直流偏磁の発生メカニズム

直流電流がコア磁化特性に与える影響

高周波トランスの巻線に直流電流が重畳すると、コアに一定の磁界(H成分)が加わり磁化特性が偏った動作点になります​

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。具体的にはB-H曲線上で原点からシフトした位置で動作するようになり、コア材料の透磁率(インダクタンス)が低下します​

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。直流電流によるバイアス磁化でコアは早期に飽和領域に達しやすくなり​

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、その結果、同じ交流電流を流しても正負の半周期で磁化の振れ幅が非対称になります。コアのB-Hループは直流バイアスによって中心がずれ、歪んだ形状となります。このため正方向(直流バイアス方向)の半周期で容易に飽和し、大きな励磁電流が流れるようになります​

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。一方、逆方向半周期では磁化の振り切れる余裕が残っているため表面的には飽和しにくくなりますが、全体として励磁インダクタンスの低下波形ひずみが生じます​

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。直流オフセットが小さくともB-H曲線の非対称化により偶数次の歪み(ひずみ)成分が発生しやすく、オーディオ等では音質劣化の原因になります​

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。総じて、直流電流の重畳はコアの実効透磁率を下げ、磁化カレントの増大や波形歪み、コア損失の増加を招く要因となります。

 

 

磁壁移動の挙動と直流バイアス

磁性体内部では、多数の磁区(磁化がほぼ飽和して揃った微小領域)が存在し、隣接する磁区の境界に磁壁があります​

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。弱い外部磁界(H)が印加されると、通常は磁壁が移動して磁区の大小を変化させることで磁化(B)が増減します​

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(容易軸方向では小さな磁界で磁壁が動き始め、大きな磁化変化が起こります)。しかし磁壁の移動には内部の結晶粒界や欠陥によるピン止め(磁壁が引っかかる現象)が伴い、あるしきい値以上の磁界でないと磁壁が動けません​

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。この磁壁ピン止め現象がヒステリシスの主因であり、移動開始に必要な磁界が磁壁抗磁力として現れます​

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。直流バイアス磁界が存在すると、多くの磁壁はすでにバイアス方向へ大きく移動・偏位した状態になります。その結果、磁壁の配置が一方向に片寄ったまま固定化(ピン止め強化)され、以降の交流磁界に対する磁壁の可動性が低下します​

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。言い換えると、直流磁界は磁性体に異方性を付与して磁壁を硬直化させる効果があると報告されています​

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。このため、交流印加時にもはや磁壁が容易に動けず、磁化は主に磁気モーメントの回転によって行われるようになります。直流バイアス下では磁区構造自体が一方向に偏っているため、磁壁移動による透磁率の増大効果が発揮されにくく、増分透磁率(微分磁化率)の低下として現れます。また、一旦直流磁界で多くの磁壁が押し広げられると、磁区配列が変化して残留磁化(Br)が増加し、直流磁界を取り去った後もコアが磁化されたままになる(消磁が必要になる)場合もあります。以上のように、直流偏磁は磁壁挙動を変化させ、磁区構造を一方向に再配列させてしまうため、交流時の透磁率低下や磁気特性の非線形性増大を引き起こします。

磁気ヒステリシスとの関係

磁壁の不可逆な移動や磁化回転によるエネルギー損失が磁気ヒステリシス損失として現れます​

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。直流偏磁があるとヒステリシスループ(B-Hループ)はオフセットしたループとなり、正逆の磁化過程が対称でなくなります。特に直流バイアス方向に磁化しやすいため、反対方向へ磁化を戻す際にはより大きな逆磁界が必要となり、実質的な保磁力の増大やヒステリシス曲線の幅の変化が生じます。このため交流のみの場合と比べてヒステリシス損失が増加する傾向があります。実験的にも、直流バイアス下では磁心の励磁電流波形が歪み、B-Hループが変形することが確認されています​

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。またヒステリシスループの非対称化により、磁束密度の正負振幅が不均等となり、**コアの磁化動作点が一方向に偏った“小さなループ”(マイナーループ)**で往復する場合もあります。その結果、トランスの出力やインダクタンスが不安定になり、さらに音響ノイズの増加(後述の磁歪の影響)や、電力用途では偶数次高調波の発生による回路動作への悪影響が生じます​

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。したがって、直流偏磁はヒステリシス特性を劣化させ、損失と歪みを増大させる重要な要因です。

磁性材料内部の電子(原子)レベルでの影響

強磁性体の磁化現象は電子のスピンと軌道角運動量による磁気モーメントの集合的挙動として説明できます。各原子の磁気モーメントは交換相互作用によって自発的に平行に揃おうとしますが、一様に揃う範囲は限られ(磁区形成)、磁気異方性エネルギーによって容易軸方向に揃う傾向があります​

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。直流磁界はこの磁気モーメント集合(磁区)を強制的に特定方向へ揃え、磁区境界(磁壁)を押しやる働きをします。電子レベルでは、本来異なる方向を向いていたスピンがより多く外部磁界方向に揃うため、材料内部の自由エネルギーが変化します。特に結晶磁気異方性の方向と異なる方向に磁化を偏らせると、電子スピンの配置と結晶格子との相互作用(スピン-軌道相互作用)による磁気異方性エネルギー磁気弾性エネルギーが高くなります​

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。例えばシリコン鋼板などでは、直流磁界で磁化された際に結晶格子がわずかに歪む磁歪(マグネトストリクション)が生じ、これが振動・騒音の増大として観測されています​

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。このように直流バイアスは電子スピンの配向を一方向に偏らせるため、反転させるにはスピンの向きをひっくり返す必要があり、領域のエネルギー障壁が増大します。これはすなわち保磁力やヒステリシス損失の増大につながります。また原子レベルでは、強磁性体中の各スピンはラーモアの歳差運動によって高周波磁界に追随しますが、その固有共鳴周波数(フェロ磁気共鳴)は数十MHz~数GHzのオーダーに達します​

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。直流バイアス下では内部有効磁界が増すため、この共鳴周波数も変化し、電子スピンの歳差運動による高周波応答(透磁率の分散特性)に影響を与えます。まとめると、直流偏磁は電子スピンの配列状態を変化させ、磁区構造・磁気異方性エネルギー・磁歪など原子レベルの現象にも影響を及ぼし、それが巨視的な磁化特性の変化(飽和・ヒステリシス・透磁率低下)として現れます。

高周波特有の影響(スキン効果・近接効果など)

高周波における直流偏磁現象には、電磁的な高周波効果も関与します。まずスキン効果により、高周波電流は導体表面近くに集中して流れるため、巻線の交流抵抗が増大します。直流電流は導体全断面に一様に流れますが、同じ導体に高周波電流を重畳すると交流成分は表皮部分に限局し、実質的に有効導体断面積が減るため追加のジュール損失が発生します。また近接効果によって、近接する複数の巻線間でそれぞれの交流電流の磁界が相互作用し、導体内の電流分布が歪められます。例えばトランスの平行に配置された層間で大電流の高周波が流れると、内側の導体では外側に電流が押しやられるなどの不均一分布が生じ、これも損失を増やす要因です。直流偏磁そのものは静的な磁束ですが、高周波ではコアが部分飽和していることで巻線に漏れ磁束が増え、周囲の導体に寄生的な渦電流を誘発する場合があります。コア材料側では、高周波下での渦電流損失磁壁運動の慣性が問題になります。金属磁性体では、磁壁が高速で移動する際にその周囲で渦電流が発生し、熱損失を生じます​

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。このため磁壁移動には速度限界があり、数kHzを超える高周波では磁壁が十分に動けなくなります​

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。結果として高周波では磁化は主に磁化回転(スピンの歳差運動)に依存するようになり、低周波時に比べ透磁率が低下し飽和しやすくなります。一方、フェライトのように電気抵抗が高く渦電流の小さいコア材でも、高周波で直流バイアスがあると磁心損失(コアロス)の周波数特性が変化します。研究によれば、直流バイアス下ではある周波数で損失がピークとなる磁気共振的な振る舞いも観測されており​

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、これは磁壁の共振や磁歪振動モードに起因すると考えられています​

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。実際、大きな直流バイアスの下で交流損失が増加し、トランスの温度上昇が加速することが報告されています​

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。以上のように、高周波における直流偏磁現象では、スキン効果・近接効果による導体損失の増加、渦電流によるコア内部の損失増、および磁壁運動の抑制による透磁率劣化といった影響が複合的に現れます。

直流偏磁を避けるための手法

設計面での対策(構造・材料・トポロジー)

エアギャップの挿入: コアに意図的に隙間(気隙)を設けることで、磁路の有効透磁率を下げて直流バイアスによる飽和を防ぐ手法です。ギャップを入れると直流磁化に対するインダクタンス低下は大幅に緩和され、かなりの直流電流を流しても飽和しにくくなります​

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。例えばトロイダルコアは構造上ギャップが無いため直流を流すとすぐ磁気飽和に至りますが​

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、E字型コアやU字型コアにギャップを設ければ直流偏磁に耐性を持たせることができます。コア材の選定: 飽和磁束密度(Bs)の高い材料や直流重畳特性に優れる材料を選ぶことも有効です​

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。例えばフェライトは高透磁率で小型高インダクタンスが得られる反面、直流バイアスで急激にインダクタンス低下します​

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。一方、メタル系コア(鉄粉コアやナノ結晶合金等)は透磁率は低めですが飽和磁束密度が高く直流重畳特性に優れるため、大電流用途に適します​

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。必要に応じてコア断面積を大きく設計することも有効です。コアが大きければ同じ直流バイアス下でも磁束密度を低く抑えられ、飽和余裕が増します​

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回路トポロジーの工夫: トランスに直流が流れない回路方式を採用するのも根本的な対策です。例えばプッシュプル変換器やフルブリッジインバータでは、一次巻線に流れる磁化電流が正負対称の波形となるため、各半サイクルの磁束が互いにキャンセルしコアに直流バイアスを残しません。半橋やシングルEnded方式の場合でも、リセット巻線を設けて磁束を戻す、あるいはトランスを2つ用いて交互に駆動するなど、コアに連続的な一方向磁化を印加しないよう設計します。加えて、巻線配置も重要です。センタタップ構成で巻線を対称に配置し、漏れインダクタンスを低減するとともに磁束のバランスを保つ工夫をします(高圧変圧器でのジグザグ結線も、各脚の磁束を相殺して直流磁化を抑制する一例です​

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)。

外部回路による対策(直流ブロック・バランス回路など)

直流カット回路(DCブロック): トランスやインダクタに直流電流を流さないよう、回路的にブロックする方法です。代表的なのは直列コンデンサの挿入で、交流信号だけを通過させ直流成分を遮断します。RFトランスやオーディオラインの結合では直流オフセットをカットするため入力側に容量結合(コンデンサ)を用いるのが一般的です。また電力回路では、電源ラインとグランド間に直流遮断用のコンデンサを入れて地絡電流の直流成分がトランスに流入しないようにする手法があります​

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。高圧送電用変圧器では中性点接地に直列コンデンサを挿入し、地絡電流中の直流(GIC)を遮断する実証も行われています​

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バランス回路: 巻線に流れる直流磁化作用を互いに打ち消すように回路を組む方法です。例えば逆巻きのコイルを直列に入れて直流電流を流せば、2つのコアの磁束は逆向きに生じるため合成的に直流偏磁をキャンセルできます。同様に、双方向に巻いたバランストランス(センタタップによる対称励磁)では、片側の巻線に流れる直流が他方で逆向き磁化を生み、結果的にコア内の直流磁束を相殺します​

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。オーディオ用出力トランスではプッシュプル構成でプレート電流の直流磁化を相殺するのが典型例です。補償巻線の活用: トランスのコアに別途キャンセル用の巻線を巻き、そこに調整可能な直流電流を流して主巻線電流によるバイアス磁束を打ち消す方法もあります。これは一種の磁気バランサー回路で、センサ等で検出したコア磁束の偏りに対して補償巻線に逆極性の電流を与えることでリアルタイムに偏磁を抑制します。この方式は能動的制御になりますが、ハードウェア的には外付け回路で実現できます。なお古典的な方法では、永久磁石をコアに取り付けてバイアスを相殺するという工夫もあります。磁石の着磁方向と強さを調整し、直流電流による磁化と反対向きのバイアス磁場を与えることで、コアの動作点を中心に戻すというアイデアです​

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。この磁気バイアスインダクタの手法は、かつて古いテレビ受像機の回路で標準的に使われた例もあるように、有効性が確認されています​

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制御技術による対策

電力電子回路においては制御手法によって直流偏磁の発生を防止・抑制することが可能です。スイッチング電源のドライブ回路では、スイッチ素子のデッドタイムやデューティ比の微小なずれがトランスの直流偏磁を生むことがあります​

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。このため、ゲート信号のタイミング制御を高精度化し、正負半周期の積分電圧が等しくなるよう補正制御を行います。たとえばデュアルアクティブブリッジ(DAB)コンバータでは、スイッチングのわずかなずれにより直流バイアス電流が流れトランスが飽和する問題が報告されています​

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。この対策として、FPGAを用いた高速制御でデッドタイムを最適化し、トランスの直流オフセット電流を能動的に打ち消す手法が提案されています​

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。同様に、フライバックコンバータやフォワードコンバータではコアのリセット期間を厳密に管理し、各スイッチングサイクルでコア磁束が確実に初期化されるように制御します。具体的には、一次電流の平均値(あるいは磁束積分値)を検出し、これがゼロになるようにフィードバック補償をかける磁束バランス制御が有効です。高性能な制御ICやDSPを用いれば、トランス電流の直流成分をリアルタイムで監視し、極微小なズレも補正することで直流偏磁をほぼゼロに維持できます。さらに、ソフトスイッチング(ZVS/ZCS)の条件を満たすためのバランスが崩れると偏磁が生じるケースもあるため、動作モードの切り替え時にコア残留磁化が起きないよう制御シーケンスを工夫することも重要です。総じて制御面の対策は、対称性の確保オフセット検知と補償タイミングの最適化によって直流偏磁を未然に防ぐアプローチと言えます。

 

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その他の有効な方法

上記以外にも状況に応じた対策があります。周期的消磁(デガウス): 連続運転でコアに偏磁が蓄積する場合、定期的にコアに減衰する交流を印加して残留磁化をリセットする方法です。例えば計測用の電流トランスでは、オフ期間中に一次側に減磁カレントを流しトランスをリセットすることで、次の測定時に直流オフセットの無い状態から開始できるようにします。磁気回路の工夫: トランスやインダクタの磁気回路を分割し、直流と交流で磁束経路を分離する設計も考えられます。たとえば直流成分は磁気抵抗の大きい経路(ギャップを含む経路)に通し、交流成分は高透磁率の経路に通すようなデュアルコア構成にすると、直流偏磁の影響を低減できます。大電流のチョークコイルではU字コアを背中合わせに配置し、それぞれに直流電流を半分ずつ流して磁束をキャンセルする構造が使われることもあります(直流磁化を相殺しつつ所要インダクタンスを確保)。特殊結線: 電力変圧器では直流偏磁対策としてゼロシーケンスを遮断するスター・デルタ結線やジグザグ結線などが知られていますが​

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、高周波トランスの分野でも、必要なら類似のアイデアを適用して複数コア間で直流磁束を打ち消すことが可能です。最後に、どうしても直流が避けられない場合は磁気飽和を前提とした設計(飽和リアクトルとして動作させる)に切り替え、一定以上の直流では意図的にコアを飽和させて役割を切り離すという手段もあります。これは限流素子など特殊用途で、平常時は直流バイアスでコアを飽和させ低インピーダンス化し、異常時(交流大電流)にはコアが現れるようにするものです​

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。一般の高周波トランス応用では該当しませんが、設計思想として磁心を動的に利用する例も存在します。

以上、直流偏磁のメカニズムと各種対策について可能な限り詳細に説明しました。直流偏磁はトランスの性能や信頼性を損なう厄介な現象ですが、材料選択、構造設計、回路工夫、制御アルゴリズムといった多面的な対処によって緩和・防止することができます。それぞれの手法を組み合わせ、用途に応じた最適解を導き出すことが重要です。専門家による綿密な設計と対策実装によって、高周波トランスにおける直流偏磁の悪影響を最小限に抑えることが可能となります。