前回 市ヶ谷でのセミナーの時間を間違えて5時間も暇が出来てしまったので歩いて早稲田の穴八幡までぶらりと散歩して来た。
更に早稲田をぶらり。穴八幡を出てすぐはす向かいの 名門 早稲田中学校・高等学校であるが昔と変わらず良い校風を維持している事が伺える。(風紀上変な服装の生徒が皆無であった。)
道を挟んで向かい側の『メルシー』も地元の老舗と言えよう。昭和47年当初にはすでに盛業中であったが、あれから43年経過しても未だに営業していることは凄い事だと思う。ラーメンが美味しい店である。
少し歩くと元早稲田実業学校(早実という名前でお馴染みである。)の後、早稲田大学の関連校舎として使われているが研究開発センターと称し、120号館として残っている。
現在 早稲田実業学校は国立駅の北側すぐの所に移転して、男女共学になって今日を迎えている。
更に神田川の方向に行くと中華料理『西北亭』が有る。この店も先出の『メルシー』と同じく昭和40年代には既に盛業中であったもう一つの老舗である。当時レバニラ炒め”大至急”・・・などと注文出来た。
西北亭
その向かい側に目をやると今は駐車場になってしまっているが豊富な菓子パンやサンドウィッチの手塚パン店が有った。今は並びの長岡屋(日本そば)が残っているだけで昔の早実生の面影も無くひっそりと静まり返って居て時代を感じさせられる。
生そば長岡屋 手塚パン跡地
都営バスの早稲田大学折り返し場所まで行くと大隈講堂が見えて来る。その昔この講堂で 王 貞治 選手の全盛時代に王選手の公演を聴いたことが有った。自分自身野球は興味が無いのと、やると超ド下手なので現在は野球に関しては『見ない・聞かない・やらない』の三無い主義を貫いているが・・・・・。
大隈講堂現況
大隈通りに入り少し行くと都電の早稲田停留所(終点折り返し所)に出る。
駅は早稲田であるがここを通っているのは新目白通りである(早稲田通りではない)。高田馬場方面に暫く歩くと次の停留所である『面影橋』に着く。面影橋はN.S.P と 堀内孝雄 が歌っているが現代の若者は全く知らないであろう。
面影橋を渡り鬼子母神方向に向かい高田八幡を横目に見ながら少し行くとじきにのぞき坂が見えて来た。
高田八幡
のぞき坂遠景
この坂はおそらく上り下りが出来る2車線道路では都内一急な坂道であると言えよう。
横から見た急勾配 下から見ると・・・
マンションが水平に建って居る事を考えると大変な急坂。
坂を喘ぎながら登り切って左に曲がって都電沿いに池袋方向に進むと 鬼子母神前駅である。
踏切を渡って石畳の並木道を行くと鬼子母神様が見えて来た。
鬼子母神
境内の駄菓子屋
境内を入って左手に駄菓子屋さんがある。懐かしい色々な駄菓子が有ったが昔式のくじ引きの駄菓子はほとんど無く、ふつうに食べるだけの物が置かれていた。その昔はコリスのガム(もちろんくじ引きで当たると大きなガムがもらえた)・クロボー(これも当たると大きな平行四辺形のクロボーがもらえた)・箱の表面の絵の所を破ってその中身が景品になって居るくじ引きや紙のくじを引いて紙に書いてある番号で当たりがもらえるものであったり・・・今ではほとんど見当たらなくなってしまっている。寂しい限りである。昭和40年代当時はくじ引き1回が5円であった。50円玉を持っていくと10回もくじが引けたわけで現代の価格がいかに上がって居るかがよくわかる。今回はラムネ菓子を買ったがしっかり消費税を取られた。何でも税金で本当に資源の乏しい国はしょうがないですね。
鬼子母神を後に東池袋に向かって行くと真正面にサンシャイン60が見える。手前のジブラルタの看板が掛かって居る建物は筆者が以前お世話になって居た日構シーエスエス(統合により社名変更・移転)と言う会社が入って居たビルで懐かしい。
サンシャイン60
池袋駅方向に歩いて公共交通にて帰宅。再度セミナーに向かいました。
今回は市ヶ谷から早稲田を経由して池袋までの散歩になりました。
また機会が有ったら他のルートを歩きたいと思いました。