島根県松江市を観光しました。

松江は、松江藩の城下町として発展した山陰最大の人口を擁する山陰の中心都市である街である。

松江城・松江神社・興雲閣・松江歴史館・松江ホーランエンヤ伝承館・明々庵・武家屋敷・小泉八雲旧居に行きました。
松江城は、堀尾吉晴が築城し、堀尾氏・京極氏・松平氏の歴代松江藩主が居城とした城である。
堀尾吉晴は、豊臣秀吉・徳川家康に仕えた戦国武将である。
関ヶ原合戦の後、出雲・隠岐両国を拝領した息子の忠氏と共に城地を松江に選定した。
孫の忠晴を助け、松江城と城下町を建設し、松江の礎を築いた人物である。
松平直政は、出雲国を拝領した松江藩主であり、徳川家康の孫にあたる人物である。
慶長19(1614)年、14歳の直政は、大坂冬の陣で初陣ながらも奮戦し、敵将・真田信繁(幸村)からその武勇を讃えられ軍扇を投げ与えられたといわれている。
松江神社は、堀尾吉晴公・徳川家康公・松平直政公・松平治郷公を祀る神社である。
興雲閣は、松江市工芸品陳列所として建てられた建物である。
明治40(1907)年、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰道行啓にあたって、5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たした。
松江歴史館は、松江の歴史・文化を展示・紹介している博物館である。

松江の歴史・文化についての理解を深めることが出来る素晴らしい博物館でした。
松江ホーランエンヤ伝承館は、日本三大船神事のひとつであるホーランエンヤの歴史を展示・紹介している博物館である。
明々庵は、大名茶人として知られる松江藩七代藩主・松平治郷(不味)の好みによって建設された茶室である。

松平治郷(不味)は、歴代の松江藩主の中で、松江藩中興の祖とされる人物である。
治郷が藩主となった当時の松江藩は財政難でした。
治郷は「御立派の改革」と呼ばれる財政再建策を進め、藩内での借金を棒引きにするなどの債務整理や藩の人員体制見直しといった歳出削減に大なたを振るいながら、薬用人参の栽培をはじめとする産業振興策で収入増を図り、藩の財政を立て直した。
また、松江藩内で美術工芸の振興も図り、陶芸や漆工、木工の世界で多くの名工を育成した。
武家屋敷は、主屋・長屋門・塀などからなり、江戸期の面影を今に伝えている建物である。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ屋敷で、500~1000石程度の藩士が屋敷替えによって入れ替わりに住んでいた。
小泉八雲旧居は、小泉八雲が住んでいた当時のままで保存されている建物である。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、『耳なし芳一』や『雪女』の作者として有名な文学者である。
松江は歴史・文化が豊かな魅力的な街でした。

松江の歴史・文化を窺い知ることが出来、非常に有意義な一人旅でした!

(マスクの着用や手洗いなどのコロナ対策を徹底して観光しました。)