小説うつ病と人・心模様 ”波鬱際(なみうつぎわ)”

小説うつ病と人・心模様 ”波鬱際(なみうつぎわ)”

10年以上もうつ病を抱えるアカネ。彼女の人生によせてはかえす人や出来事の波たち。何を彼女に運び、何をうつの海に引きずり込んでいくのか。
時に荒れ狂い、時に優しく。
その波音は人の心を丸裸にするような残酷さを持っている。

Amebaでブログを始めよう!

 人間模様とはよく言ったものだ。生きていると様々な模様に出会い、共感し惑わされ、時に飲み込まれる。子供の頃からそのようなことに患わされることなく、父親が望んで決めた、ある種守られた一貫教育女子学院で育ったアカネは、高校を卒業し、専門学校に入ってから初めて良好な人間関係を保つ大切さと難しさを知った。 


  高校を卒業し、専門学校に入学して数ヶ月も経つと、自然とグループができ始める。最初は同じ高校から進んだ女子4人でつるんでいたのだが、そのうち男子4人、アカネを含む女子4人は、気が合い学校帰りは毎日のように画材屋に行き、その後はいつもの喫茶店で数時間もバカ話しを楽しむ仲間となった。


 そんな仲間とのある休日、たいした目的もなく梅田で待ち合わせ、今日はどうすると相談していたところ一人の男子が言った。

「今日は神戸まで繰り出すか!

梅田から阪神でも阪急でも特急に乗れば、ほんの30分ほどで神戸三宮に着く。しかしアカネは知らなかった。

「エ~!でも、神戸って遠いんじゃないの。電車なんかで行ける距離やの?

アカネのこの言葉に皆、一瞬固まってしまった。行こうと言った男子が、

「アカネちゃんは、もしかして神戸に行ったことないの?」

「まさか。家族とたまに食事に行ったりするよ。車じゃなくても行けるって、初めて聞いた」

「車?アカネちゃんはお嬢さんやな。もしかしてお祭りでラムネや焼きそばなんて、ねだっても食べさせてもらえなかったでしょ」

「なんで判るの?ほこりがかぶってるからだめって。子供の頃いとこの住んでいる公団住宅に、ロバのパン屋が唄を鳴らしながら車で来るの。ガラスケースの中には、いろんな色のおいしそうな蒸しパンがいっぱい。いとこは買うのに、私は買ってもらえない。いとこは良くて私がだめな理由は何なの?大人の言うその意味が全然判らへんわって」

「おもしろ過ぎる子供時代やね。その他は?」

 みんながアカネの子供時代の話題に集中した。


「土曜の昼は学校から帰ると昼ご飯は決まってインスタントラーメンだったけど、チキンラーメンは絶対なかった。お湯をかけるだけで煮ないラーメンなんて食べていいものではないって母が。これもインスタントラーメンは良くてチキンラーメンがだめな理由は何?今のカップ麺と同じなのにね。だからまだ一度もチキンラーメン食べたことがない。未だにすごい憧れの食べ物だけど、この歳まで食べてないから、一生食べてない物がひとつぐらいあってもいいかなって。母は未だにカップ麺もチキンラーメンも食べないけど」


 聞かれるままににこやかに答えはしたものの、アカネはみんなが不思議で面白がり、いろいろと聞いてくるのが、とても不快だった。みんなと違う所があるのを奇妙なことのように思われ、これまでの自分を否定されバカにしているような気がした。当たり前・一般的・世間って、いったい何?私はそんなにずれた生き方をしてきていたのかと。この時初めてそう感じた。

 5畳ほどの部屋の中の家具といえば、本棚と机と小さなチェストぐらい。布団を敷くともう足の踏み場もないほど、ほんの少しのスペースしか残っていない。そこには紙袋や洋服、本棚に入りきらない文庫本などで埋められている。比較的日当たりがよく風通しもいい事に、アカネの布団はここ数ヶ月、動かされたことはなかった。

 そのアカネの手首の内側は何本もの“かさぶた”でカサカサになっている。また今夜も彼女は新しい傷を作るかも知れない。どうしてそうしてしまうのか、それは彼女にも解らなかった。浅く、浅く赤い血溜まりが少し出来る程度でいいのだ。外に対しては社交的に振る舞えても、1人になれば確かめたくなるのだ。“自分は生きている、ここにいる”って。自傷を繰り返しても、繰り返しても自分の存在感をうまく認識できない、アカネは長年そんな日々を過ごしていることは確かだった。

 医師はアカネの症状には、子供の頃からの環境とそれに従順に従わなければと骨身を削ってきた生来の性格が、深く関わっていると言う。

 アカネのうつ病歴はいつのまにか10年近くに及んでいた。アカネには夫がいるが、うつになってから寝室は別々にし、アカネは自分の部屋を持つようになった