はじめに
企業の経営層や政治家など、高い社会的ステータスや権力を得た人々が、自己を省みる機会(内省)を失い、年齢やキャリアの後半になるほど柔軟性を欠いて問題に直面する現象が指摘されています。このような**「権力の慢心」**は世界的にも知られ、政治・ビジネス問わずリーダーに共通する課題です(いわゆる Hubris syndrome とも呼ばれ
)。本報告では、まず経営トップ層や政治家に関する具体的事例を検討し、必要に応じて企業内の一般的な管理職レベルにも同様の現象が起こり得るか考察します。次に、日本の社会環境に焦点を当て、この現象が生じるメカニズムを他国との比較も交えながら分析します。最後に、高い地位にありながらも満足度の高い人生を送り続けるために個人が意識すべきポイントについて、多角的な視点から提言します。
高い地位による内省不足と硬直化の事例
経営層・政治家に見る弊害の例
長期間にわたり権力の座にあるリーダーが柔軟性を失い、組織や自身に問題を招いた例は少なくありません。企業では**「老害」とも揶揄されるケースがあります。例えば、日本の大手企業フジ・メディア・ホールディングスでは取締役の多くが60~80代と高齢で、新技術や新視点を積極的に取り入れる柔軟性が不足し競争力低下を招いていると指摘されています
。長年トップに君臨し昭和型の硬直経営を続けた結果、変化に適応できず業績や組織活力の悪化につながった典型例とされています
。実際、長期指揮による経営陣の高齢化や硬直化は日本企業全般で課題となっており、「過去の成功体験」に囚われて新たな発想を受け入れない**傾向が見られます
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政治の世界でも、権力の座が長く続くことで内省を怠り問題を引き起こす例が見られます。特に長期政権では周囲の忖度も強まり、リーダーが独善的になりがちです。実際、第二次安倍政権では約5年連続政権の後半、「権力は人を慢心させ、指導者は私的利益と公的利益を混同し始める」という指摘がなされました
。事実、安倍首相の周辺では友人の経営する学校法人への便宜供与疑惑(いわゆる「加計学園」問題)が浮上し、公私混同との批判を招いています
。これは長期の権力掌握による驕りが一因とされています。海外に目を向けても、例えば英国のサッチャー首相が長期政権の末期に強硬姿勢への批判から失脚した例や、米国大統領でも権力の座にある間に判断を誤った例が報告されています
。このように、社会的地位の高いリーダーほど内省を怠って柔軟性を失い、晩節を汚すリスクがあるのです。
一般的な管理職レベルでも起こり得る現象
重要なのは、この現象が何も国家レベルの権力者だけに起こる特別なものではないという点です。権限の大小にかかわらず、人はある程度の権力を持てば誰でも慢心に陥る可能性があります
。企業内の部署長や課長といった一般的な管理職レベルでも、自分の領域で権限を持つことで内省不足・硬直化が生じ得ます。実際に、中小企業のオーナー社長など「自分が全てを決定できる立場」にある人は、周囲に自分を正す存在がいないため徐々に怠慢・傲慢・自堕落・無知の「社長の4大疾病」に侵されやすいと指摘されています
。長くトップに君臨するうちに誰も苦言を呈さなくなり、裸の王様状態に陥りがちだというのです
。これは取締役でも部長でも、組織内で一定の権限を持つ立場なら程度の差こそあれ起こりうる現象です。実際、社内で一プロジェクトを任されたリーダーが過去の成功で自信過剰になり、メンバーの声に耳を貸さず失敗してしまう、といった身近な事例も想像に難くありません。つまり人は権力の大きさに比例して内省の機会を失いやすく、その状態が長引くほど柔軟性も失われていくといえます
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内省喪失と柔軟性欠如を招くメカニズムの分析
人間の心理的特性による影響
権力が人に与える心理的影響について、近年の研究は興味深い知見を示しています。権力を持つと脳・心理面で自己中心性が増し、他者の視点に立つ能力(共感力)が低下することが実験で明らかになっています
。例えば、ある実験では被験者に額にアルファベットのEを書くよう指示したところ、権力を持つと暗示されたグループは、他人から読めない鏡文字の「E」を描く確率がそうでないグループより約3倍も高くなりました
。これは、高い権力状態では自分本位で行動し、無意識に他者視点を想像しなくなることを示唆しています。さらに、権力者は他者の感情や立場への配慮が減るだけでなく、自分の道徳観まで低下し、利己的な判断が増える傾向すら報告されています
。実際、部下の数を増やす実験では、部下が多いほど上司役の被験者の道徳的判断が劣化し、権力が強いほど利己的行動に出やすくなったとの結果があります
。つまり強い権力は人の心理に働きかけ、謙虚さや良心を蝕んでしまう可能性があるのです
。これらの心理学的知見からすれば、権力の座に長く居続ければ内省する力が衰え、自分の考えや欲求を過信・正当化しやすくなるのは人間の性とも言えます。
加えて、自分に都合の悪い情報を無視するバイアスも権力者には生じがちです。自らの決定や行動を省みるにはフィードバックが必要ですが、権力者になるほど「自分は正しい」という確信が強まり、失敗や批判から目を逸らす傾向があります。プライドやメンツが邪魔をしてミスを認めないまま、泥沼にはまるケースも後を絶ちません。典型例として、経営トップが誤った方針をとった際に謝罪や撤回を拒み、取り返しのつかない損失を出すといったことがあります。「謝れば自分の権威が下がる」という恐れから謝罪を渋るリーダーは少なくありませんが、実際には謝れないこと自体が周囲の信頼を損ね、問題を拡大させる原因になります
。ある企業研修では「申し訳ない、前言を撤回して別案でいこう」と言えず最初の発言に執着すると事態はどんどん悪化する一方だと指摘されています
。このように、誤りを認め軌道修正する柔軟さを欠く心理メカニズム(認知的不協和の回避や現状維持バイアス)が、権力者の判断力を蝕んでいくのです。
日本の組織文化・社会的圧力の影響
上述の心理的影響は人類普遍の現象ですが、それを増幅したり抑制したりするのが社会や組織の文化です。日本の組織環境には、この問題を深刻化させるいくつかの特徴があります。第一にヒエラルキーの強さと「忖度」文化です。日本企業や官僚組織では目上の人への尊重が重視されるあまり、部下や周囲が過剰に上司の顔色をうかがい、本音のフィードバックが届かなくなる傾向があります
。経営者としての権威が大きくなると、周囲は「怒らせてはいけない」「失望させてはいけない」と考え、不都合な報告をオブラートに包んだり黙ってしまったりします
。その結果、トップは都合の悪い事実や現場の本音を知らされず、「人の話を聞かない」「新しいことを覚えない」「面倒なことを避ける」といった姿勢がまかり通ってしまいます
。この構図が積み重なると組織内の多様な意見は失われ、経営陣と若手の間に感覚の断絶が生じます
。最終的には組織全体の判断力が鈍り、問題を見過ごしてしまうのです。
日本ではまた、年功序列と終身雇用の文化も影響しています。欧米のように成果次第でリーダーが交代する環境に比べ、日本では一度トップに上り詰めると長期間その座に留まるケースが多く見られます。先輩や上役に異を唱えにくい空気もあり、若手が「それはおかしい」と感じても直接は言えず、結果として過去の延長線上で意思決定が行われ続ける傾向があります
。実際、企業の中枢を往々にして占めるのは往年の成功体験を共有した世代であり、新しい世代が異なる問題意識を持ち込もうとしても受け入れられないことが多いと指摘されています
。これは日本に限らず多かれ少なかれどの国の組織にも見られる現象ですが、日本では過去の成功を否定せず継承することが美徳とされる面もあり、特に変化への適応が遅れがちだと言えます。例えば、日本の電機産業の凋落などは、かつての成功モデルに固執した経営陣が環境変化に柔軟対応できなかった一例とされています。
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もっとも、日本社会にも変化の兆しはあります。近年「心理的安全性」や「オープンな対話」を重視する組織文化への関心が高まり、若手が意見を言いやすい環境づくりやフラットな組織風土改革が進められています。また、欧米諸国との比較では、日本は決して極端に権威主義的というわけではなく、ホフステードの指標によれば権力格差(パワー・ディスタンス)は世界平均並みとも言われます※。ただし、建前と本音を使い分ける日本独自のコミュニケーション様式もあり、表向き反対せず内々で不満が鬱積するケースも散見されます。総じて、日本のリーダーは表面的な和を優先するあまり内省の機会を逃しやすいと言えるかもしれません。他方、欧米では取締役会での率直な討議やメディアによる容赦ない批判など、リーダーを強制的に内省させる仕組みが比較的機能しやすい環境があります(そのぶん対立も多いですが)。このような社会的チェックの違いも、内省不足による失敗の起こりやすさに影響しているでしょう。いずれにせよ、権力の弊害を抑える仕組み(ブレーキ)が働きにくい環境では、リーダーの驕りはより深刻化しやすいのです。日本の場合、そのブレーキが社内よりもむしろ社外からの指摘(監督官庁や取引先からの「外圧」など)に頼りがちな点も課題で、内部から率直な意見具申ができる文化づくりが今後の鍵となります
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