする動きだと述べています。しかし、その過程では今まで以上に深刻な格差倫理的問題が生じるとも警告します。テクノロジーに乗り遅れ“アップグレード”できない多数の人々(「無用者階級」などと呼ばれる)が取り残され、一部のエリートが強化人類として君臨する未来では、両者の隔たりは産業革命期の帝国と植民地以上、さらには現生人類とネアンデルタール人以上に開くかもしれないと予測しています。それは人類史における次の段階の進化であり、社会は根本的に変容するだろうとハラリは述べます。

ハラリはまた、この未来予測の中核として、新しい支配的イデオロギーとなりつつある**「データ至上主義(データイズム)」の台頭を論じています。ホモ・サピエンスは近代まで人間中心の価値観(リベラリズムや人文主義)を信奉してきましたが、21世紀にはビッグデータアルゴリズムが真理や権威の源泉と見なされる傾向が強まりつつあります。人間の経験や直感よりもデータ解析が上位に置かれ、生命も知能も「データ処理アルゴリズム」として再定義される世界観が広がれば、人間至上の時代は終焉し、アルゴリズムを神とする時代が訪れるかもしれません。『ホモ・デウス』では、このような未来社会で従来の人間観や価値体系がどう変わり、人類が自らの役割を喪失していく危機を描き出しています。具体的には、高度なAIやバイオテクノロジーにより人間の仕事の大半が機械に置き換わる「無用者階級」の問題、生体情報がリアルタイムで収集され個人の嗜好や行動が完全にアルゴリズム管理されるプライバシー消失の問題、人間の精神や意識ですら解明・改良の対象となることで自由意志の概念が揺らぐ可能性などが論じられています。また古くからの神話(宗教的価値観や人権といった概念)が、AIや遺伝子工学などの「神のような技術」と結び付けば世界に何が起こるかを検証する、と著者自身が序文で述べているように、旧来の信念体系と新技術との融合がもたらす社会変革がテーマとなっています。ハラリは決して技術の進歩自体を否定してはいませんが、それが人類を幸福にする保証はなく、下手をすればホモ・サピエンスという種そのものが意味を失う**未来すら描いています。そうした最悪のシナリオへの洞察を提示する一方で、読者に対しては「未来をどう形作るか」は我々次第であると問いかけ、人類が英知を持って望ましい道を選択するよう促しています。『ホモ・デウス』は、『サピエンス全史』が描いた「これまで」の歴史を引き継ぎ、「これから」の行方を示唆する挑発的な作品であり、現代読者にテクノロジーと人間のあり方について深い思索を促すものとなっています。

三作品を通じて浮かび上がる問い

ハラリのこれら3作品(『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『NEXUS 情報の人類史』)は、それぞれ過去・未来・現在の視点から人類に関する重要な問いを投げかけています。それらを通読することで、「人類とは何か」「人類の理想的な進路とは何か」「そのために今何をすべきか」という根源的な問題への示唆が得られます。以下、この三部作に通底するテーマについて考察し、ハラリの提言をまとめます。

「人類とは何か」 – 物語を紡ぎ力を得た動物

ハラリの著作から浮かぶ人類像は、一言で言えば**「物語を紡ぐ動物」です。『サピエンス全史』で示されたように、人類は虚構の物語を集団で信じる能力によって他生物にはない規模の協力を可能にし、地球上で圧倒的な支配力を手にしました。国家や宗教、貨幣や企業といったものはすべて人間の想像力の産物ですが、それを現実の制度として機能させることでピラミッド建設から月面着陸まで成し遂げてきたのがホモ・サピエンスです。つまり人類の本質はストーリーを信じ共有することにあり、ハラリはこの点を繰り返し強調しています。他方で、その想像力ゆえに人類は架空の存在に熱狂し、絶対的な正義や真理を掲げて互いに争うという側面も持ち合わせました。『NEXUS』が描いた情報ネットワークの歴史は、人類の団結と対立がいかに情報(物語)の流通によって媒介されてきたかを示しています。神話やイデオロギーが人々を結束させる一方で、異なる物語同士の衝突が戦争や迫害を生んできた歴史でもあったのです。さらに近年では、インターネットやSNS上で陰謀論やフェイクニュースといった「物語」が拡散し、現実の政治をも左右しています。本来、賢いはずの人類が自滅的行動をとる背景には、この虚構への盲信とそれを増幅する情報環境がある──これがハラリの見る人類の姿です。総じて、人類とは理性と虚構信仰が同居する存在であり、強大な力を得たがゆえにその扱いを誤れば自らを滅ぼしかねない危うい種族だといえます。ハラリの著作は、そのような人類に自己認識**を促し、「我々は何者で何をしてきたのか」を冷徹に見つめ直させるものとなっています。

「人類の理想的な進路」とは – リベラルな協調かテクノロジー超越か

では、人類は今後どのような道を進むべきなのでしょうか。ハラリの三作品から読み解ける理想像は、一筋縄ではいきませんが、少なくとも人間中心の価値を維持しつつ協調を図る道が示唆されています。『ホモ・デウス』では、科学技術の暴走によって人間が神の領域に踏み込み、ホモ・サピエンスの時代が終焉するシナリオを描きました。それは一部の超人類と大多数の無用者階級に分断されたディストピアであり、ハラリが望ましい未来として描いているわけではありません。むしろ、そうした事態を避けるために、人類は技術に倫理的な指針を与え、「すべての人に恩恵をもたらす進歩」を目指すべきだと読めます。例えば遺伝子工学やAIを用いるにしても、人間の幸福や自由を毀損しない規範を国際的に共有し、格差拡大を抑制することが理想の進路でしょう。ハラリ自身は明言していませんが、彼の警告の裏返しとして、人間の尊厳と多様性を重んじるリベラルな価値観を未来社会でも堅持する必要性が浮かび上がります。『21 Lessons(21のレッスン)』での議論や『NEXUS』のメッセージからも、ハラリはリベラル・デモクラシーの原則(個人の権利、言論の自由、民主的合意形成など)をアップデートしつつ守ることが人類にとって望ましいと考えているように見受けられます。一方で、理想を語る際に忘れてはならないのは、人類が地球生態系の一員である点です。ハラリは環境問題や他の動物への配慮についても繰り返し触れており、真に賢い種であるなら地球全体の調和を図るべきだと示唆しています。人類が技術によって「神」になるのではなく、謙虚に賢く振る舞うこと、すなわち自らの力の限界と影響を認識して節度を持つことが理想的な在り方でしょう。要約すれば、ハラリの考える人類の進路は、「テクノロジーとの共進化を図りつつ、人間らしさ(倫理・共感・協力)を失わない道」であり、それは現在揺らぎつつある自由で開かれた社会の価値を再確認する方向でもあるといえます。

理想の実現に向けて今何をすべきか

ハラリの洞察から導かれる提言は、現代を生きる私たちに具体的な行動を問いかけています。第一に重要なのは、教育と対話を通じて人々が現状を正しく理解し、批判的思考を身に付けることです。『NEXUS』で強調されたように、情報ネットワークは真実と虚偽を拡散する両刃の剣です。私たちはフェイクニュースや陰謀論に踊らされず、自ら情報の真偽を判断するリテラシーを高めねばなりません。そのためには学校教育だけでなく、生涯学習や公共の啓蒙を通じて、テクノロジーの仕組みや歴史の教訓を共有することが必要でしょう。第二に、民主的な制度とガバナンスを強化することが挙げられます。AI時代においても、人間が主体的にルールを決め、技術を統制していく枠組みが不可欠です。具体的には、AIの倫理基準やデータ利用の国際ルール作りに市民の声を反映させること、選挙や世論形成のプロセスをアルゴリズムの干渉から守る法律を整備することなどが考えられます。ハラリはAIを**“エイリアン・インテリジェンス”と呼び、人類とは異質の知性として恐れよと述べました。それはつまり、人類が自分たちより優れた意思決定者を無批判に受け入れてはならないという警告です。今こそ、人類自身が「AIに何を任せ、何を任せないか」**を主体的に決める時期であり、技術者・企業任せにしない民主的コントロールが必要とされています。第三に、人間同士の連帯と共感を取り戻すことも重要です。ハラリの指摘する情報過多の社会では、しばしば人々の注意が分断されコミュニティの絆が希薄になります。そこで敢えてデジタル・デトックス(情報断食)を行い、地域社会や家族・友人との直接的な交流を深めることも、長期的には健全な社会の礎となるでしょう。『NEXUS』が示唆するように、AIによる監視やプロパガンダに対抗するには、信頼に基づく人間ネットワークが最後の砦になります。お互いを理解し支え合う関係性が強ければ、テクノロジーによる分断や支配にも抵抗できるはずです。

総じて、ハラリの三部作から導かれる「今すべきこと」は、知性と思慮に富んだ選択を積み重ねることだといえます。人類はこれまで想像上の物語に振り回されてきましたが、同時にそれを糧に発展もしてきました。これからは、物語(イデオロギーや価値観)を慎重に選び直し、全人類的な視座で未来を描く必要があります。気候変動や核兵器の問題も含め、課題はグローバルかつ世代を超えて存在するため、長期的視野と国際協調が不可欠です。ハラリの著作はしばしば冷徹ですが、その底流には人類への深い愛情と期待が流れているように思われます。我々が自らの愚かさを自覚し、過ちから学び、より良い物語(未来像)を共有できるなら、人類の進路はまだ修正可能だというメッセージだからです。ホモ・サピエンス(知恵ある人)という名に恥じない行動を取れるかどうか——ハラリの問いかけに応えるのは、他でもない今を生きる私たちなのです。

 

 

 

SF作品『逆光のシンギュラリティ』とハラリ思想の共通性

最後に、日本のSF小説『逆光のシンギュラリティ ―デジタルが静まる夜に見つけた、本当の光―』(南野カナ著)とハラリの思想の共通点について考察します。この作品は、西暦2032年を舞台に、AIとロボットが当たり前に生活を支えている近未来で突如発生した電磁パルス攻撃(EMP)によって都市の電子機器が一斉に停止し、デジタル社会が闇に陥るというストーリーです。主人公は混乱する東京を離れ、電気も通信も使えなくなった世界で祖母の住む地方の町へと辿り着きます。そこは最新技術の恩恵がなく不便でありながら、人々の助け合いによる温かな共同体が息づいている場所でした。タイトルの「逆光のシンギュラリティ」は、本来AIがもたらすはずだった輝かしい未来がEMPによって**“逆光”にさらされて暗転するイメージを表しておりamazon.co.uk、同時にデジタルの暗闇の中で見出される人間本来の光(絆や優しさ)**を示唆しています。

このSF作品とハラリの思想にはいくつかの共通点が見られます。第一に、テクノロジーへの過度な依存とその危うさというテーマです。ハラリは『NEXUS』で、AIやデジタルネットワークが人類社会を便利にする反面、それらが停止・誤作動したときに甚大な危機が訪れる可能性を指摘しました(例えば常時オンの監視ネットワークやブラックボックスAIへの警鐘)。『逆光のシンギュラリティ』はまさにそのシナリオを物語化したような内容で、高度なAIに頼りきっていた人々が突然それを失ったときに如何に脆弱かを描いています。電気も通信も絶たれた都市で、人々は食料や情報すら満足に手に入れられず混乱します。これはハラリが警告する「便利さの裏のリスク」を如実に表現しており、テクノロジーの恩恵に安住してきた現代人への問いかけとなっています。

第二に、人間同士のつながりの価値が強調されている点です。EMP後の世界で拠り所になるのは、結局のところ人と人の支え合いでした。SNSもAI秘書もない中、主人公たちは生身のコミュニケーションを通じて問題を解決していきます。Amazonの紹介文も「高度なAIを使いこなしていたはずの彼らは、電気も通信も奪われた都市でどうやって生き抜くのか? そして、人間だけが持つ“温かさ”や“つながり”がいまどんな力を発揮するのか…」と、この点を強調しています。ハラリが述べるように、人類の強みは協力する能力にありますが、現代のデジタル社会ではその絆が見えにくくなりがちです。逆光のシンギュラリティの物語は、テクノロジーの光が失われた暗闇の中で浮かび上がる人間性の光を描き、**「最後にものを言うのは人間の温かみだ」**というメッセージを伝えています。この点は、人間らしさを喪失しつつある未来へのハラリの懸念と通底しており、AI時代におけるヒューマニティの重要性を物語という形で訴えていると言えるでしょう。

 

 

 

 

第三に挙げられる共通点は、警鐘でありつつ希望も示している点です。ハラリの著作はしばしば「未来への警告」として読まれますが、同時に「我々次第では未来を良い方向に変えられる」という希望を残しています。『逆光のシンギュラリティ』も、EMPという最悪の事態の中で人間の善意と創意工夫が光をもたらす様子を描きます。デジタル技術がなくても、人間は互いに協力し知恵を絞って生き延びることができるのだ、という希望的な結末が示唆されており、読後には前向きな感動が残ります。これはハラリが期待を寄せる**「人類の英知」**にも通じ、危機に陥っても連帯すれば乗り越えられるという楽観的なビジョンを物語が提供している点で共鳴しています。

以上のように、『逆光のシンギュラリティ』はハラリの描くテーマをエンターテインメントとして体験させてくれる作品です。SF的なワクワク感やサバイバルの緊迫感、そして人間らしい心の繋がりの描写がバランス良く詰め込まれておりamazon.co.jp、楽しみながら現代社会の本質について考えさせられる内容となっています。ハラリの理論を読むのは難しいと感じる読者でも、物語を通じてなら直感的にそのエッセンスを掴めるでしょう。テクノロジーと人間の関係性や、便利さと引き換えに失ってはいけないものは何か、といった問いを本作は自然に浮かび上がらせます。言い換えれば、本作品は物語の力でハラリ的な問題意識を伝達する試みであり、まさに情報ネットワーク(フィクション)を媒介に人々の意識を変えうるという点で、ハラリが重視する「物語の力」を体現しています。SFファンのみならず、AI時代の行方に不安や関心を持つすべての人にとって、『逆光のシンギュラリティ』は楽しみながら本質を学べる一冊といえるでしょう。人類の未来を憂い、しかし信じてもいるハラリの思想と響き合うこの物語から、私たちは現代への示唆と希望の光をきっと見出すことができるはずです。

 

逆光のシンギュラリティ:―デジタルが静まる夜に見つけた、本当の光―

参考資料:

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史 上・下』(河出書房新社, 2025年)kawade.co.jpkawade.co.jpkawade.co.jpほか

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社, 2016年)ja.wikipedia.org

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』(河出書房新社, 2018年)kawade.co.jpkawade.co.jp

  • 池田純一「ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史』ブックレビュー」 WIRED.jp (2025)wired.jpwired.jp

  • 河出書房新社 プレスリリース (2025年4月2日)prtimes.jp

  • 南野カナ『逆光のシンギュラリティ』紹介文(Amazonより)amazon.com.au