70代: 円熟と安定、そして新たな挑戦
70代は高齢期の円熟味が増す年代です。多くの人が祖父母の世代となり、家族から慕われる存在となるでしょう。統計的にも先述の通り幸福度が最も高くなる時期との報告があり
、実際「70代が人生で一番楽しい」と語る方も少なくありません。これは、仕事や子育ての責任から解放され、自分のために使える時間が増えることや、人生経験から来る悟りによって穏やかな心境を得られることが要因でしょう。一方で、健康面の課題は無視できません。慢性的な病気や身体能力の低下、同世代の友人・配偶者との死別など、悲しみや困難も増える年代です。70代を幸せに過ごすには、得られた自由と時間を上手に活用しつつ、失われゆくものを受け入れる柔軟性が求められます。
やるべきこと(70代)
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日々の楽しみとルーティン: 70代では大きな目標よりも日々の小さな楽しみが幸福感を左右します。毎日のルーティンの中に「これをするのが楽しみ」という要素を組み込みましょう。例えば毎朝の庭いじり、好きな新聞や本をゆっくり読む時間、晩酌しながら夫婦でテレビ番組を観る習慣、週一回の友人とのお茶会などです。小さくても定期的な喜びがあることで生活に張りが出て、孤独感を和らげます。また、ペットを飼うことも有効です。犬や猫などのペットは良き相棒となり、散歩や世話を通して日課が生まれ、情緒の安定にも寄与します。
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身体機能の維持と適応: 70代になると足腰の衰えや視力・聴力の低下などが進む場合があります。大切なのは積極的にリハビリや運動を継続することと、必要に応じて補助具を取り入れる適応力です。筋力トレーニングやストレッチ、水中エクササイズなどシニア向けの運動教室に参加してみましょう。社会参加にもなり一石二鳥です。転倒予防のためのバランス訓練も有効です。また、杖や補聴器、眼鏡などを無理せず使い、生活の質を維持しましょう。恥ずかしいと感じる必要は全くありません。適切な道具の利用は自立した生活を長く続ける秘訣です。
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継続的な社会貢献・趣味: 60代までに始めた趣味や社会活動があれば、それをぜひ続けてください。70代になると周囲から「もう無理しなくていいよ」と言われるかもしれませんが、本人が意欲と体力さえあれば継続は力です。例えば家庭菜園で野菜を育て近所におすそ分けする、地域の児童の登下校を見守るボランティアを続ける、お年寄り向けの読み聞かせ会で朗読するなど、自分のペースで社会とかかわり続けましょう。それが自尊心を保ち、「自分はまだ役立てる」という生きがいにつながります。逆に、もし60代まであまり外との交流がなかった人も、70代から始めても決して遅くありません。自治会や老人会で役割を引き受けたり、シニア大学に入学して学び直したりするなど、新しい挑戦に年齢制限はないことを覚えておきましょう。
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心の平安とスピリチュアルケア: 70代は人生の意味をより深く考えるようになる時期です。自分の親世代や友人が他界することも増え、死生観に向き合うこともあるでしょう。こうした中で、心の平安を保つためにスピリチュアルな活動が助けになります。信仰を持つ人は引き続き礼拝や祈りの時間を大切にしましょう。それが希望や慰めを与えてくれます
。特定の宗教を持たない人でも、座禅や瞑想、深呼吸法などを日課に取り入れると心が落ち着きます。また、自然とのふれあいも癒しになります。散歩やガーデニングで季節の移ろいを感じ、「生かされている」ことへの感謝を持つと、どんな日にも意味が見いだせるようになります。 -
家族や友人との絆を深める: 70代では子供たちも中高年となり、それぞれの家庭を築いているでしょう。定期的に連絡を取り、孫や子供世代との交流を図りましょう。最新のテクノロジー(スマホやビデオ通話)も活用してみてください。孫から教わることで新鮮な驚きがありますし、向こうも祖父母と話すのを喜びます。昔話を聞かせたり、逆に若者の流行を教えてもらったりする双方向の交流がお互いにとってプラスになります。また、同世代の友人とも定期的に集まるよう心がけます。年齢を重ねてからの友情はお互いの健康を気遣い合う貴重な支えになります。お茶飲み仲間や趣味仲間がいるだけで、毎日の安心感が違います。
避けるべきこと(70代)
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悲観主義(残された時間への不安): 70代になると「自分の人生ももう残り少ない」と感じ、物事を悲観的に捉えてしまう人がいます。確かに若い頃に比べれば残り時間は減ったかもしれませんが、**「まだ○年もある」と考えるか「もう○年しかない」**と考えるかで日々の充実度は大きく変わります。避けるべきは「どうせもう先は短いし…」と何もしなくなることです。それよりも「今日一日をどう楽しむか」「今だからできることは何か」に意識を向けましょう。時間は有限ですが、その中身は自分次第で豊かにもなります。
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過度な頑固さ・柔軟性の欠如: 高齢になると自分の考えや習慣に固執し、周囲から「頑固だ」と思われるケースが増えます。もちろん信念を持つことは大切ですが、必要以上に新しい考えや若い世代の意見を拒絶する姿勢は人間関係を悪化させ、自ら孤立を招きます。たとえば子供世代から生活上のアドバイスを受けたとき、「昔はこうだった」と突っぱねるのではなく**「そういう考えもあるのだね」**と一度受け止めてみましょう。柔軟性は円滑なコミュニケーションの潤滑油であり、自身の学びにもつながります。長年の経験は宝ですが、時代とともに変えるべきところは変えるという姿勢を忘れないようにしましょう。
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健康管理の怠慢: 70代になると多少の不調は当たり前と思い、痛みや症状を我慢してしまう人がいます。しかし小さな異変が大きな病気のサインである場合もあります。「歳だから仕方ない」と症状を放置しないようにしましょう。特に定期検診を怠るのは避けるべきです。また、運動や食事管理も「この歳で無理しても…」と怠りがちですが、適度な運動や栄養管理は免疫力維持に直結します。医師と相談しながら、安全にできる範囲で体を動かすことを続けましょう。
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配偶者や友人への過度の依存: 年齢とともに助け合いが必要になるのは当然ですが、精神的に一人の人物に過度に依存するのは望ましくありません。例えば配偶者だけが心の支えで他に誰もいないという状態だと、その配偶者に何かあったとき自分が立ち直れなくなります。家族や友人関係はできるだけ多層的に築いておきましょう。配偶者・子供・孫・友人・隣人・ケアマネージャーなど、頼れる相手が複数いると安心です。一人ひとりとの関係は適度な距離感も保ち、自分の時間も大切にしましょう。
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デジタル拒否: スマートフォンやインターネットなどデジタル技術に馴染みがないまま高齢期を迎えると、つい「難しくてわからない」と避けたくなるかもしれません。しかし現代社会においてデジタルツールは生活を豊かにする武器にもなります。オンラインでの孫とのビデオ通話、買い物の宅配注文、趣味の情報収集、遠方の友との交流など、高齢者ほど活用すべき場面があります。完全に拒否するのではなく、周囲に教わりながら少しずつ慣れていきましょう。使いこなせれば生活の利便性が飛躍的に高まり、孤独感の軽減にもつながります。
80代・90代: 人生の完成期を豊かに生きる
80代ともなれば、誰もが人生の達人です。長寿を全うし、曾孫の顔を見る方もいるでしょう。90代に至っては、その存在自体が家族や周囲にとって尊敬と敬愛の対象となり得ます(日本には「白寿(99歳)」「百寿(100歳)」を祝う文化もあります)。この年代では、身体的な弱さは否めないものの、精神的には悟りに近い境地に達する人もいます。ゆっくりと流れる時間の中で、若い頃には見えなかった人生の深い意味を理解し、一日一日を愛おしみ感謝する気持ちが芽生えることも多いでしょう。
しかし、現実には80代・90代は喪失の連続でもあります。多くの友人や兄弟姉妹を見送り、配偶者と死別し、自身も病気や障害と付き合いながらの日々かもしれません。そのため悲しみや孤独が最も大きくなる時期とも言えます。この時期を幸福に過ごすポイントは、**過去を受け入れて心の安らぎを得ること(人生の統合)**と、残された時間を自分なりに有意義に満たすことです。社会的な役割は縮小するかもしれませんが、存在しているだけで周囲に与える影響は大きいものです。最後まで自分らしく生きることが、周囲への最大の贈り物にもなるでしょう。
やるべきこと(80代・90代)
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人生の統合(インテグリティ): エリクソンが提唱した人間発達の最終段階は「統合(インテグリティ)vs. 絶望」です
。この段階では、これまでの人生を振り返り「自分の人生は意味があった」「よく生きた」と受け入れられるかどうかが心の安寧を左右します。幸せな高齢者は過去の失敗や選択ミスさえも含めて**「あれも自分の人生に必要な出来事だった」と肯定的に解釈します 。そうすることで、たとえ身体が不自由になっても深い満足感や平穏な心境(英知)を得られるのです 。80代・90代になったら、ぜひ時間をかけてご自分の人生に謝意を表し、誇りを持って**ください。家族や友人にこれまでの物語を語り聞かせるのも良いでしょう。それはご自身の統合を助けるだけでなく、周囲にとっても貴重な学びとなります。 -
日常生活の最適化とケア活用: この年代では、日常の些細な動作ひとつにも困難を感じることがあります。そこで大切なのは自立心を保ちつつ、必要な助けを受け入れることです。介護サービスやデイケア、訪問診療など、利用できる制度は積極的に活用しましょう。無理に一人ですべてをこなそうとすると事故やケガのもとです。周囲に甘えることも勇気です。また住環境も安全第一に整備します。手すりの設置や段差解消、転倒しにくい履物の使用など、生活環境をシニア仕様に最適化しましょう。これにより「自分でできること」が増え、結果的に自尊心を保てます。
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心の交流を大切に: 身体的に外出が難しくなっても、人との心の交流は最後まで大切にしましょう。家族や介護者、施設のスタッフなど周囲の人に積極的に話しかけ、感謝や冗談を伝えてください。短時間でも誰かと笑顔を交わすことで、ホルモン分泌が促され心身の健康に良い影響を与えます。もし身近に話し相手が少ない場合、幼少期からの思い出の場所に手紙を書いたり、昔の友人に電話してみたりするのも手です。誰かとの繋がりを感じるだけで孤独感は和らぎます。
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スピリチュアルな充実と希望: 非常に高齢になると、死は日常的な話題となり得ます。不安や恐怖がないと言えば嘘になるでしょう。だからこそ、スピリチュアルな支えが重要です。宗教を持つ人は来るべき旅立ちに備えて祈り、心の平安を求めましょう。宗派によっては臨終の心得や儀式がありますから、僧侶・神父・牧師などと相談し準備を進めると安心できます。無宗教の人も、哲学書や詩歌に触れたり、自然の美しさに没頭したりする時間を作ってみてください。夕日の美しさや鳥のさえずりに耳を傾けるだけでも、「いま、ここ」に心が満たされる瞬間が訪れるはずです。過去でも未来でもなく、この瞬間の安らぎこそがスピリチュアルな充実感につながります。
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感謝と愛の表現: 人生の最終盤では、周囲への感謝を伝えることが自分の満足感にもつながります。お世話になった家族・友人・医療介護者に「ありがとう」と伝えましょう。言葉にするのが難しければ、笑顔や握手、ちょっとした気遣いでも構いません。感謝の気持ちや愛情を表現することで、自分が多くの恵みに支えられて生きてきたことを実感できます。それは同時に周囲の人にとっても大きな励みとなり、あなたの存在意義を再確認させてくれるでしょう。愛と感謝に満ちた時間を過ごすことこそ、人生の締めくくりを幸福で満たす秘訣です。
避けるべきこと(80代・90代)
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過度の孤独と引きこもり: この年代になると一人暮らしの方も多く、行動範囲が狭まるため孤独が深刻になりがちです。しかしだからといって心まで引きこもってしまうのは避けましょう。できる限り日の光を浴び、誰かと言葉を交わす機会を作ることが大切です。訪問介護や配食サービスのスタッフと挨拶を交わすだけでも違います。テレビやラジオをつけっぱなしにして人の声が聞こえるようにするなど、完全な静寂に閉ざされない工夫も検討してください。孤独を感じたら遠慮なく周囲に伝えましょう。あなたが「寂しい」と口にすることで、家族や周囲も初めて気づくことがあります。支援を求めることを恥じないでください。
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過去への執着と後悔: 80代・90代で「もしあの時に戻れたら…」という強い後悔に苛まれるのは、とても辛いことです。誰しも多少の後悔はあるものですが、過去は変えられません。それよりも**「あの時ああしたから今の自分がある」**と発想を転換し、過去の出来事に新しい意味を見出してみましょう。避けるべきは過去のミスばかりを頭の中で繰り返し責め続けることです
。どうしても心残りがあるなら、信頼できる人に話してみてください。話すことで気持ちが整理され、許せなかった自分や他人を少し許せるようになるかもしれません。人生の黄昏に必要なのは自己赦しです。自分自身に「よく頑張って生きてきたね」と声をかけてあげてください。 -
医療・介護の拒否: 高齢になると、医療や介護のサポートなしに生活するのは難しくなります。しかしプライドからそれらを拒否し「自分は大丈夫」と無理を重ねる人もいます。これでは周囲も心配ですし、何よりご本人の安全が脅かされます。避けたいのは、状態悪化してから緊急措置を取るような事態です。早め早めに医療や介護サービスを利用し、予防的にケアを受け入れるようにしましょう。たとえば少し物忘れが増えた段階でデイサービスに通い始める、転倒する前に手すりを設置する、といった具合です。「まだ必要ない」と頑張りすぎず、頼れるものには頼る方が結果的に自立を保てます。
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未来への過剰な不安: 超高齢になると、「自分が亡くなった後の配偶者はどうなるだろう」「財産や家はどう処理されるだろう」など様々な不安が湧いてくるかもしれません。準備できることは事前に整えておくべきですが、コントロールできないことまで案じすぎないよう注意しましょう。あなたがいなくなった後の世界は、残された人々がなんとかしていくものです。必要以上に心配すると今の自分の心をすり減らしてしまいます。エンディングノートを書いたり遺言状を作成することは有効ですが、それを済ませたら**「あとはなるようになる」**と天に任せ、今を穏やかに過ごすことに集中しましょう。
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価値の否定(自分なんて…という思い): 最高齢者ともなると、周囲の若い人々の役に立てないどころか世話になる一方だと感じ、「自分はもう生きている意味がないのでは」と思ってしまう方もいます。これは決して真実ではありません。その人が存在するだけで周囲に与える安心感や学びは計り知れないものがあります。あなたが今日まで生き抜いてきたこと自体が尊いのです。ですから「生きていてすみません」などと思う必要は一切ありません。遠慮がちで引け目を感じると笑顔も減ってしまいます。避けるべきは自分の価値を自分で下げてしまうことです。代わりに「自分はよくここまで頑張ってきた」「自分にはまだ家族に教えられることがあるかもしれない」くらいに構えてみてください。その前向きさが周囲にも良い影響を与えます。
おわりに:幸せな老いを自分らしくデザインする
幸福な人生に「これをすれば絶対大丈夫」という万能策はありません。しかし、ここまで述べてきたように、各年代で直面しやすい課題に備え、心身の健康・人間関係・生きがいをバランスよく育んでいくことで、幸福度を高める土壌を自分で整えることは可能です。特に愛情あふれる人間関係や目的意識は、人生の後半における最大の支えになります。心理学者ジョージ・バイラントは、ハーバード成人発達研究の膨大なデータから「幸福の鍵は愛であり、それを失わないことだ」と述べました。愛とは決して特別なことではなく、家族や友人との絆、誰かの役に立ちたいという思い、人生への畏敬と感謝——そうした形で私たちの中に息づいています。それらを年代に応じた方法で表現し育んでいくことが、結局は**「自分は十分幸せに生きた」と胸を張って言える人生**につながるのではないでしょうか。
最後に、文化的な視点から付け加えるなら、「老い」をネガティブに捉えすぎないことも重要です。現代の西洋文化では若さが賞賛され老いは隠すべきもののように扱われがちですが、それでは人生の後半を楽しめません。実際、心理学者エリクソンは「高齢期に対する肯定的な文化的ビジョンが欠如していると、人生全体の意味を見失ってしまう」と指摘しています
。日本を含む東洋の伝統では、老人は知恵を持つ存在として敬われ、老いることは円熟と悟りを得るプロセスとして受け入れられてきました。ぜひ皆さんも前向きに年齢を重ね、自分なりの**「幸福な老いのモデル」**を描いてみてください。それは周囲の若い世代にとっても希望の光となり、幸福の世代間連鎖を生み出すことでしょう。
以上、40代から90代まで各年代における幸福度を高める生き方のヒントを多角的にご紹介しました。人生100年時代、老いや変化に直面しても決して遅すぎることはありません。今日がこれからの人生で一番若い日です。それぞれの人生ステージでやるべきことを実践し、避けるべきことを意識して回避しながら、年齢を重ねるごとに深まる豊かな幸福をぜひ味わってください。あなたの人生が最期まで意味と喜びに満ちたものであるよう願っています。