妻が新生児を抱いてみたいとのことで、親戚への出産祝いに付き合った。
生後3週間ほど、一月も経たぬ赤ん坊を抱かせてもらった。
手も足も精巧なミニチュアの如く、縮尺されて動いていた。
手足を動かし、あくびをし、顔をしかめ、伸びをする。
まだ見えぬであろう目を開く。

今年生まれた人間は、104歳まで生きるそうな。
104歳は眉唾にしても大きな病気、怪我、事故に遇わなければ、

まんざらでも無いか。
20世紀、21世紀を生きてきた我々は、22世紀を生きる人を迎えた。
未だ紛争や貧困を解決できぬ時代を生きている我々は、

次世紀を生きる人に何を残せるかを考える。
この”人”には未来がある、否、未来しか無い。
まだ光しか感じないだろうその眼にこれから何が映るのだろう。
その澄んだ眼に映るものをきっと良いものにしたいと強く思う。

 

とうに人生を折り返した私に残された時間は少ない。

自分のためにする事も少ないだろう。

自分に対する責任は多くないが、次世代のための責任はある。

腕に感じた、3,900グラムはとても重い我々の責任の重さなのだ。